35 / 47

第35話 一月某日【上書きの終わり】蓮見

 校門の近くまで並んで歩いてきたところで、鴫野が口を開いた。 「先輩。もう、上書きは終わりにしましょ」  神妙な声だった。言われた言葉はやけに鮮明で、はっきりと意識に焼きつけられた。 「は……」  心臓が痛いくらいに縮み上がって、口からは力なく声が漏れていた。  鴫野の隣を歩いていた俺は、往来のある場所だというのに思わず足を止めてしまった。幸い、授業はとっくに終わって部活の始まっている時間帯、校門前を通る生徒はいなかった。  終わり?  より濃く意識に焼きついた単語を繰り返す。  心臓がどくどくと鳴って、変な汗が滲んでくる。  頭の中では、鴫野がそんなことを言った理由を必死に探した。けど、答えは見つからない。  さっき、俺は何か間違えただろうか。  怒らせるようなことをしただろうか。  鴫野が怒らないラインをわかったつもりでいたけど、俺は間違えたんだろうか。  あの場所で、キスをしたのがいけなかった?  欲張ったから?  乗り気じゃなかったのはそのせい?  そんなことがぐるぐると渦を巻く。 「なんだよ、面倒臭く、なった?」  声が震えた。できるだけ軽く言ったつもりだったのに、鴫野にそう聞こえているかどうか不安だった。  鴫野がそういうことを言うのが初めてで、俺は動揺していた。 「俺のこと、嫌になった?」  声が震える。怖い。そうだと言われるのが、鴫野がいなくなることが怖い。  鴫野が足を止めて振り返った。  その目は、真っ直ぐ俺を見ていた。 「違います」 「じゃあ、なんだよ」  静かな鴫野の声とは正反対に、俺の声は上擦る。かっこ悪い。わかってるのに。  泣きそうだった。 「お前が、上書きしてくれるんじゃねーのかよ」  声が掠れた。  別れ話をされているわけじゃないのに、胸が痛い。  鴫野は、俺のことを捨てるんだろうか。  また、だ。また、俺は捨てられる。  もう、俺は鴫野じゃないとだめなのに。  あの感覚を思い出す。どうしようもなく悲しくて、悔しくて、惨めな、好きな人が俺から離れたときの、あの気持ち。 「先輩」  宥めるような、鴫野の優しい声がした。それは、ぐちゃぐちゃになった俺の胸に、優しく落ちてきた。 「先輩のことは嫌いになんてならないし、面倒でもないっすよ。だから、そんな顔しないで。俺と、新しい思い出つくりましょ。それで、俺が全部塗りつぶすから……それじゃ、ダメすか?」  鴫野の優しい声が紡いだ言葉が、温かく、胸に広がる。鴫野の言葉で荒れた胸の奥を、鴫野の言葉が優しく撫でていく。  やばい。泣きそう。  そんなの、嬉しいに決まってる。 「は……」  声がうまく出せなかった。目に涙の膜が張っているのがわかる。視界がぼやけて、喉が強張って痛い。 「先輩、なんで、泣きそうなんすか」  鴫野が眉を下げて笑う。なんでって、お前が変なこと言うからだろ。  言い出せない俺を、鴫野が見つめる。 「子犬みたいな顔してる」  言われて、涙の粒が頬を転がり落ちた。  その跡を、鴫野の手のひらが優しく拭ってくれる。 「はは、お前、言うようになったな」  塗りつぶしてほしい。元の色もわからないくらいしっかりと、鴫野の色で。 「そうだな。今度、デート、するか」 「っえ」  言い出したのは鴫野なのに、そんな驚いたような声出すなよ。 「新しい思い出、作ってくれるんだろ」 「……ッス」  目を逸らして、鴫野は照れていた。そういうところ、かわいいなと思う。  それはそうと、鴫野のものを咥える気でいた俺はこのままお開き、なんてことは避けたかった。 「なあ、フェラする口になってんだけど」 「飯みたいに言わないでくださいよ」 「飯みたいなもんだろ」 「もー、ムードってもんがあるんすよ」 「ふふ、はやく、しよーぜ」  俺は鴫野の腕を掴んで急かした。何やら言いたげな鴫野を引っ張るように、俺は鴫野の家に向かった。

ともだちにシェアしよう!