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nanny 第1 話 下野
ぎゃあぁぁぉおお…
やぁぁぁああああ…
耳をつんざくような叫び声を全身に浴びて帰ってきた。
サラリーマンの時は仕事をそつなくこなし、今では会社経営が出来るほどの手腕を発揮してきたと自他共に認めるほどだ。
春樹との恋愛は、長くの間片想いが続いたけど、お互い同じ気持ちだと確認してからは溺愛街道まっしぐらで、今も恐ろしいくらいラブラブ状態更新中である。
仕事もプライベートも全く問題はなし。
今の自分は無敵だと思っていたが、甘かったようだ。
俺は子供には好かれない顔らしい…
と、下野は浮かない顔をしていた。
春樹の双子の妹である美桜の子供たちに会いに行ってきた。会いに行くというのとは、ちょっと違う…美桜が急遽病院に運ばれたという知らせが入り、春樹と二人で病院に駆けつけた時に会ったのだ。
初対面である。
美桜の息子たちは双子の男の子で、碧 と優 。碧は活発で、優は人見知りだと春樹に聞いていた。
春樹とまだお付き合いする前に、碧が春樹の携帯をいじってしまい、下野に電話をかけてしまったことがある。だから勝手に親近感が湧いていた。すぐに仲良くなれると思っていたが甘かった…
病院には美桜の旦那と双子の碧と優がいた。春樹と下野が駆けつけた時、碧と優は初めて見た大きな男にびっくりしたのか、怖かったのか、下野を見て大泣きしてしまった。
病院内だし、他にも患者さんはいるし、子供達をこれ以上怖がらせて、泣かせてはいけない。一旦駐車場にいると言い残し、下野は席を外した。
その後、春樹から連絡をもらい車の中で待機していると、双子を抱っこした春樹と美桜の旦那の玲司が車の窓をノックした。
そこで抱っこされていた双子と下野は目が合い、また大泣きをされてしまうというループ。
駐車場にも叫び声はこだまする。全身を使って大泣きしている。大きな声だ。
元気だ…うん、そう、元気。
慌てた春樹たちは、玲司が乗ってきた車で美桜の家に帰って行った。
「もしもし…寛人?」
「春ちゃん!どうだった?大丈夫か?」
「ごめん!本当にごめんな…」
電話口で春樹がひたすら謝っている。それは、さっきの双子の叫び声を謝っている。
「うっ…いいよ、だ、大丈夫。まぁそうだよな、怖いよな俺ってデカいし」
「あの子達は、玲くんくらいの男の人までしか知らなかったから。い、いや、でも機嫌が悪かったんだよ。お腹空いてて」
春樹が懸命に弁解しているのが、痛々しかった。大変気を使わせている。
「それより、美桜ちゃんは?どうした?」
美桜は急遽入院になってしまったらしい。怪我か!病気か!と聞いたら『つわり』だという。美桜はお腹に子供がいて、つわりが酷くなり一週間ほど入院になったと春樹は言っている。
「妊娠してたのか?おめでとう!すごいな、家族が増えるんだなぁ」
「それは嬉しいんだけど、ちょっと問題が出てきちゃって…今日はひとまず玲くんとこに泊まるから」
「はあっ?泊まり?」
「仕方ないだろ?ママがいないんだから。玲くんひとりじゃ双子の面倒は難しいよ」
一週間、美桜が入院するため、夫である玲司が双子の面倒を見ることになる。だけど、ワンオペで双子は難しいと春樹は言う。だから今日は泊まって、これからどうするか考えると言っていた。
「…俺も今からそっちに行く」
「ダメだよ。だってさ、また、ほら、えーっと…泣くかもしれないじゃんあの子達」
言いづらそうに言わせてしまった。
そうだ、泣かれたんだ。
デカい男は怖いから。
今から小さくなることは出来ないし、どうしたらいいのか。
「見えないところにいるから!隣の部屋とかさ。俺が見えなければいいだろ?とりあえず今からそっちに行く」
少々強引だがそう言い電話を切って、上着を手に出かけようとしたが、電話を切る時の「えーっ…」という春樹の声が耳から離れない。迷惑はわかっているが、心配である。それと、俺にももう一度チャンスをくれと思い、とりあえず伊澤に連絡をした。
「伊澤…助けてくれ」
めんどくさそうな声を出し「はぁ…」と白々しくため息もつきやがったが、伊澤は電話に出て話を聞いてくれた。
事情を説明すると、そんなことなら子供達に絶対おもちゃを買っていけ!とアドバイスもしてくれた。それと、明日からリモートで仕事が出来るように調整すると言う。
厳しくキツイ男だが、本当にたよりになると下野は思った。
今から開いてるおもちゃ屋は?と検索し、車で向かう。
おもちゃなんて買ったことがないからわからない。急いで店員を捕まえてたずねた。
「2歳の男の子!いや、もうすぐ3歳!めちゃくちゃ気に入るおもちゃを頼む!」
店員のおすすめを全て買った。閉店間際だったが、きびきびと効率良く店員が教えてくれたから助かった。偶然にも、いい店員を捕まえることができたと思う。
おもちゃはどうやって使うのかわからないものばかりだが、何とかなるだろう。昔は、やり手の営業マンだったし、営業トークは得意だからと、下野は自分に言い聞かすが、考えれば考えるほど自信はなくなっていく。相手は子供だ。
パペットと呼ばれるぬいぐるみで、手袋のように手にはめて遊ぶものも買った。可愛らしいライオンだ。今人気のキャラクターだと店員が教えてくれた。
よし…ライオンのパペットを助手席に乗せ、美桜家まで向かう。おもちゃ屋から美桜の家までは15分だ。
「…春ちゃん?着いた。玄関まで来てくれる?…うん、そう。おもちゃも買った」
さっきまでは、迷惑そうな声を出していたが、下野が到着するまでに腹を括ったのか春樹は元気に電話に出てくれた。
玄関の前に美桜の旦那である玲司が待っていてくれた。玲司とは既に面識はあり、飲みに行ったこともある仲だ。
「寛人さん!すいません、なんか巻き込んじゃって。あっ、どうぞ、こっち。とりあえず、こっちの部屋に!」
玄関からすぐの部屋に入れてもらった。顔を見せなければ双子には分からず、泣かれず、大丈夫だろう。
部屋の中には下野だけ、ピッタリと閉めたドア越しに玲司と話をする。
「春ちゃんは?」
「あっ、今、子供達にご飯を食べさせてくれてます。もう終わるので、呼んできますよ」
「あっ、ちょっと待って!玲司くんさ、これから一週間どうする?ひとりじゃ難しいだろ…って、春ちゃんも言ってたぞ」
「そうなんすよ…とりあえず保育園は行ってるので、朝から夕方までは保育園なんですけど。俺の仕事が…ちょっとなぁ…」
だよなぁと、玲司とドア越しに話をする。美桜が入院になった途端これじゃあ、男全員役立たず!と言われてしまう。何とかしないといけないと話をしている途中に、春樹の声が聞こえてきた。
「寛人?来てくれたのか。ありがとな」
「春ちゃんっ!」と、ドタっとドアに体当たりして、ドアに耳をつけて名前を呼んでしまった。我ながら切実な声が出ていたと思う。
ドアの向こうは見えないけど、春樹が恥ずかしがっているのが気配でわかる。それに、下野の必死な声を聞き玲司が笑いを堪えてるのもわかる。
「…なんで、お前はそんなに必死なんだよ」
「だって、帰ってこないって言うからさ」
「今日だけだってば!全く、お前も赤ちゃん返りかっ!」
「なんだよ、その赤ちゃん返りって」
美桜の妊娠がわかってから、双子はママにやたらと甘えるようになったという。それを赤ちゃん返りと呼ぶらしい。その状況と今の下野は同じだと春樹は言いたいみたいだ。
「寛人さんも大きな赤ちゃんってことですよ。だけど、春さんがいないと寂しいし、それに心配ですもんね」
と、玲司も笑っている。玲司はのんびりとし真面目な性格だ。だけど、今はのんびりとした口調で、はっきりと『お前も赤ちゃんだな』と言われるとちょっとツライ。春樹は玲司の言葉につられて笑っているのがまた気配でわかる。
「春ちゃん…」と、情けない声を出してしまったら、またドアの向こうにいる二人にゲラゲラと笑われた。
「はるぅ?どこ?」「はるぅ」
大人の笑い声につられて、小さな子供の声がやってきた。
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