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第12話・反発。(1)

 枯れ枝のような腕をした渡し守の老人カロンだが、彼は手馴れている。  大人の男を二人乗せたとしても、あっという間に七巻もある大きなステュクス河を渡りきり、目的の悲願に辿り着いた。 「では、エイドリアン様」  背中越しでは深々と腰を折るカロンに挨拶もなく、エイドリアンは見晴らしのいい河岸に足をつけた。  未だ眠りについているユーインを横抱きにしたまま白いケシの花に挟まれた広い砂利道に添って足早に歩く。  それというのも、冥界の中心に近いこの彼岸からが彼にとって心苦しい場所になるからだ。  冥界に近づけば近づくほど、まるで処刑人を見るかのような目つきが付きまとう。  ――冥王ハデスを裏切った母エメロンの子――  本来、生まれ故郷であるはずの居心地がいい此処は、その異名からもっとも息苦しい場所だ。  エイドリアンがステュクス河を離れれば離れるほど冥界の中心へと近づく。そしてそれは、冥界の住人が暮らすこの地を訪れることを意味する。 「なぜまたあいつがここへ?」 「出て行け!!」 「ここはお前が来る場所じゃない」 「裏切り者!」  エイドリアンを罵る住人の声は増え、あらゆる暴言が吐き出される。  その荒々しい言葉の数々はまるで全身の毛を掻き毟られるような感覚に陥らせてくる。  エイドリアンははじめ、住人たちの罵声でユーインが起きるのではないかと懸念したが、彼は相当の疲労が溜まっているらしい。美しい緋色の瞳は長い睫毛のカーテンによって塞がれている。

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