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第42話 二月某日【東京デート】蓮見
「先輩、東京行きません?」
「東京?」
金曜の放課後。鴫野の部屋で一戦終えた俺は、鴫野と後始末を一緒にしながら、鴫野に言われて間抜けな声で聞き返していた。
この前、デートに行こうと言ったのを忘れていた訳じゃない。
鴫野から言ってくれたのが意外で、すぐに反応できなかっただけだ。
「好きな写真家の、写真展があって」
鴫野は下を向いて、はにかむようにボソリと言った。
鴫野ぽいな、と思った。そういうのとは無縁な俺はこんなことでもなければ行くことはないだろと思う。鴫野の個展でもあれば別だろうけど。
「いいよ。行こうぜ」
俺は二つ返事で了承した。
だって、東京に行くなんて、そんなの明らかにデートだ。楽しみに決まってる。
「週末、ていうか、明日とか、空いてます?」
「ん、空いてる」
元々、予定なんてない週末だったので即決だった。こんなに早く、鴫野と東京に行くチャンスがやってくるなんて思っていなくて、俺の胸は俄かに色めき立つ。
「場所、後で送ります」
こうして、鴫野との東京デートが決まった。
鴫野は何だかずっと恥ずかしそうにしていて、俺まで何だか照れてしまいそうだった。
土曜、朝。駅で待ち合わせた。
五分前に着けばいいやと思っていた俺より早く、鴫野は駅に着いていた。いつものモッズコートを着ていたからすぐわかった。そうでなくても、背の高い鴫野は遠目からでもすぐわかる。
鴫野は俺を見つけると小さく手を振った。
髪も下ろしてるし、髭も剃ってない。わかってるじゃん、と思って俺は嬉しくなる。みんなに見せて回りたい気持ちと誰にも見せたくない気持ちが混ざっているけど。
だって、好きな奴が俺のために髪型変えてくれるのとか、服を考えてくれるのとか、すごく嬉しいと思う。
「先輩」
「学校じゃねえし、こうって呼べよ」
「……こう」
もう散々その呼び方で呼んでるはずなのに、こうやって改めて呼ばせると鴫野は照れる。いい加減慣れてもいいのに、とは思うけど、これはこれで可愛げがあっていいかと思ってしまう。
俺が頬を緩めると、鴫野は薄く笑った。
今日のコースは全部鴫野が調べてくれた。ギャラリーまでの行き方も、その後行くところも、鴫野が考えてくれた。つまり、今日のデートは鴫野プロデュースだ。
「行こうぜ」
俺は鴫野のカーキ色の袖を引っ張った。
柄にもなくはしゃいでいた。今朝は目覚ましより早く目が覚めたし、昨日は全然寝付けなかった。
二人並んで改札を抜けてホームに出ると、少しして電車が到着した。田舎なので、電車は各駅停車。快速なんてものはそんなにしょっちゅう走っていない。
それから、電車に揺られること約二時間。
テレビの話とか、写真の話とか、友達の話をして、乗り継ぎをして、二時間の道のりはあっという間だった。
やってきた写真展は、小さなギャラリーで開かれていた。思ったより人が入っていてびっくりした。
チケットを買って、俺は鴫野についていく。
静かなギャラリー。学校の教室くらいの広さのスペースは白い壁で迷路のようになっていた。そこに、幾つもの写真が並んでいる。俺は鴫野に並んで写真を眺める。
写真を見つめる鴫野の横顔を盗み見て、心臓が跳ねた。
俺のことなんて目に入っていない、目の前の写真に釘付けになっている鴫野の真剣な顔。こんな顔もするんだと、また知らない一面が見えて、胸が震える。
鴫野が足を止めたのは、風景写真の前だった。
見れば、それは海の写真だった。
どこかの海岸。湘南とかだろうか。
「なあ」
なんとなく、鴫野と行った冬の海のことを思い出した。邪魔しちゃ悪いと思いつつ、俺は鴫野に声をかけた。
「海、好きなの」
子供みたいな俺の問いかけに、鴫野は驚いたような顔をして俺を見た。
「え、あ、そう、すね。この人の海、雰囲気があって好きなんすよ」
言っていることはわかる気がした。
どこかもの寂しげな海の写真。人のいない、波打ち際。それは少し彩度が低いからなのか人物が一切いないからなのか、理由はわからなかったけれど、寂しそうだと思った。だけど、その雰囲気が好きだった。
「俺も好き」
口をついて出たのは素直な言葉だった。
それを聞いた鴫野が笑った。
「よかった」
「また、行こうな。海」
鴫野と行った冬の海を思い出す。今度は夏がいいと、ぼんやり思った。
「はい」
そんな会話をしながら、ゆっくりギャラリーを見て回った。
風景の写真が多かった。海、山、街。そのどれも、言いようのない寂しさがあって、好きだと思った。
最後にあった物販で、鴫野は写真集を買っていた。俺は少し離れた場所でそれを見守る。
「あ、あの、南さんのファンで、あの、海の写真、すごくよかったです」
どうやら、物販にいたのは写真家らしかった。
「ありがとうございます。学生さん?」
「はい」
「来てくれてありがとうございます。よかったら、また見にきてください」
「はい。絶対来ます」
あー、めちゃくちゃ嬉しそう。犬だったらめちゃくちゃ尻尾振ってるやつだ。
こんなに喋ってる鴫野を見るのは久しぶりだった。
あー、握手までしてもらって、良かったな。
俺とも、あれくらいいっぱい喋ってくれてもいいのに。
俺と鴫野の共通の話題は意外と少ない。それに気付いてしまって、少し寂しくなった。
鴫野は頭を下げると、そんな俺の元へ走ってきた。
「すんません、ご本人いたの嬉しくて」
「めちゃくちゃ喋ってたな」
「えっ、あ」
「いいよ、ファンなんだろ」
そうは言ったけど、ちょっと悔しかった。
気持ちはわからないでもないけど。
「こう、怒った?」
「怒ってねーよ。少し寂しかっただけ」
「メシ、行きます?」
「ん」
ギャラリーを出た俺たちは、十五分ほど歩いたところにある喫茶店に行くことにした。パスタが美味しいらしい、レトロな喫茶店。
「俺、先輩があの海の写真、好きだったの、嬉しい」
「なんで」
「俺が一番好きなやつだからですよ。先輩もいいなって思ってくれたの、なんつーか、上手く言えないですけど、嬉しい」
「そっか」
心なしか、鴫野の頬が赤い。
鴫野が嬉しく思ってくれているなら、それでよかった。そうやって、鴫野と話ができるなら。
「お前個展とかやんの?」
素朴な疑問であり、俺の願望だった。コンクールで賞を獲るような鴫野が写真家になったら、いつか、鴫野もあんなふうに個展を開いたりするんだろうか。
「そりゃ、いつかやりたいですよ。その、いつか、有名になったら」
鴫野は俯いてぼそりと言った。
「ふふ、そしたら、お花とか出してやるよ」
「ありがとうございます」
「あの写真も飾んの?」
俺が言ったのは、学校の写真のことだ。俺と鴫野がこうなるきっかけになった、あの写真。なんか賞獲ったんだっけ。
「っえ」
わかりやすく狼狽える鴫野。こいつ何か勘違いしてるな。
「学校の写真」
「ああ、いや、あれは」
鴫野は赤い顔でちらりと俺を見た。
「もう、誰にも見せたくないです」
目を伏せた鴫野。その横顔に、俺の胸が跳ねる。
そんな優しい顔に独占欲を滲ませるから、俺は鼓動が早まるのを止められない。
「あんた絡みの写真は、もう俺だけの秘密にするって決めたんで」
鴫野が続けた言葉は、俺の胸の深くまで落ちて染み込んだ。
誰彼構わず見せて回りたい気持ちと、同じくらいおおきい、隠して誰にも見せたくない気持ち。鴫野にもそれがあるのがわかって、俺だけ空回ってるわけじゃないんだと思うと嬉しかった。
「お前……」
「こうには、そのうちフォトブックか何かにして渡すから」
「……ハメ撮りは?」
周りに人もいないし、悪戯ぽく俺が笑うと鴫野はいよいよ顔を赤くした。
「ばっ……、あれは出せる訳ないっしょ、絶対社外秘!」
声を上擦らせる鴫野を見て、俺は笑った。
「はは」
本気で狼狽える鴫野は、可愛かった。
いつか、鴫野の個展が決まったら、絶対に花を出そうと心に決めた。
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