8 / 33
第八話
ダグラスは、朝までクリスの部屋で過ごした。
そして、昨日のうちに、クリスを医務室に連れて行く手筈 を整えていた。
「朝だぞ。起きられるか?」
ダグラスは、隣で眠るクリスの体を優しく揺らす。
「起きてる」
クリスは、ダグラスの胸に顔を埋めたまま答えた。
「医務室には連絡して、VIP ルームを用意させておいた。後で迎えが来るから、準備を済ませてここで待っているんだ」
ダグラスは、クリスから体を離して起き上がる。
そして、不安そうな顔をしているクリスの頭をなでた。
「手があいたら覗 きに行く。心配するな」
ダグラスは、そのまま仕事に行こうとしたが、自分の着ているスーツを見て考える。
スーツのままクリスを抱いたので、ヨレヨレになっており、この格好で仕事をする訳にはいかない。
仕方なく、ダグラスは着替えをする為、一旦、自室に戻る事にした。
クリスの部屋を出ると、外にいた警備員が、なにか言いたげな顔でダグラスを見て来る。
「どうした? なにか問題でもあるのか?」
ダグラスの問いかけに、警備員は慌てて視線をそらす。
「いえ。特になにもありません」
「ならいい」
ダグラスは、自室に帰ると、仕度をしながら考える。
先程の警備員は、昨日の事件の一部始終を見て知っている。
一晩中、部屋にいて、気崩れた格好で出て来たら、そういう反応になるのも尤 もだった。
それに、実際その通りなのだから、ダグラスは敢 えて否定しようとも思わないし、するつもりもない。
しかし、ダグラスは心中穏やかではなかった。
『どうしてこうなったのか』
クリスはまだ子供であり、おまけに自分の部下だ。
手を出していい相手ではない。
こうなってしまった事について、理由を上げればキリがないが、ダグラスは自分の取った行動が未だに謎であった。
抱く以前と今とでも、変わらずクリスは恋愛対象外だし、性的対象として見る事も出来ない。
それに、ダグラスは、クリスが自分の事をどう思っているのかも分からないのだ。
ダグラスは、クリスについて、どう対処したらいいか考えあぐねる。
しかし、自分のした事について、責任をとっていかなければならないのは確かだった。
ダグラスは、そう考えると、背広に袖 を通し自室を後にした。
クリスは、医務室のVIPルームのベッドで横になり、点滴を受けていた。
VIPルームは、安全の為に関係者以外面会謝絶になっている。
おまけに、部屋の外には警備員がいて、厳重警備がなされていた。
クリスは、そんな部屋に一人でいても、なにもする事がない。
暇つぶしに、点滴の落ちる数でも数えようと、じっと点滴バッグを見る。
この時間でA滴落ちたら残りがこの量になったから、残量から見るに後B滴落ちればこのバッグが空になる計算になる。
故に、点滴バッグが空になる時間は後……。
そうやって、クリスが暇つぶしをしていると、警備員から連絡が入った。
『すみません』
「はい」
『レイ・ウィルボーンという男が訪ねて来ていますが、どういたしましょうか』
「入れて」
「よう。久しぶりだな」
レイはそう言って、ベッドの端に腰掛けた。
「なんの用?」
クリスは点滴を数えながら聞く。
「久しぶりに、可愛い生徒に会えそうだったから来てやったんだ」
レイはクリスの髪をなでた。
「先生。僕は怪我人だからなにも出来ないよ」
クリスは、レイの事を先生と呼ぶ。
それは、レイが拷問の授業の担当教師だからだ。
「二人きりでしたい大事な話があるんだがいいか?」
「いいよ」
クリスは、人払いをした。
「社長と楽しい事をしたって聞いたぜ? あの堅物をどうやって落としたんだ?」
レイの詮索 に、クリスは答えなかった。
「まさか事実とは驚きだ」
レイは、クリスの沈黙を肯定と受け止めた。
「そんな話なら、出て行って貰えるかな?」
「つれなねえなあ。だが、これも理由のひとつだけどよ、本当はもっと聞きてえ事があって来たんだ」
そこで、レイは声のトーンを落とす。
「なにがあった?」
クリスは、ピクリと反応したがなにも答えない。
「一昨日、お前は外出をした。昨日は、社長がお前の部屋に来た。しばらくしてから、社長はすごい剣幕で部屋を出ると、社員の一人を捕まえて自殺させた。その後お前の部屋で一泊した。そして今日、酷い怪我でお前が医務室に運ばれて来た。これが、俺の知ってる全てだ。で、俺の想像だが……」
一昨日は、エリオットに誘われて二人で外出した。
そこで、なにかトラブルがあった。
恐らく、医務室に運ばれた様子などを元に考えると、そのトラブルでクリスは強姦 されたのだろう。
帰ると二人は、ダグラスの執務室に呼ばれた。
だが、クリスはそこではなにも話さずに誤魔化 した。
エリオットをかばう為 だ。
しかし、エリオットとの間になにかがあって、かばう気持ちがなくなった。
それで昨日、全てを話す為にダグラスを呼び出した。
そこで、クリスはダグラスに外出先でのトラブルについて話した。
ダグラスはエリオットに、クリスから聞いた事を話して問い詰めた。
エリオットは、責任を取って自殺した。
その後、クリスがダグラスを誘って肉体関係になった。
そして今日、怪我を負ったクリスが医務室に運ばれて来た。
「いい線行ってるだろう?」
レイがそう言ってニヤリと笑う。
「なんで……」
クリスはレイを見つめた。
「だがな。おかしいんだよ。犯人を知っているなら、社長が動かない筈 がねえ。だが今のところなんの動きもねえんだ」
レイが鋭い目つきで囁 く。
「言えよ。俺が殺して来てやる」
それを聞いて、クリスはレイから顔をそむけた。
「言いたくない」
レイはクリスの顎を取って、顔を自分の方に向けさせる。
「いつからそんな殊勝になった? 今更 恥ずかしがる事なんざ、なにもねえだろ」
クリスは、レイの手を払おうとするが、逆に掴まれる。
「なにか隠し事か?」
クリスは、レイの腕を無理やり振りほどいた。
「言わないといけないの?」
レイは、ため息をつく。
「別にいじめたい訳じゃねえよ。ただ、隠し事してるのはつらいんじゃねえかと思ってな」
二人の関係を言い表すのは難しい。
クリスは拷問の授業で、教師のレイに散々いじめられている。
本来ならば、いい感情を持つはずがないのに、クリスはレイにだけは、誰にも言えないような事を話せた。
きっかけは、レイが授業の合間に、クリスに話しかけるようになった事だろう。
はじめは、どんなに話しかけられても、クリスは事務的に受け答えをするだけだった。
しかし、レイがしつこく話しかける事で、クリスは少しずつ打ち解けるようになっていった。
それに、レイはクリスの事を色んな意味で知っている。
クリスは、今更、レイに隠す必要などない。
「僕が誘ったんだ……」
クリスは、相手が誰かは言わなかったが、ダグラスに話せなかった事をレイに話した。
「だから、これはレイプなんかじゃないんだ。僕がしたかったから……」
「そんな訳あるか! 誘ったとか誘わなかったじゃねえんだよ! そうしなきゃ殺されてたんだ! これは立派な暴力だ! 相手のした事は許される事じゃねえ!」
激昂 のあまりレイは、クリスに覆い被さる形になっていた。
「先生、痛い」
クリスに言われて、レイは慌ててベッドから体を起こした。
「すまん。……それでも、言う気はねえのか?」
クリスは頷 いた。
例えそれがどうであれ、クリスは相手が誰か言わない方がいいと知っていた。
クリスには戸籍というものがない。
島には、あったのかも知れないが、あったところで死亡扱いだ。
戸籍を作れない訳ではないが、会社側はそうまでして作る必要がないと判断した。
その上、クリスは会社の最重要機密だ。
だから、警察に被害届を出す訳にはいかない。
相手が個人ならば、会社側が報復措置 を取る事も出来るかも知れない。
しかし、相手は個人ではなく組織だ。
代理業社は動けないだろうし、言ったところで迷惑をかけるのは目に見えている。
「他人の事を気にし過ぎるのは、お前の悪い癖だ」
これ以上、クリスを問い詰めても何も言わないだろうと思い、レイは追求するのをやめた。
「話は変わるが、社長の事をどう思ってるんだ?」
レイに聞かれて、クリスがまた黙り込む。
「今日帰ったら、多分もう来れねえぞ。お前の周りは警備が厳しいからな」
クリスは何も言わない。
「惚れたか?」
言われて、クリスは考えてみた。
「分からない」
レイは、クリスの頬に優しく手を当てる。
「じゃあ、社長に抱かれて何を思ったか言ってみろよ」
クリスは、慎重に言葉を選ぶ。
「社長は優しかったんだ。今まで会った誰よりも」
レイは、クリスの頬を愛おしそうに、優しくなでる。
「教えてやろうか? その感情をな、恋っていうんだ。あの社長なら、やり逃げなんて事はしねえだろうから大丈夫だ。ちゃんと責任を取ってくれるだろうから心配すんな。なにかつらい事があったら、今度からは社長に話を聞いて貰 うんだぞ」
レイは立ち上がり、クリスに背を向ける。
そして、右手を上げて挨拶をすると、医務室を後にした。
ダグラスは、仕事の休憩時間に医務室を訪れた。
ちょうど、点滴の交換に来ていた看護師がいたが、用が済むと一礼して部屋を出て行った。
「具合はどうだ? 少ししか時間がないが、顔を見に来た」
クリスは体を起こし、ダグラスに顔を向ける。
「大丈夫、元気だよ。いつになったら部屋に帰れるんだろう」
ダグラスは、優しく頭を叩いた。
「いつまでも、ここにいるのは不用心だから、部屋が決まればすぐにでも移動させたい。しかしクリスの部屋をどうするか、まだ決めていないんだ。あれだけ騒ぎになったんだ。あそこにはもういられない。後、警備システムの強化もしないといけないしな。問題は山積みだ」
クリスは俯いてしばらく考えてから、勇気を出して言ってみた。
「社長の部屋がいい」
予期せぬ言葉に、ダグラスは一瞬驚いた。
だが、安全面などを考えると、それが一番いいようにも思えた。
「じゃあ、準備が整い次第、私の部屋に移れるよう荷物などを移動させておこう」
それを聞いてクリスはほっとして顔を上げた。
「ありがとう。これからも、役に立てるよう頑張るから」
その時、ダグラスのポケットでアラームが鳴った。
「すまない。次の仕事の時間だ。また来る」
そう言うと、ダグラスは急いで医務室を出て行った。
ともだちにシェアしよう!