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第31話
鳴き声のするほうに行ってみれば、時々うちの近くで見かける猫だった。マンション内の誰かが餌付けしているのだろう。その体はまるまると肥えている。
「パッツン、おいで」
前髪をパッツンと切ったような模様が目の上にあるからと、私は勝手にそう呼んでいるが、以前は別の名前で呼ばれているのを見かけたことがある。
きっとそれぞれが好きな名前で呼んでいるのだろう。人懐こい猫だから、どんな呼び名で呼ばれようが近づいてきてくれる。
その姿が可愛らしく、猫に会えた日は一日中穏やかに過ごせるほどだ。
「私からは餌はあげられないんだが。ごめんね」
「にゃあ」
「それでもいつも私のところに来てくれるんだね。ありがとうね」
何も持っていないと分かっていても離れて行かずに、私の足元に擦り寄るその猫の頭をしばらくの間何度も撫でた。
「お邪魔します」
「どうぞ」
「いきなり来てしまってごめんなさい」
一時間ほどして彼が家にやって来た。私の家に何もないと分かってか、ちょっとした食べ物やお菓子、飲み物を買って来てくれていた。
私用の水も入っていて、それが普段飲んでいるものと同じボトルだったことにすら、思わず口角が上がってしまうほどご機嫌な気持ちになる。
「何もおもてなしできず、ごめんね」
「いいんです、ちょっと会いたかっただけなので」
ソファに案内すると、「じゃあ」と言って肩が触れる距離で私の横に座る。
不自然にならないように座り直したかった私は足を組み、彼から少しだけ離れた。
「あ、」
「え?」
「隆義 さん、今日猫触りました?」
「……え?」
なぜそれを? と思えば、私のズボンの裾に猫の毛が数本残っていた。取ったつもりだったのに、全て取りきれていなかったのか。
「よく気づいたね。さっきコンビニに行こうとしたら野良猫がいて触ったんだよ」
「全体的に白くて、頭のところと尻尾が茶色の猫ですか?」
「え!?」
私があまりにも驚いた顔をしたからか、弘明 くんがクスッと笑った。
でもどうして彼がその猫を知っているのだろう。配達の時にでも見かけたのだろうか。
「弘明 くんも知っているんだ? あの猫、人懐こくて可愛い猫だよね」
「俺も配達の時に、時々見かけるんです。でもあの猫、全然寄って来てくれなくて。人懐こくないですよ。俺のこと、怖いのかな?」
「そうなんだ……。あの猫からそばに来てくれたから、みんなに懐く猫なのかと思っていたけれど、違ったのかな」
私には最初から警戒心もなく、むしろあの猫から寄って来てくれたというのに。私より爽やかで優しそうな彼には、どうして懐かないのか。
「隆義 さんには懐いているみたいですね。羨ましいなぁ」
「あ、別に餌とかあげているわけじゃあないからね」
「そんなこと分かっていますよ」
もしかして、近寄って引っ掻かれでもしたらどうしよう、というネガティブな気持ちが伝わっているのかも……と、彼は眉を垂らして笑う。
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