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第46話
それでも、こんなふうに喜びを表現してくれる彼を見ていると、やはり今回貸すだけだとは今更言い直したくはない。
「迷惑じゃあないのか?」
「迷惑って何のことですか? 俺、今が人生で一番嬉しいかもしれないし、ここまで来たらこの嬉しさを更新していきたいとすら思ってしまいます。俺、どんどん欲張りになりそう。隆義 さんてば、俺をどうしたいんですか。うう……、隆義 さんを看病できただけでも嬉しかったのに」
早く貸してください、と言う彼に箱を渡すと、その中に入っていた予備の鍵を手に取り、それにキスをする。
驚く私についでにキスをし、部屋の電気にかざすようにして眺め始めた。
まるで宝石でも見ているかのようだ。ただの鍵なのに。
「よく分からないが、嫌でないなら今日はその鍵を使ってもらえると嬉しい」
「今日だけとは限らずに使わせてもらうし、大切にします。まあ隆義 さんがいない時とか、連絡なしに来ることはないですけどね。でも鍵を貰ったって事実が、こんなにも嬉しいんです。俺、今日はもうダメです。隆義 さん病人だから早く休ませなきゃいけないのに、嬉しくて嬉しくてこんなに騒いだりなんかして。この気持ちを伝える相手もいないから、あなたにこうしてぶつけるしかないし。喋り続けてしまいます、やばいですね俺」
まるで棗 さんのように話し続ける彼に、思わず吹き出して笑うと、それにつられて彼も笑った。
散々並べた言い訳も彼の前では無意味なことでしかなかった。考える時間すら無駄だった。
「そんな反応がもらえるだなんて思っていなかったよ」
「どんな反応だと思ったんです?」
「……具体的に想像していたわけではないが、少し面倒がられるかと」
「そんなことあるわけないです。隆義 さんは、色々と考え過ぎなんですよ。まぁまだ俺がそれを拭ってあげられないのも問題なんですけどね」
起こしていた上半身をベッドへと引き戻され、肩がきれいに隠れるように布団をかけられる。
首元の布団を整えたついでに指先で頬を撫でられた。体調が優れずに人に甘える経験など、一体何十年振りだろうか。
「とりあえず、隆義 さんが眠るまではいますから」
「眠るまではさすがに申し訳ないから、あと少しだけで」
「まあまあ、気にせずもう休んでください。仮に寝てしまっても、俺も好きなタイミングで帰りますから。心配いらないですよ」
トントンとリズムよくお腹の辺りに触れられているうちに、少しずつ瞼が重くなっていく。あれだけ寝ないと言っていたのに、あまりにも呆気ないな。
「早く元気になってね」
意識がぼんやりとする中で、彼の言葉や体温をいつまでも確かめた。
私がもう寝ていると思ったのか、弘明 くんは、最後に「可愛い人」と私にキスをする。
彼が立ち上がる音、ドアが開けられる音、玄関の鍵が閉められる音、それらの音を聞きながらどうしてか涙が溢れた。
嬉しさと虚しさ、様々な感情が入り混じる。帰らないで欲しいと素直に言える私ならば、関係性ならば良かったと、そんなことを思いながら頬を流れる涙を拭った。
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