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第35話 一月某日【上書きの終わり】蓮見
校門の近くまで並んで歩いてきたところで、鴫野が口を開いた。
「先輩。もう、上書きは終わりにしましょ」
神妙な声だった。言われた言葉はやけに鮮明で、はっきりと意識に焼きつけられた。
「は……」
心臓が痛いくらいに縮み上がって、口からは力なく声が漏れていた。
鴫野の隣を歩いていた俺は、往来のある場所だというのに思わず足を止めてしまった。幸い、授業はとっくに終わって部活の始まっている時間帯、校門前を通る生徒はいなかった。
終わり?
より濃く意識に焼きついた単語を繰り返す。
心臓がどくどくと鳴って、変な汗が滲んでくる。
頭の中では、鴫野がそんなことを言った理由を必死に探した。けど、答えは見つからない。
さっき、俺は何か間違えただろうか。
怒らせるようなことをしただろうか。
鴫野が怒らないラインをわかったつもりでいたけど、俺は間違えたんだろうか。
あの場所で、キスをしたのがいけなかった?
欲張ったから?
乗り気じゃなかったのはそのせい?
そんなことがぐるぐると渦を巻く。
「なんだよ、面倒臭く、なった?」
声が震えた。できるだけ軽く言ったつもりだったのに、鴫野にそう聞こえているかどうか不安だった。
鴫野がそういうことを言うのが初めてで、俺は動揺していた。
「俺のこと、嫌になった?」
声が震える。怖い。そうだと言われるのが、鴫野がいなくなることが怖い。
鴫野が足を止めて振り返った。
その目は、真っ直ぐ俺を見ていた。
「違います」
「じゃあ、なんだよ」
静かな鴫野の声とは正反対に、俺の声は上擦る。かっこ悪い。わかってるのに。
泣きそうだった。
「お前が、上書きしてくれるんじゃねーのかよ」
声が掠れた。
別れ話をされているわけじゃないのに、胸が痛い。
鴫野は、俺のことを捨てるんだろうか。
また、だ。また、俺は捨てられる。
もう、俺は鴫野じゃないとだめなのに。
あの感覚を思い出す。どうしようもなく悲しくて、悔しくて、惨めな、好きな人が俺から離れたときの、あの気持ち。
「先輩」
宥めるような、鴫野の優しい声がした。それは、ぐちゃぐちゃになった俺の胸に、優しく落ちてきた。
「先輩のことは嫌いになんてならないし、面倒でもないっすよ。だから、そんな顔しないで。俺と、新しい思い出つくりましょ。それで、俺が全部塗りつぶすから……それじゃ、ダメすか?」
鴫野の優しい声が紡いだ言葉が、温かく、胸に広がる。鴫野の言葉で荒れた胸の奥を、鴫野の言葉が優しく撫でていく。
やばい。泣きそう。
そんなの、嬉しいに決まってる。
「は……」
声がうまく出せなかった。目に涙の膜が張っているのがわかる。視界がぼやけて、喉が強張って痛い。
「先輩、なんで、泣きそうなんすか」
鴫野が眉を下げて笑う。なんでって、お前が変なこと言うからだろ。
言い出せない俺を、鴫野が見つめる。
「子犬みたいな顔してる」
言われて、涙の粒が頬を転がり落ちた。
その跡を、鴫野の手のひらが優しく拭ってくれる。
「はは、お前、言うようになったな」
塗りつぶしてほしい。元の色もわからないくらいしっかりと、鴫野の色で。
「そうだな。今度、デート、するか」
「っえ」
言い出したのは鴫野なのに、そんな驚いたような声出すなよ。
「新しい思い出、作ってくれるんだろ」
「……ッス」
目を逸らして、鴫野は照れていた。そういうところ、かわいいなと思う。
それはそうと、鴫野のものを咥える気でいた俺はこのままお開き、なんてことは避けたかった。
「なあ、フェラする口になってんだけど」
「飯みたいに言わないでくださいよ」
「飯みたいなもんだろ」
「もー、ムードってもんがあるんすよ」
「ふふ、はやく、しよーぜ」
俺は鴫野の腕を掴んで急かした。何やら言いたげな鴫野を引っ張るように、俺は鴫野の家に向かった。
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