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「これ……俺が勇者様にあげた、花嫁衣裳のヒラフワしたやつ?」 「これは花嫁が被るベールだ」 「ベール! 前よりも綺麗になってる、魔物の染みもない!」 「名うての染み抜き職人に頼んだからな」  生まれ育った村の唯一の形ある思い出。  常にひもじい思いをして、寂しかったり、悲しかったり、苦しかった出来事がそれはもう多かった。極めつけは生贄に選ばれたことだろう。僅かながら残っていた村に対する期待、未練が完全に断ち切られた。生まれ故郷からの巣立ちを決定的なものにした。  だけど、それだけじゃない。  母と父がいた。  曾祖父もいた。 (俺の命は、お母さんとお父さんにも守られた)  ステュは、もう記憶もあやふやになってきていたが、両親とあの村で過ごした。曾祖父にも優しくしてもらった。  このベールには幸せだった思い出が包み込まれているような気がした。 「あの村で一番綺麗だったもの」  純白のベールに頭をすっぽり覆われたステュは、繊細なレース越しにディナイを見た。 「俺に渡したとき、そう言ったな」 「うん」 「違う」  三年が経過した今頃になって、はっきりと否定されて、ステュは困惑する。 「あの村で一番綺麗なものはお前だった」  ディナイのまさかのお言葉に、ベールの下で、ステュの顔は満遍なく紅潮した。 「……いやいや、何を言いますやら……ヒラフワ、もう外してもいい?」 「駄目だ」 「さっきから駄目ばっかりじゃん!」 「よく似合ってる」 「ううん、似合わないよ。花冠も、このベールってやつも」 「誰よりも似合ってる」 (勇者様、健康そうに見えて、実は現在進行形でお熱ある?)  おかしなことばかり言って、おかしなことばかりしてくるディナイに、ステュは益々困惑した。 「俺が最初に贈ったものも、よく似合っていた」 「最初に……?」 「港町で買ったドレスだ。一目見て、ピッタリだと思った」 「娼館が男禁制だったからドレスにしたのかと今日まで思ってましたけど!?」  仮に、もし、似合っていたとしても。   自分は男だ。  三年前と比べて成長した。体力もついた。生まれつき体毛は薄いが、その内、ヒゲだって……。 「こんなに綺麗なもの、いつか似合わなくなるよ。だって、俺、男だもん」  儚げなベールを遠慮がちに握って、頭から外そうとすれば、ディナイはすかさずステュの両手を上から握り締めた。 「そのときのお前に一番似合うものを見つけてくるさ」  ステュは瞠目した。  胸の奥の奥が痺れたみたいになって、小さな雷にでも打たれたかのような心地になった。 「ベールは返したから代わりにもらうぞ」  思考が追い着かずにいるステュは、さらに身を寄せてきたディナイにどきっとする。 「へっ? えっ? はいっ? な、何をっ? 何あげればいいの!?」  花冠を頭に乗せ、ベールを被って、大いに混乱しているメイド服のステュに悦に入るようにディナイは目を細めた。  ステュの鼻の先でたくし上げられたベール。  独り言っぽくディナイは呟く。 「本当にでかくなったな」 「勇者様と出会ってから、俺、そんなにでっかくなった……?」  彼はステュの問いかけに答えなかった。  頭を屈め、半開きだった隙だらけの唇にキスをした。

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