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第5話
押し付けられたお菓子は八個入りだった。
二口程で食べきってしまうサイズのそれを、毎日一つずつ食べることにし、全て食べ終わって彼に感想を伝える練習をしていたけれど、一ヶ月経ってもそれを伝えることはできず、何となく取っておいた箱も捨ててしまった。
同じ階のインターホンが聞こえても、彼が私の部屋に来てくれることはなかった。
荷物を届けに来てくれるのが彼のところだけとも限らないけれど、これだけの部屋数があるのに一ヶ月のうちに一度も私が住んでいるこのマンションへ、荷物を届けることはなかったのだろうか。
友人になりたいとそう言ったくせに、全然何も……。
結局私だけが惑わされて終わってしまったんだ。彼の望む自然な会話ができるよう、私だって会話の内容を考えていたというのに。
「……って何を考えて、」
これじゃあまるで、私のほうが彼に会いたいとそう思っていることになってしまうと、変な考えを消し去ろうと頭を振るも、「隆義 さん」と名前を呼ぶ彼の優しい顔と声がはっきりと浮かんでくる。
「あ……」
じわり、と頬の熱が上がり、内側から焼けていくようだ。これまでずっと穏やかだった心臓は、彼のことを考えると壊れてしまったように騒ぎ始める。
これほどの胸の高鳴りは長らく経験していないから、どのようにしておさめるのが良いのだろうか。
とにかく気持ちを落ち着かせようとコップに注いでいた水を一気に飲み干したとき、部屋のインターホンが鳴った。
「……っ」
動揺して手からコップが滑り落ち、テーブルの上で大きな音を立てた。水滴が飛び散る。
床に落として割れなかったことへの安堵からまた心臓がうるさく動いた。落ち着かせようとして飲んだ水のせいで、また落ち着きがなくなるだなんて。
一人でこんなにも慌てて、私は本当に馬鹿だ。
この状態で彼に顔を合わせたくないと思う反面、出なかったら出なかったで彼にあなたを意識していますと、そう伝えることになりそうで嫌だ。
良い歳したおじさんが若者に振り回されているのは格好が悪い。何ともない顔で久しぶりだねと、そう伝えなければ。
ふぅ、と大きな呼吸を一つして、私は玄関のドアを開けた。いつもより扉が重く感じる。
「先生!」
「……なんだ。棗 さんか、」
「なんだ、とは何ですか。ひどいなぁ、もう。この間電話したときに先生の元気がなかったから、差し入れ持って来てあげたんじゃあないですか!」
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