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第16話 第二話
市五郎は来客用カップにコーヒーを淹れている。今日は嬉しい結城の訪問日なのだ。
改めて台所から愛しい姿を眺める。
結城はいつも通りのスーツ姿。でも、今日は上着を脱いでいる。最近は堅苦しい遠慮はなくなってきた。もちろん、対応は今まで通り丁寧で、礼儀正しい。「スイーツ選びが難しい」と言いながらも変わらずスイーツの差し入れもしてくれている。この時間は何事にも代えがたい。市五郎にとって、本当に幸せな一時なのだ。
「まだまだ暑いですね。と言いつつ、いつものコーヒーですみません」
キンキンに冷えた書斎で物書きをしていると熱い飲み物が欲しくなる。市五郎は贅沢になんの魅力も感じないが、美味しいスイーツと、タバコ、そして、夏のエアコン代だけは贅沢をしているのかもしれない。
「いえいえ。部屋が涼しいので、かえって贅沢な気分です。ホットはやっぱり落ち着きますし、香りもいいですよね」
大きな長方形の家具調座卓で向かい合ってコーヒーを飲む。結城の差し入れの、洋風のミルクわらびもちも、とても美味しかった。
心惹かれる人と、二人きり。ゆっくりとコーヒーとスイーツを楽しむ。これより贅沢な時間はないと思えた。
そして、こんな気持ちになってしまう結城の魅力を思う。
あの日、夜の人間ウォッチングで目撃した結城はメガネを外し、服装もラフで、奔放な雰囲気だった。レストランで、人の目もあるのにまったく意に介さず。相手の男性の手を握り、上目遣いで甘えた素振りをしていた。
あの時は衝撃を受けたが、あれがキッカケでインスピレーションが働き、書いた短編を長編にしてみないかと、結城に勧められたのだ。
何に衝撃を受けたのかと今更ながら考える。
やはりそれはギャップなのかと結論に達した。
今、目の前で爽やかに微笑む青年は、メガネを外してスーツを脱がせば、途端に妖艶な色香を放つのではないか。
あの白いシャツとネクタイの下に隠されているものを見たい。
そう、日々、妄想……いや、想像してしまうのだ。
街で見たあの中年男性は恋人なのだろうか。それとも、一時の相手なのか?
それも市五郎はすごく気になるところだった。だが、面と向かって尋ねることなどもちろんできない。
市五郎の知り合いもそうだが、一般のゲイの男性は、本人が隠しているつもりでも、ふとした仕草や、言葉遣いなどで、なんとなく「そうなのかな?」と感じるものだ。
しかしスーツ姿の結城からはそれを感じない。
おしとやかな雰囲気は、作家である父親の様子から見ても、もって生まれたものだろうし、爽やかな好青年も演技とは思えない。よっぽど気をつけているのか……スイッチが入るとガラリと変わるのか……。そんな結城に「見ましたよ」などと言ったらどうなるのか、予想もつかない。
結城の柔らかそうな頬を見つめながら市五郎は考えていた。
「それにしても、高山さんのお宅は素敵ですよね。街中からさほど離れてもいないのに静かで。街の喧騒がまるで嘘のようですよ」
雪見障子からは縁側とその先の庭が見える。その庭を眺めて気持ちよさそうに結城が呟く。
たしかに、この家は祖父の代からのもので、作りは古く砂壁は厚い。大通りから外れた場所に位置している分、喧騒からは程遠いし、平屋だが天井が高い分、暑さもマシだろう。
庭は祖父の趣味だったらしい。
自分がもう少しマメなら、もっと綺麗な庭を作れるのだろうが……。
結城といると思いもしなかった発想が生まれる。まるで彼が引き出してくれるようだった。
「私は贅沢をしているつもりはないのですが、きっとこの静寂も贅沢なのでしょうね」
「ええ、すごく落ち着きます。僕のアパートなんて箱みたいなもんですから。混み合う電車に乗り込み、窮屈な箱に閉じ込められる。そんな毎日なので」
結城は少し寂しそうに微笑んだが、市五郎は結城の言葉を聞き逃さなかった。脳内をビビッと電流が走った。
「……結城さん、ちょっと失礼します。もう一度今の、言って下さい」
横にあるパソコンへ体をずらし、カチャカチャとキーボードを叩く。
「え? あ、混み合う電車? 窮屈な箱……にぃ、閉じ込められる……ですか?」
「うん、うん」
結城の口から出た言葉は、瞬く間に変換され市五郎の脳内を駆け巡った。それが消えないうちに文章へと落としていく。結城はそれを邪魔しないよう気配を消し静かになった。
大まかではあるが閃いたストーリーを書き終え、市五郎は視線を上げ結城を見た。
「お待たせしました。突然すみませんでした」
「いえ、すばらしいですね。楽しみにしてます。では、僕はこの辺で。執筆頑張って下さい」
笑顔を向け、突然帰るという結城に、市五郎は慌てて説明した。
「あ、違うのです。結城さんが……その、インスピレーションを与えてくれたのです」
結城の頬がうっすら染まった。……ように市五郎には見えた。
「光栄です。僕で良ければ何でも言って下さい。できることがあれば、喜んでお手伝いします」
結城の言葉に、「じゃあ、そのネクタイを外して、シャツをズボンから引き抜いて、上から三つボタンを外してもらえますか?」なんて言いたくなってしまう。言ったらただのすけべオヤジだ。
「……結城さんは、いてくれるだけで私の心を沸き立たせます。なので、また、何かのついでにお顔を見せてください」
変態めいた欲望をまともな大人の言葉に塗り替えて伝える。
結城は照れくさそうに俯いただけだった。遠まわしな言い方をしたつもりだったが、やはりすけべオヤジと思われてしまったのだろうか。己の発言が知らず知らずのうちに、すけべになっているのかもしれない。と不安を覚える。
妄想のしすぎだろうか。いやいや、これは想像だ。
「スイーツの差し入れに来ますね。おやつを食べに」
ふふっと小さく笑う結城の仕草は、やはりしとやかで、少しだけ淫靡な気がした。
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