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第55話
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買い物を終え、棗 さんがそろそろ帰ると言うから、私も彼女と駅に向かうことにした。
今日は元々小説の材料集めのための外出だったのだが、彼女に圧倒されながら彼のことや自分のことに向き合っているうちに、体力が削られたようだ。
カフェで話をし、服を選んだだけなのにどっと疲れを感じるが、服選びの際の彼女の熱量を思い出すと、笑みが溢れてくる。
ただでさえ部屋着でしか買うことのないパーカーを提案され戸惑っているというのに、「いつもの先生の雰囲気とは違って鮮やかな色のものが良いかもしれない」と、これまた私が選ばないようなものを選択する。
それからすぐに「パーカーだけで変なラフさが出ないように、上にジャケットを羽織ると良いですよ。これで綺麗めにもカジュアルにも、どちらかに寄りすぎない感じになるので」と、私に馴染みのあるジャケットを持ってきてくれた。
最後に「ボトムスは落ち着いた色味が良いので黒にしましょうか? 先生、黒色を持っていたとしても随分と昔に購入したものだろうから、新しく買い直すってことで良いですよね? それから、できるだけその色に近い革靴を合わせて欲しいので、前のイベントで履いていたあの靴にしてくださいね」と強めの圧で黒色のチノパンを合わせる。
言われるがままに試着を済ませると、気合をいれすぎた印象もなく、自然なラフさと馴染みやすさのあるファッションが完成していた。
試着した私を褒めてくれ、私も彼女のセンスを褒め返すと、「ステレオタイプ的な紳士像で選ぶのではなくて、抜け感も大切にしてくださいね」と、それらしいことを言って決めポーズをするものだから、私もその場の雰囲気に流され、棗 さんが選んでくれた他の服までまとめて購入してしまった。
それでも、ずっしりと重い紙袋を見ていると、彼女のおかげで充実した時間を過ごせたように思う。一人ではここまでのことはできなかった。
すぐに自信が持てるわけではないが、こうして背中を押してくれる人がいるのだから、私もいつまでも同じところにいないで踏み出してみるべきだろう。
彼とのメールや電話でのやりとりの中で、ではなく、会った日に直接気持ちを伝えてみても良いかもしれない。
好きだとか、私を選んで欲しいだとか具体的なことではなく、ただ彼と過ごしている時間が楽しいと、そういう気持ちから少しずつ伝えていこうか。
歩いているうちに、緑の看板が視界に入ってきた。「さっき行った店ですね」とご機嫌な声で棗 さんが言う。
私たちが過ごした時間帯よりもさらに人が増えたようで、店の入り口前に人溜まりができていた。
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