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lovey dovey 第4話 春樹
明日の土曜日は、下野が出張から帰ってくる予定だ。
今日はその前日で金曜日の祭日。仕事が休みの春樹は、美桜と一緒に子供たちを連れてランチに行った。
「ふんふん、そんで?もっと詳しく教えてくれてもいいじゃない?」
美桜からは子供の話や、玲司の仕事の話。春樹は自身の仕事と下野の話を少しだけして、ひと段落つく。だけど双子がベビーカーの中でぐっすり寝ている間、美桜は春樹と下野のことを根掘り葉掘り聞いてくる。
「詳しくって…もう話したじゃん。そんなとこだよ。特別なことはないって」
「もっと教えてよ!ラブラブな話は聞きたいじゃない?そんで…今は下野さんのマンションに住んでて、明日彼は出張から帰って来るんでしょ?もうさ、このままそこで下野さんと一緒に暮らせばいいんじゃないの?指輪もしてることだし、事実婚ってとこでしょ」
「えっ!そんなこと出来ないよ。今だって、あんな凄いマンションにひとりでいるのは緊張するのに。それに…指輪だって本当は成り行きだったんだ」
「成り行きだったとはいえ、結果が出てるでしょ!二人で指輪を選び、指輪に誓ったって言ってたじゃない。それが結果であり、そこからスタートよ。いいわよねぇ、指輪に誓うなんて素敵」
恥ずかしいことを簡単に美桜は口にする。だけど、茶化したり揶揄ったりするわけではなく、思ったことを言っているだけだ。
春樹は「まぁそうだけど」と口ごもっていた。
「そうだ!あの女どうした?仕事ではまだ会うこともあるんでしょ?大丈夫?」
井上のことだ。以前、フィエロのレセプションに春樹が遅れてしまった原因を美桜は知っているため、心配している。
その美桜が心配する井上との仕事は続いていた。先日も陸斗と一緒に打ち合わせをしたばっかりだった。
打ち合わせをした日、最初は好意的であった井上だが、時間が経つに連れて険しい顔に変わっていったのが印象的だった。
「そういえばさ…井上さんに指輪のこと聞かれたんだ。素敵な指輪ですねって言われて、」
あの日以来、春樹は指輪を外すことなく付けている。下野も同じだ。
井上と打ち合わせをしたのは、指輪を貰ってから初めて会社に出勤した月曜日。指輪を付け始めてすぐ、人から指摘されてびっくりしたからよく覚えている。
軽くて細い指輪は、付けているのを忘れることもあるほど、全く意識せず存在感もない。そんな指輪を春樹は気に入っていた。
春樹が存在を忘れるほどの指輪を、井上は見つけて、質問をポンポンと投げかけてきた。
『春さん!指輪してるんですね、知らなかった。最近付け始めました?』
『あー…そうなんです』
陸翔が席を外した隙に、井上が春樹に近寄り話しかけてきたので答えていた。
左手薬指にしているからだろう。結婚したのか、婚約したのか、恋人と同じリングなのかと、立て続けに質問をされた。
面と向かって指輪のことや、恋人のことなど聞かれたのは初めてだったので、言葉に詰まりながらも嘘はつかずに答える。
恋人と同じ指輪をしていること。
最近、二人で揃えて買ったこと。
『随分細いリングですね…』と、言われ、春樹が選んだ指輪は、極めて細いものであったと知る。
指輪の幅に細い、太いとあるとは知らなかった。指輪なんてもんは、大体同じものだと思っていたからだ。
『あー…私は、よくわからなかったので…存在感がなくて、付けてるのを忘れるくらいがいいなと思って、』
『なるほど!相手の方は喜んだでしょ?それって世界5大ジュエラーのブランドですよね?特徴があるからわかりますよ!芸能人が結婚するとそのブランドの指輪ですもん。春さん、すごい!」
井上は春樹が購入したと思い、綺麗な指輪だ!おしゃれだ!と、興奮気味に喋る。
『このブランドのリングは、細ければ細いほど高いんですよね』と、春樹の知らない情報まで教えてくれて、食い入るように春樹の指輪を見ていた。
あれ?そういえば…指輪の支払いってどうしたんだっけ?と考え、下野が支払っていることに気が付き、春樹は慌てた。
『えっ!これって高価なんですか?嘘…えっ?どれくらいかわかります?あーっ、聞くの怖いかも…どうしよう』
高価なものと聞き、春樹が青ざめている間、井上の顔は険しくなっていき、最後にこう聞かれた。
『春さんのお相手の方って…春さんより遥かに背も高くて体も大きくて、ゴリラみたいな人でしょうか…』
ゴリラ…と言われ、家の中を下着姿でウロウロしている下野を思い出し、春樹はプッと吹き出し笑ってしまった。
確かに下野は身体が大きくて、ゴリラみたいだ。当たっている。そう考え、下野を思い出すと更に笑いが止まらない。
『ゴリラって。井上さん、面白いこと言いますね。あははは』
と言い、春樹は思い出し笑いをした。
その春樹の姿を見て、井上の機嫌は若干悪くなり、険しい顔になったのを感じた。
そのことを美桜に伝えてみる。
「やっば!うける、春!そりゃあ、指輪の相手は下野さんだって認めたようなもんじゃない。険しい顔にもなるわ」
「えー…そうかな。正式に名前を出して言ってないけど。ゴリラって言われて、おかしくなって笑っちゃったんだよ。確かに、似てるところあるからさ。でも、上手いこと言うよね、井上さんって」
休日の下野は、大体そんな感じ。ゴリラっぽい。見た目も大きく力強いし。
「無意識も手伝って春の一本勝ちか。下野さんも牽制してるみたいで、SNSで匂わせ投稿してるけどさ、やっぱり直接対決が決着つけたんだなぁ。うーん、あっぱれじゃ、春!」
「えっ?ちょっと、美桜。匂わせって何?寛人が何かしてるのか?」
「…嘘でしょ?春、知らないの?」
美桜がスマホを慣れた手つきで操作する。SNSを開き、春樹に見せてきた。
「これ…これも。身に覚えない?反対側には春がいるんじゃないの?家の中や、顔とかは写ってないけどさ…ねっ?でしょ?」
美桜が見せてくれたSNSの写真は、どれもこれも身に覚えがあり過ぎたものだった。そういえば最近、家で食事をする時、下野は写真をバシャバシャ撮っていたっけと、思い出す。
美桜が教えてくれたSNSのアカウントは、下野のものであり、そこに投稿している写真は春樹との食卓であった。
「ほら、わかる?これTagbae ってあるでしょ?これは恋人って意味。このキーワードをメッセージに書いてある写真は、恋人と過ごしてるって意味を持たせてるのよ。だから多分ね、こんな写真をアップして、その女に対する牽制を下野さんがしてんだと思う。あっちが先に匂わせしてきたから、それに対する処置じゃないかなぁと思うんだよね」
「…こんなの知らなかったんだけど」
春樹自身はSNSをやっていないので初めて見るものばかりだ。だけど、下野と思われるSNSの写真は全て身に覚えがあるものばかりだった。
「こんなことでケンカなんかしないでよ?顔が写ってるとか、家が写るとかはないんだし。その辺は気をつけてるみたいだから、いいんじゃない?彼が帰ってきたら聞いてみれば?」
美桜に教えてもらって、春樹も自分のSNSのアカウントを作ってみた。そして早速、下野のSNSをフォローする。
美桜と子供達を自宅まで送り、春樹は自分のマンションに一度帰った。明日は下野が出張から帰ってくる。その前に、自宅のマンションから持っていきたい物がある。
下野の出張中はずっと下野のマンションにいたから、自宅マンションに帰るのは久しぶりだった。
一週間しか離れていない家に戻ったが、何だか他人の家のように感じる。自宅なのに変な感覚だ。それだけ下野の家が快適だったのか、たった一週間で順応してしまうのか。自分は単純なんだなと、春樹は自身の気持ちに呆れてしまう。
寒々しくひんやりした家のベッドの上でSNSを開き、下野のアカウントをもう一度確認した。
こんな写真も撮っていたんだなとわかり、ちょっと微笑ましく笑ってしまった。
投稿しているものは、主に食卓の写真だが、春樹が下野に作ったホットケーキの写真も投稿してあった。
初めて下野にホットケーキを作ってあげた時『嬉しい!嬉しい!最高!』と下野は何度も言い、アップで撮ったり、立ち上がり引きで撮ったりと、めちゃくちゃ写真を撮っていた。
SNSにあるのはその時の写真だ。投稿したホットケーキの写真は、何枚も同じようなものばかりだった。角度を少しずつ変えて撮っているが、その中には、ブレているものもあり、それも並んでSNSには投稿されている。
下野の興奮度合いが伝わってくるものであった。それを見て春樹はひとりで声を上げて笑ってしまった。
下野からの目線である写真を見るのは面白い。自分の知らない後ろ姿を撮られているようで『へぇ!』と感心するものもあれば、ホットケーキのように笑えるものもある。初めて見たSNSだけど、時間を忘れて楽しめるものだと春樹は思った。
ひとりで笑っていたら急に寂しさが押し寄せてきた。下野と一週間離れているからなのかもしれない。
会いたい。
はやく会いたいなぁと春樹は思いながら、ゴロンとベッドに横になり、左手を広げて指輪を眺めた。
明日には帰ってくるけど、今は寂しさが溢れてしまっている。
春樹は、ベッドの下から箱を取り出す。
ディルドとローションを手にして、下野のシャツに着替えた。今日はどうしてもこれをしないと高ぶる気持ちが収まりそうにない。そう春樹は思った。
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