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第56話
「買い物前に行っていて良かったですね」
「そうだね。これだけ人がいたんじゃあ、あの二階もいっぱいになっているだろうね」
些細なやりとりをしながら店の前を通り過ぎようとした時、「予約していた原沢 です」との声がし、何となく振り返ると、背の高い緩めの茶髪の男性が視界に入ってきた。
名字も原沢 だし、もしかして弘明 くんじゃないか? とそんなことを思ってしまう。
すぐに結びつけてしまうあたり、相当だな。さっきまで棗 さんと話していたし、弘明 くんと出かけるための服まで選んでいたせいで、頭の中が彼だらけになっている。
「先生、どうかしました?」
「いや、何でもないよ」
それでも、棗 さんにも会い、弘明 くんにも会うだなんて、そんな偶然が重なるわけがないと思いながら、確認もせずに止めていた足を一歩踏み出したところで、「弘明 ちゃんと予約してるとかさすがじゃん」と女性の声がした。
今、弘明 って言った?
一歩踏み出したところでまた立ち止まり、そんな私に合わせて棗 さんも足を止める。
弘明 くんかもしれないと見ていた男性の横には、髪の長い小柄な女性が、肘が当たるくらいの近さで立っている。
「先生、あれって弘明 くんじゃあないですか?」
棗 さんの声に、その男性がこちらを振り向くと、やはり弘明 くんだった。
「あれ? 隆義 さんと棗 さん? えっ、こんなところで会えるなんて。お仕事か何かですか? 隆義 さん、いつもと雰囲気が違いますけど」
誰にも会わないようにと願っていたのに、こうして彼にまで会ってしまうなんて。
それでも元々はこの姿を見られたくないとの気持ちからそう願ったことだったが、今は隣にいる女性のほうが気になってしまい、できるならばこのような場面は見たくなかったと思ってしまう。
「弘明 くん……」
隣にいるその女性は誰? 家族にしては微妙な雰囲気があるし、けれどその距離感でいるのだからきっと近しい存在の人なのだろう。
弘明 、と当たり前に彼の名前を呼び、堂々と彼の横に立っている。彼とふたりきりの時でさえ、私はこの女性のように構えることすらできないというのに。
弘明 くんの前で、ただおどおどとしているだけの私は、彼女の瞳にどのように映っているのだろうか。
「えっ、というか隆義 さん、短い髪も似合いますね。この髪型の隆義 さんもすごく良いです」
隣の女性が私たちのことをどのように思いながら見ているかなど気にする様子もなく、弘明 くんは私の髪型を褒め始める。当たり前のように毛先に触れ、私を見つめて微笑んだ。
そんなことよりも、と彼の言動を指摘したくもなるが、そういう私もこの状況で何もすることができない。
棗 さんも彼の横に立っている女性の存在を気にしているようだが、弘明 くんが何か言うまで待っているようだ。
「それで棗 さんとは? 何しているんですか? まさか、デート?」
そんなわけないよね? とでも言いたそうな表情でこちらを見ているが、そのままの台詞を彼に返したいくらいだ。棗 さんも間違いなくそう思っているだろう。
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