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第13話 十月某日【ミニスカメイドとドーナツ】鴫野
文化祭。年に一度、一日限りの学校あげての祭りに、校内は浮き足立っていた。
俺も例に漏れずその中の一人だった。うちのクラスはお化け屋敷で、俺はこんにゃく係。写真部は作品展示だけ。部員はあちこちで写真を撮ったりしているらしいけど。
先輩のクラスはメイドカフェをやるそうだ。空いてるうちに覗きに行こうと思っていた折り、先輩のクラスの教室近くで廊下で賑やかな紙切れを拾った。
名刺くらいのサイズで、何やら手描きで賑やかな装飾がされた中央には『メイドと一日デート権』と書いてあった。
裏返すと、蓮見と書いてある。
蓮見、と聞いて思い当たるのは一人だけ。
先輩と一日デート? まだ俺だってしたことねーのに?
「あ、鴫野」
紙切れに集中していた俺は、声をかけられて、紙切れを咄嗟にポケットに捩じ込んだ。
「先輩」
目の前にいたのはメイド姿の先輩だった。いわゆるミニスカメイド。頭にはフリルのついたカチューシャが付いている。パーティーグッズのコーナーにあるみたいな、安っぽいやつ。それがまたいい。マジか。犯罪的にかわいい。考えた奴誰? 天才か。
「お前、校内でデート権て書いた紙見つけたら速攻捨てろ。破って捨てろ。燃やせ。いいな?」
先輩は目が据わっていた。声もいつもより低い。明らかに怒っている。これは逆らわない方が良さそうだった。
「わかりました」
「いい子だ。後でこいよ。サービスしてやる」
先輩は笑うと手をひらひらと振って教室に戻っていった。笑顔はいつもの先輩だった。
「これのこと、だよな」
やばい紙切れは、無くさないよう財布の一番奥にしまった。
とりあえず、出直した方が良さそうなのでクラスに戻ろう。昼前の時間帯にお化け屋敷のこんにゃく係の仕事がある。この前先輩に言ったら、お前ぽいと言われた。まぁ、言いたいことはわかる気はする。
昼過ぎ、こんにゃく係の務めを終えた俺は先輩のクラスのメイド喫茶に向かった。何組か客はいたが空席もあるくらいの混み具合だった。
様子を見るために教室を覗いた途端、先輩に捕まった。
「お、よく来たな」
そんな嬉しそうな声とともに腕をしっかり掴まれ、教室に引き摺り込まれた。
「こいつ、俺の客だから」
先輩は他のメイドさん達に声をかけながら、俺の腕を掴んだまま一番奥の窓際の席に俺を連れて行く。他のメイドさんは女子なんすね。ってか、先輩だけメイド?
よく見れば、他のメイドさんは正統派のメイドさんなのに対し、先輩だけミニスカメイド。マジか。
「お疲れ。お前、ドーナツ好き?」
「あ、はい」
嘘をつく必要もないので俺は素直に答えた。甘いものは割と好きだった。
「じゃ、これ。俺の奢り」
注文を聞かれないまま、差し出されたのはカフェオレとドーナツだった。先輩はドーナツを摘んで俺の前に差し出す。口を開けろ、ということらしい。嬉しいけど、ここで?
人目を気にして躊躇っていると睨まれた。渋々口を開けると、無遠慮にドーナツがねじ込まれる。随分とガサツなメイドだけど、楽しそうだからまぁいいか。
「む、んまい、っす」
柔らかくて口に入れると溶けそうな生地は、先輩の唇を思い出す。ドーナツは普通に美味しい。今度どこのやつか教えてもらお。
「だろ?」
先輩が笑った。かわいい。美味しいドーナツが食えて、かわいい先輩が見られるの、やばいな。ここが天国か。
「ゆっくりしてけよ。もう少ししたら、俺も上がりだから」
少しだけトーンを落とした声で先輩が言うから、心臓がギュッとなった。なにそれ。俺と先輩だけの秘密みたいで、鼓動が早まる。なんでそういうことすんの。すき。
ドーナツを食べてカフェオレを飲んで十五分後。
「お、食い終わった?」
制服姿に着替えた先輩が席にやってきて机に腰掛ける。手厚過ぎんか?
「はい、ごちそうさまでした」
「じゃ、行こうぜ」
ごく普通のことのように言うから、俺の方が周りの目を気にしてしまう。先輩なんて絶対クラスのカースト上位にいるのに、あんた、こんな陰キャの俺と行くんすか? どこに?
「え」
頭をフル回転させている俺のことなどどこ吹く風で、先輩は続けた。
「写真部の展示」
「え、行くんすか」
まさかの展開だった。
そりゃあ、一緒に見に行けたらいいなとは思ってたけど。
俺は先輩と連れ立って、写真部の展示をしている特別教室棟に向かった。文化祭デートみたいなことになってて、意味がわからない。手こそ繋がないが、先輩は肩が触れ合う距離で俺の隣にいる。
特別教室棟の廊下には、写真部のコンクール入選作品が飾られている。
「お、貸し切りじゃん」
先輩が嬉しそうな声を上げた。静かな廊下に先輩の声が反響する。先輩の言う通り、長い廊下を見回しても、他に誰もいない。
廊下に差し込む陽射しは夕方に近付いてうっすらと金色に色付いていた。先輩の横顔が照らされる。綺麗だなと思う。
ゆっくりと歩く先輩が足を止めたのは、俺の写真の前だった。これがなければ、俺は永遠に先輩には会えなかった。
そういえば、あれ以来あの写真の話はしていない。ちょっとしたトラウマみたいなもんだと思っていたから、先輩がこの展示を見たいと言い出したときは信じられなかった。
真剣そうな横顔が、俺のどうしようもない妄想と対面しているのが、なんだかすごく変な感じだった。
「なあ、鴫野」
先輩の声で俺の意識が現実に引き戻される。先輩の目はまだ写真に向いたままで、俺はその綺麗な横顔を眺める。
「はい」
「俺の思い出の上書き、してくれよ」
ぽつりと言った先輩の声は独り言のように頼りない。こっちがせつなくなるから、そんな声、出さないでほしい。
あんたが望むなら、上書きだって別名保存だって、なんだってやりますよ。
「そんなの、いくらでもしますよ」
俺が言うと先輩は俺の前まで歩いてきて、襟を掴んで引き寄せて、唇を重ねた。
あったかくて溶けそうな唇が、触れて、離れるだけのキス。
「ぜったい、な」
唇が離れたところで、先輩が言った。先輩の温度を帯びた吐息が唇をくすぐる。笑った先輩の唇から目が離せない。
「先輩、それって」
「またあとで、な」
俺の言葉を遮るみたいに先輩は襟から手を離すと、踵を返して行ってしまった。
廊下に取り残された俺は、ぼんやりと先輩の後ろ姿を見送った。
まだ唇には、あのとろけるような感覚が鮮明に残っていた。
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