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第17話 うっかりと期待の狭間で
市五郎が書き上げたばかりの第二話を読み終え、結城は「ハッ」と息を飲んだ。その表情のままバッと市五郎を見る。目が合うとまた原稿へ目を向ける。その様子は今までとずいぶん違って、ただの一読者のようだった。そして、感想もまた編集者のものではなかった。
「でっ?」
「で?」
いつもの落ち着いた様子はどこへやら。プロットで話の流れを把握しているはずなのに、
「どうなるんですか!」と食いつかんばかりに詰め寄ってくる結城の反応に思わずクスッと笑ってしまう。
とても嬉しい反応だ。目をキラキラさせて市五郎を見る結城はとても可愛かった。
「あぁ〜、気になる! もぉ、高山さんも人が悪いですよ。こんな所で次の原稿までおあずけだなんて」
両こぶしを握りながら「クッ」と目を瞑り、顔を背ける結城の悔しそうな姿はとても微笑ましい。それに最高の褒め言葉だと思う。
「……ホッとしました」
「書きあがるまでここで待機していたいくらいですよ」
「えぇ? あははは」
結城の言いぐさに思わず笑ってしまう。
市五郎はあまり声を出して笑ったことなどない。特にここ数年は全くと言っていい。それなのに、ついはしゃいでしまった自分を恥ずかしく思い、市五郎は「コホン」と咳をして姿勢を正し結城へ微笑んだ。
「書けたら一番に読んでもらいますから、お願いします」
「はい!」
にこやかに笑顔で答える結城に、嬉しくてついまた調子に乗ってしまう。
「元はと言えば、これも結城さんの言葉からヒントを得たものですよ」
「僕のアパートの話ですよね? 狭い箱でしたっけ? まさか、あの主人公がいきなり拉致され隠れ家に閉じ込められてしまうなんて。いや、こんな風に変換されるとは。主人公だから殺されることはないってわかっててもハラハラし通しでした。ずっと探してきた相手なのに声しかわからないところもいいですよね。この敵のトップと最終的にハッピーエンドになるんですよね? すごいなぁ。一筋縄ではいかない主人公と、もっと厄介な攻めキャラというのが熱いです。本当に作家さんの想像力って素晴らしいなぁ」
「そうです。物書きって要は……妄想好きなのでしょうね。なんでもそっちにもっていく」
「自由な発想。実に羨ましいです」
「それも全て結城さんのお陰です」
この話が掲載された時、扉絵や挿絵がどんなイラストになるのか、考えただけでワクワクした。
結城をモデルにした主人公が、真っ暗な部屋で手かせ足かせをされ、目隠しをつけたまま後に運命の相手となる敵のトップに犯されるのだ。現実では起こりえないシチュエーションを脳内で描くだけじゃなく、文章で肉付けし、さらにイラストにまでしてもらえる。小説とはなんて素晴らしいのだろう。
市五郎は今日ほど小説家になってよかったと思ったことはない。
「あ、そう言えば、森さんにこの間呼び止められて、第一話大絶賛でした。担当を離れるんじ
ゃなかったって悔しがってました」
「そうですか。それは嬉しいです。森さんにはお世話になりましたから。恩返しできた気持ちです」
「もうすっかり、森さんも高山さんのファンだそうです。あ、あと。この主人公、僕に似てるなんて言うんですよ?」
明るい表情で話す結城にギクッとした。「似ているもなにも、結城さんがモデルですよ?」とは、とても言えない。無意識を強調して、偶然の産物だと……誤魔化せるだろうか?
「あ、あー……そうかも、しれませんね。ほら、このお話は結城さんが私の担当になってくださってからのお話ですから。無意識に……、そう、無意識に、結城さんが頭にあったのかもしれないですね。ははは……」
「え?」
全然誤魔化せていなかった。結城は笑顔のまま固まってしまう。
キンキンに冷え切った部屋にいるのに、市五郎の背中をツーッと汗が伝った。
マズイ──
市五郎は必死に頭を回転させ、今の発言をけむに巻こうとした。
「と、時に……結城さんは、今、お付き合いしている人とかいるのですか?」
うあああああ! 微妙な質問を投げかけてしまった!
図星が思わず口を突き、市五郎はパニックの極致に達した。
「……お付き合い?」
全然状況を掴めていないらしい結城は表情も姿勢も固まったままだ。ただパチパチとまばたきを繰り返す。市五郎はますます焦って言葉を続けた。
「その、恋人とか?」
しばらくの沈黙が流れ、結城は眼鏡の向こうで黒目を横へ向けた。何かを考えている様子。そして、吹っ切れたように明るく話し始めた。
「なかなか忙しくて。女性と出会っても、相手は作家さんばかりなんで」
結城は「アハハ」と軽く笑い飛ばす。女性を強調したみたいだし、女流作家と呼ばれる人達は、結城よりだいぶ年上だろう。言い訳にはもってこいだと思った。「そうですか」と流せばいいのに、市五郎の口からはまた違う質問が飛び出す。
「年上はお嫌いですか?」
「いえ、あまりそこは気にしていないですね」
「……そう、ですか」
結城の言い回しは「年上と付き合っていたけど、気にしていなかった」と取れる。むしろ
「年上と付き合う」ことの方が多いのかもしれない。
レストランでの甘えた様子が思い出され、市五郎は焦りながらも、モヤモヤを感じた。しかし、今は、恋人はいないと言う。
やはり目撃したアレは「一夜限りの関係」だったのか。それとも、あのあとすぐに別れたのか……。
いずれにしろ己の失態にひどく後悔していると、結城が言った。
「高山さんは、お付き合いされている方がいらっしゃるのですか?」
「え?」
まさか質問が返ってくるとは思わなかったのでドキッとする。だが、結城の口調はカラッとしたもので、ただの会話のキャッチボールに過ぎないのだとわかる。
ホッとしながらも、若干の切なさを感じた。
興味がないクセに、そんな質問をしても意味ないだろうと不貞腐れた思考すら過ぎる。
「私はこの通りです。見たまんまですよ」
つい苦笑交じりに答えてしまい、それにも後悔した。
「よかったです」
ニッコリと微笑む結城に「え?」と戸惑う。何が「よかった」なのか。
それって……。
淡い期待が市五郎をときめかせる。ドキドキしながら真意を促した。
「……と、言うと?」
「邪魔されなくてすみますからね」
「……なるほど」
執筆の時間が減ると言いたいのか。そうだよなと納得する。期待する方がどうかしている。
市五郎がションボリしていると、さらに結城が言葉を続けた。
「僕のためにも、そのままでいて下さい。なんて、傲慢ですよね」
さっきみたいに「アハハ」と笑い飛ばせばいいのに、結城はいつものしとやかでありながらも、少し照れる仕草を見せた。グッと胸に何かが迫ってくる。
市五郎はそれを体の奥へ流し込むようにコーヒーを飲み干した。
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