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第9話 十月某日【視線の先】鴫野
先輩がたまに目で追っている誰かに気づいた。
きっかけは、三年のフロアまで先輩を迎えに行ったとき。フロアに上がると先輩の姿が見えた。けど、先輩は俺には気付いていなくて、ぼんやりと何かを見ていた。視線を辿った先には、背が高くて黒い短髪に切長の目の、ちょっと尖った雰囲気のイケメンがいた。俺が先輩に近付いて声をかけて、ようやく先輩は俺を見た。
先輩は特段慌てている様子はなかったけど、きっとそうなんだろうなと思った。ただの勘だった。
そして今日も、俺は先輩に呼び出されて三年のフロアにやってきた。先輩と会うときは大体、おれがお迎えに上がる。階段を上がった先の、ちょっとしたスペースで先輩を待つ。
放課後になった廊下には、三年生の姿が増え始める。そのなかに、例のイケメンがいた。
背が高くて、顔がいい。もてそうな顔をしている。
あれが噂に聞く元セフレか。
その傍らには小柄な女子がいる。彼女だろうか。
あぁ、あれがそう?
かわいいけど、控えめに言って先輩の方が可愛くね?
と、思わず色眼鏡で見てしまう。性格悪いんで。
先輩だからあんまガンつけるのも良くないのでほどほどにしようと思ったところ。
「おい」
低めの張りのある声とともに膝裏を蹴られて振り返ると。
「蓮見先輩」
「ぼーっとしてんなよ」
「すんません」
何やってんだといいたげな顔を見下ろす。今日も例に漏れず、授業終わりに迎えにこいとメッセージが来ていたので三年のフロアまで迎えにあがった次第だ。
先輩は今日もかわいい。
こんなかわいいひと振るとかどういう頭してんだ、沸いてんのか、そんなふうに思ってしまう。色眼鏡だ。人の好みなんて人それぞれ、俺がとやかく言える話ではないのに。
「っ」
不意に先輩の表情が硬くなった。振り返ると、例の彼、とその彼女。もう後ろ姿だ。こちらを気にしていた気配もない。だけど先輩は俺の前で少しだけ小さくなっている。おれの陰に隠れているつもりだろうか。あれが元セフレでほぼ確定だ。
「先輩」
いつもより少しだけ、声を張った。
「行きましょ」
あの二人に、少しでも聞こえるように。
あいつに意識を向けるくらいなら、もっと俺を見てくれればいいのに。そんな気持ちも少なからずあった。
先輩と俺の行き先は、いつも通り俺の部屋だった。
部屋に入るなり先輩はベッドを占拠した。ここに来るまで終始無言だった先輩は、もはや定位置になりつつあるベッドの上に着席したところでようやく口を開いた。
「お前の写真のせいでフラれたってのは嘘。彼女ができるまでセフレしてって約束で、あいつに彼女ができたから別れたってだけ。割と本気になってたから、できないの悔しくて、お前に八つ当たりした」
先輩はわざと俺を怒らせようとしているみたいだった。甘えてみたり、かと思えばこうやって突き放してみたり。
「はぁ」
「だから、お前は被害者」
見上げる先輩の目は、期待と不安が入り混じった、俺の反応を窺う目だった。
先輩と視線を合わせ、座った先輩と向き合うように座って抱きしめる。
「いまさら、そんなことで俺があんたのこと嫌いになるとでも思ってるんすか」
流石にちょっと頭にきて、声が低くなってしまった。それくらいのことで嫌いになるわけないのに。
「なんで」
先輩の震えた声が聞こえる。先輩、また泣きそう?
「そんなに、浅くないんすよ、俺のは」
できるだけ優しい声で言った。別に、先輩に怒りたかったわけじゃなかった。なんせ、一年も溜め込んで煮詰まった想いだ。そんなに簡単に変わるわけがない。
抱きしめていた身体を離して、もう一度目を合わせる。先輩はもう泣いていた。
「……ばーか」
そんなの強がりでしょ。気が強そうなのに案外泣き虫で、なんていうか、ギャップ萌えだった。
ぽろぽろ溢れる涙で濡れた頬を両手で包む。先輩のほっぺは痩せてるのに柔らかくて、あったかい。なめらかな皮膚のすぐ下に、頬骨を感じる。
先輩は触っても嫌がらなかった。
「先輩、俺の彼氏になってよ」
「っ、るせ、いいから、早く、抱けよ」
色素の薄い瞳が溢れてくる涙で濡れて、ちらちらと煌めいている。先輩は熱い涙で頬を濡らしながら、俺に抱けと言う。泣き止まないとできないっすよ。とは言えない。本当は、泣いてない先輩としたいけど。
「先輩、なんで、俺としてくれるんすか」
なんとか先輩を宥めたくて、できるだけ穏やかな声になるように意識して声を出す。
「気持ちいいから」
先輩は唇をへの字にして目を逸らした。
「ならいいです」
今はそれで十分だった。童貞を奪ってくれた上、気持ちいいとまで言ってくれるなら、リップサービスだとしても十分すぎた。
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