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第60話
部屋に入るとシャツのボタンをいくつか外したところで疲れてしまい、ソファに傾れ込むように飛び込んだ。
裾についた猫の毛を取ることも、着替えることすらできないまま、ぼやけた視界の中で天井を見つめ続けた。
棗 さんに申し訳ないことをしたし、連絡だけでもしておいたほうが良いと思ったが、それはもう少し後でも彼女は許してくれるだろう。
涙が溢れて静かに頬を伝っていくのを感じながら、しばらくの間、目を閉じていた。
“ピンポーン”
目を閉じているうちにいつの間にか眠ってしまっていたようだった。インターホンの音で起こされたものの、あれからどのくらいの時間が経ったのかはすぐに分からない。
何も頼んでいないし、ましてや私宛に荷物を送ってくる人もいないのだから、このタイミングで来るのは棗 さんか、弘明 くんだろう。
でも駅で別れた棗 さんの様子から、さすがに今日は家には来ないはずだ。着信やメールがないか起き上がって確認するも、1件の連絡すら入っていない。
何度も部屋に響き渡るその音を無視し、再びソファに背中を預け、クッションに顔を埋める。そうしたところで大した意味はないが耳も塞いだ。
そのうち、私からの応答がないから諦めたのか、響いていたその音が静かになった。次は電話が来るかもしれないと、その前に携帯の電源を切ろうとボタンに触れた時、ガチャリと鍵が差し込まれる音がした。
「……え、」
どうしてこのような音がしているのか一瞬パニックになったが、少し前に私が彼に鍵を渡したことを思い出す。
あの時は緊張して鍵を渡し、喜んで受け取ってもらえたことに安堵するほどだったのに、今はもう後悔しかない。
まさかあの時の自分が、今の自分の首を絞めるとは思っていなかった。ひとりで気持ちを落ち着かせる時間もくれないのか。
どうせあのまま帰らずにどこかを出歩いているわけでもない私が行く場所ときたら自宅しかないのだから、連絡が繋がろうがそうでなかろうが、そこは気にすることなくここに来て確認したほうが早いと考えたのか。
着信やメールの履歴がないのもそれが理由だろう。
部屋の掛け時計を見れば、私が乗った次の電車に乗った程度の時間差しかなく、私は大して眠っていなかったし、彼もあの後すぐにここに駆けつけたのだと分かった。
「隆義 さん、上がりますね!」
玄関から弘明 くんの声がし、少しの間もなく部屋のドアが開く。息を切らしたままの彼が大股で私のところまで歩いて来ると、そのまま腕を強く掴み、無理やり私を立ち上がらせた。
「っはぁ、隆義 さん、」
「……っ」
「ねぇ、隆義 さんってば、」
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