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第68話
「棗 さんも、さすがにあなたを怒らないですよ。というか、隆義 さんが棗 さんを信頼しているのと同じで、俺も信頼しているから先輩に話したんです。それに、先輩に伝えるくらい何だって言うんですか? これから先、もっと色んな人に伝えていかなきゃいけないんだから」
「どういうことだ?」
ベッドから立ち上がり、まだ布団が脚に布団がかかったままの私の手を取る。
反射的に彼の手を掴めば、あっという間に正面に立たされ、唇を奪われた。
「俺はあなたのこと離す気ないですから。覚悟しててください。とりあえずご飯でも食べますか?」
「……っ」
何の言葉も返せないまま、彼に手を引かれリビングへと向かった。
以前に彼と棗 さんが買ってきてくれていたゼリーなど、冷蔵庫に入っている軽いものを朝食にしながら、日常の話、これまでのお互いの話、職場の同僚や先輩の話をした。
ときめきを感じるような特別な話題ではないが、彼のことを知ることができる、ただそれだけのことで何気ない日が素晴らしいものになるように感じる。
寝起きでうっすら髭のある彼もやはり素敵だし、まだ直していない寝癖も可愛い。見慣れたこの部屋もいつもより明るく感じられ、彼の周りが輝いているようにすら見える。
ありきたりだけれど、恋って素晴らしいものだと、久しぶりの感覚にひとりで恥ずかしくなった。
それから、彼の横で棗 さんにも連絡をとり、何がどうなったのかについては直接話をする約束をした。
先生が幸せならなんだって良いのだとのメッセージが送られており、画面越しなのに彼女の顔が浮かぶ。
彼女にはたくさんの迷惑と心配をかけてしまったから、何かお詫びの品を用意しなければ。
「そういえば俺、“あなたのおはようを今日も僕に”っていうお話が好きなんですよね」
「え?」
食べ終えた容器を片付けながら、彼がふとそんなことを言った。
驚いて彼を見れば「隆義 さんも知ってる?」と嬉しそうに笑う。
知っているも何も、それは……。
「高原 サワヨシさんって作家さんが一番好きだと、前にも言ったと思うけど、この作家さんは隆義 さんも本を持っていたよね? この本も持っていますか?」
「……前見せた本棚のどこかにはあるよ」
「何冊か積んでありましたもんね。この作家さん、いつもほの暗いお話を書くじゃあないですか。ほの暗いし、救われることもほとんどないけれど、だからと言って残酷さとか冷徹さが目立つわけでもなく、その中に脆い優しさみたいなのが感じられて好きなんですよね」
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