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七日間かけて終わった海の旅。
次に辿り着いた場所は、それはそれは美しい小島だった。
「勇者様、建物全部が白いよ!」
「この島で一番調達しやすい建築材料を皆が使用しているからだ」
「花、綺麗だね! 道も綺麗!」
「それに、ここは日差しが強い。内部が高温にならない効果もある」
「噴水も綺麗!」
心地いい海風が吹き抜ける海辺の町。
時刻は夕方、丘の斜面にずらりと建ち並ぶ白壁の建物、曲がりくねった階段、入り組んだ坂道に西日が惜しみなく注がれている。
どこからともなく舞う、花と潮の香りがロマンチックなムードを高めていた。
(男心くすぐられちゃう……!)
贅沢な夕景ではなく、道行く女性に見惚れていたステュは、いきなり頬を抓られて目を白黒させた。
「わかりやすく鼻の下を伸ばすな」
(俺のほっぺた、いつか千切るつもりなのかな、勇者様)
ヒリヒリする頬を撫で、次にお腹に手を当てた。昼にパンを食べたきりで腹の虫がここぞとばかりに騒いでいた。
(その辺に咲いてる花の蜜、吸っていいかな、あっ、あのピンク色の花とかおいしそう)
「花を毟ってる暇なんかない、行くぞ」
「どこ行くの? 俺、お腹減った……」
ガス灯にぱっと点ったオレンジ色の火。
石畳までもが白い道の片隅でディナイは立ち止まり、ステュを見下ろす。
町全体が白いせいなのか。黒ずくめの勇者は、とても目立っていて、通行人の注目を一身に浴びていた。
「確かに、な。先に腹ごしらえしておくか」
客でいっぱいの宿屋の食堂。
この島は保養地として有名らしく、たくさんの旅行者が様々な国から訪れるという。確かに瞳や髪の色、会話でのアクセントやイントネーションなど、各テーブルでばらつきがあった。
「この島は大陸に囲まれた内海にあって、昔から他種多様な民族が行き来していた」
「大陸に囲まれた内海……?」
「でかい水溜りの真ん中に浮いた葉っぱだと思え」
「ふーん!」
「二番目の天国」と呼ばれているこの島は、年がら年中お日様に照らされているそうだ。
たまに雨が降るくらいで、激しい寒暖の差がない、一年を通して過ごしやすい穏やかな気候にあるという。
「海に遺跡に洞窟に、魅力ある名所は色々あるが、最も知られているのが……」
料理が運ばれてきてディナイは一旦口を閉じ、ステュは目を輝かせた。
「これ全部食べていいの!?」
花瓶が置かれたテーブルを埋め尽くしていった、湯気が立ち上る、出来立て料理の数々。
「どれから食べよう! 迷う!」
わざわざ立ち上がってまで感動しているステュにディナイは淡々と言う。
「俺の分まで食うんじゃないぞ」
「よっし、決めた! 一口目はこれにする!」
ステュは花瓶に活けられていた色とりどりの花の内、ピンク色の花を毟り取った。
さらにガクを毟ると、逆さに持ち、先端に口をつけ、蜜を吸った。
「えっ?」
パン入りのカゴを運んできた食堂の給仕に驚かれて、ステュは花に口をつけたままピタリと静止した。
近くのテーブルにつく客がクスクス笑っているのに気づくと、ワケがわからず、直立不動に。
(あれ? もしかして、今、俺って恥かいてる?)
花の蜜を吸うのは、そんなにおかしなことなのか。
「勇者様……? これって変なことなの……?」
村では見たこともなかった手の込んだ料理。確かに美味しそうだが、淡くて優しい色をした花の蜜の味がステュは気になったのだ。
(違う、ひょっとして、俺が勇者様に恥をかかせてる?)
周りの客に笑われている状況にステュは顔を赤くした。自分が田舎者だとバカにされるのは仕方ない。実際、そうなのだから。
でも、命の恩人であるディナイの顔に泥を塗るのだけは嫌だった。
「あ、勇者様……」
向かい側に着席するディナイの、指なしの革手袋をはめた手が、テーブルを所狭しと占領する皿の上を通過し、花瓶へ伸びた。
ステュが選んだものと同じ花を摘まみ上げると、ガクを毟り、千切った方の先を口元に運ぶ。
恭しげに花弁を持ち、鋭い目を伏せ、たまに手厳しい唇で、そっと吸った。
「食前酒代わりに丁度いいな」
クスクス、ヒソヒソだった声が、ホゥ……と一斉にため息へと変わった。
ステュはというと、もっと落ち着かなくなった。
頭の天辺から指の先まで熱くなって、今までに感じたことのない変な感覚に襲われた。胸の奥がムズ痒くなるような、心臓が粟立つような、何とも言い難い心地だった。
「とりあえず座れ、ステュ」
「あ、ハイ」
「中には毒性の花もあったりするからな。ミツバチみたく手当たり次第に吸うんじゃないぞ」
「うん」
「そろそろ皿の上の料理に手を出す気にはならないか?」
「あっ、うんっ、そろそろ食べる!」
(この勇者様、怖くない、優しい)
いやに脳裏に刻まれた、ディナイの吸蜜の姿にどぎまぎしつつ、ステュはやっと温かな食事を口に運んだ。
「今日からここがお前の仕事場だ」
「ここ? ここって……?」
「娼館だ」
「しょうかん……?」
キョトンとしていたら、屈んだディナイに耳打ちされて、意味を理解したステュはカチンコチンになった。
波音のする夜。
満月の下、薄闇に映える白き洋館を前にして、衝撃の余り震えている初心なステュに黒き勇者は続けて耳打ちを。
「何でもするって言っただろ?」
(この勇者様、優しくない!)
見る間に赤面したステュは、低めの声が触れた耳朶まで満遍なく紅潮させるのだった。
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