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第46話 三月某日【青春の終わり】蓮見
鴫野には伝えてあった。
東堂と長谷川と俺で、どこにいくかは決まっていないけど、三人で遊ぶ約束をした。
最初はふわっとしていたその約束は、東堂の家でゲームをやるということになった。東堂の発案だった。俺も長谷川も、それで了承した。
約束の日。東堂の家は鴫野と同じ最寄駅だ。スーパーが開く時間に駅に集まって、スーパーでスナック菓子やら飲み物やらを買い込んで、東堂の家で一日中、馬鹿みたいにはしゃいだ。
この三人で、こうやってバカみたいに騒ぐのは久しぶりだった。
三人とも、志望校に合格が決まった。長谷川は難関校だし、東堂は理系の有名校。三人全員合格が決まってよかったと思う。
三人でゲームをしながら、ずっと他愛無い話をした。東堂は長谷川に彼女を紹介しろと言ったり、合コンをセッティングしろと言ったり。長谷川は長谷川でお前には会わせたくないとか、めんどくせーとか、好き放題言っていた。
俺は笑いながらそれを眺めた。
長谷川が近くにいても、もう大丈夫だった。俺は笑えてる。東堂と長谷川をいじっても、長谷川は笑ってくれた。
笑顔がまた見えて、安心した。
一応、友達には戻れたんだろうか。ぼんやりとそんなことを考えた。もう口を利くこともないだろうと思っていたから、なんだか肩透かしを食らった気分だった。
昼飯は近くのファミレスに行って、それからまた東堂の家でゲーム。東堂は日が暮れる前に満足したらしく、そこでお開きになった。
まだ夕暮れには早い空は、うっすらと色づいている。
東堂の家を出て、長谷川と二人で駅までの道を歩く。
話は普通にできた。わざと鴫野の話題には触れないみたいだったけど、長谷川は前みたいに変わらず落ち着いた声で話をしてくれた。
長谷川は東京に出るらしく、部屋の契約をした話とか、引越しの話をした。満員電車に乗るのは嫌だなって話も。そんな話をしているうちに、駅の北側のロータリーに着いた。南口の方が商業施設が多いせいか、北口側は人が少なく閑散としている。
長谷川が乗るのは下り方面の電車、俺は上り方面だから、ここで別れたら、もう会うこともないかもしれない。そう思うと、なんだか少し感傷的になっていた。
「ビンタして、悪かったな」
話が途切れたところで、俺はずっと言わないといけないと思っていたことを長谷川に言った。あれから顔を合わせることはなかったし、東堂のいるところでする話でもないと思ったからだ。
「気にしてねーよ」
長谷川は薄く笑った。
免罪符が欲しかった俺はその顔を見て少し安心した。
セフレになる前は、気の合う友達だと思っていた。だから、完全に同じでなくても、また戻れたのならよかったと思う。友達がいなくなるのは、やっぱり寂しい。
「蓮見」
呼ばれて、無防備に長谷川を見上げたときだった。
思ったより顔が近くにあって、俺は何の反応もできなかった。なんでそこに長谷川の顔があるのか、俺はその理由がわからなかった。
そのまま唇が触れ合って、心臓が跳ねる。
痛いくらいに脈打つ俺の心臓のことなんか知らないみたいに、唇はすぐ離れた。
何度か触れたことのあるそれは何も変わっていなくて、胸が苦しい。
「なんで」
声が震えた。喉の奥が引き攣る。
好きだった。けど、それはもう終わった。なのに。
「なんでだろうな」
長谷川は目を細めて笑う。頬を優しく撫でる長谷川の乾いた手のひらは温かかった。
胸が漣立つ。ざわざわと、あの夏の終わりに味わったあの感覚が戻ってくる。
あの頃欲しくて仕方なかったはずのそれは、今となっては全く意味が違った。
「は」
意味のない、小さな声が漏れていた。
多分これは、さよならの代わりだ。なんとなくそう思った。長谷川もわかってるみたいだった。
「今じゃねーだろ」
掠れた声でそんな言葉を吐くので精一杯だった。頭の中はぐちゃぐちゃになってまともにものを考えることなんでできない。
「そうだな」
長谷川は眉を下げて笑った。尖った雰囲気が和らぐ。こいつの笑った顔が好きだったことを思い出す。だけど、全部、終わったことだ。
「バカなんだよ、俺は」
「そんな訳ねーだろ。難関大学受かったくせに」
「そういう意味じゃねーよ」
そんなのわかってる。長谷川は笑うと俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。くそ。
「じゃあな」
穏やかな長谷川の声に、俺は何も言えなかった。
長谷川は薄く笑って、俺から手を離した。それが名残惜しく思ってしまって悔しい。
長谷川は静かに駅の方へと歩いていく。
「……じゃーな」
消え入りそうな声で言うので精一杯で、俺はぼんやりと長谷川の後ろ姿を見送った。
残された俺はというと、天下の往来でぽろぽろと涙を零していた。早く止めたいのに、止まらなかった。喉が引き攣って痛い。声を上げて泣きたいのを必死に堪える。
あの夏の終わりに終わったはずの恋心は、ひどく優しい方法で、もう一度とどめを刺された。
歩道に突っ立っているわけにもいかないので、ふらつきながらロータリーの隅のベンチに座って、震える手でスマートフォンを握る。
『むかえにきて』
『北口のロータリー』
鴫野にそうやってメッセージを送るので精一杯だった。涙は止まらなくて、頬を熱く濡らしている。
『すぐいきます』
『ごふんできいます』
すぐにそんなメッセージが返ってきた。そういえば鴫野も春休みだったことを思い出す。
今の俺に縋れるのは、鴫野しかいない。こんなときだって、真っ先に頭に浮かぶのは鴫野だ。
眉を下げて、どうしたんですか、とか、大丈夫ですか、とか、俺を覗き込む眠そうな目がたまらなく恋しい。
「しぎの」
思わず声が漏れた。
早く来てくれと願いながら、俺はスマートフォンを握りしめて、涙を零しながら待った。
その五分すら馬鹿みたいに長く感じた。俺は何度もスマートフォンの画面を見るけど、時間は全然進んでくれなかった。
でも、本当に、鴫野は五分で来た。
「先輩!」
切羽詰まった声とともに自転車で俺の前まで駆けつけた鴫野は、自転車を止めると、慌てた様子で俺の隣に座った。
「なんでそんな、泣いてんの」
「みき、たか」
「あーもう、泣かないで」
鴫野もなんとなくわかっているんだろう。それ以上何も言わなかった。
鴫野の巻いていたマフラーを巻かれて、顔を隠されて、抱き寄せられる。
頭を鴫野の胸に押しつけられると、鴫野の心臓の音がうっすら聞こえた。本当に急いできたみたいで、鼓動はめちゃくちゃうるさい。それからあったかい。
「落ち着くまで、我慢して」
促されて深呼吸する。息をするのを忘れてたわけじゃないのに、吸い込んだ空気が細胞まで染み渡っていくような気がした。
息をするたび鴫野の匂いがして、ぐちゃぐちゃになった俺の頭の中は少しずつ静かになっていく。
駅の裏、人通りが少なくてよかったと頭の隅でぼんやりと思う。
鴫野の心臓の音に撫でられるみたいに、胸の漣が凪いでいく。
「みきたか」
嬉しかった。こんなに必死に俺のとこにやってきてくれて。こんなふうに、抱き寄せてくれて。こうやって、温もりを伝えてくれて。
大事にされてんなと思う。俺はこれに負けないくらい、鴫野を愛せるだろうか。
俺ばかり愛されるのはなんだか癪だ。俺だって、鴫野を愛したい。大事にしたい。そう思うのに、今は甘えるしかできない。
「うち、来てください」
優しいのに芯のあるその声に、俺は素直に頷いた。早く、鴫野の腕の中に閉じ込めてほしかった。
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