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第30話 もうひとりの結城真人 6
主である結城さんに問題が発生した時、結城さんを守るために別人格のマナトが現れたのではないかと思ったが……難しい。
市五郎はなんとかマナトの気を害さないようにと頭を捻りながら探りを入れた。
「マナトさんは何歳の頃からの記憶があるのですか?」
「人の話聞いてる? ちゃんとメモ取ってんの? 生まれた時から同時に存在してる。そう言ったでしょ」
質問を変えたのだが、やはり言われてしまう。
「いや……私は幼い時の記憶がほとんどありません。生まれた時から存在していようと、記憶に残っていないんです」
「ちょっと待ってよ。ハメようとしてんの? 記憶があると言ったって、一般的な範囲に決まってるじゃん。母体から出た瞬間なんてさすがに覚えてるわけないでしょ。せいぜい三歳やらそのへんの幼児期だよ」
攻撃的な態度は、結城さんの抑圧された心の現れなのだろうか?
そう市五郎は思った。
穏やかで腰が低く、上品。丁寧な物言いと仕草は品を感じさせる。訪問時は常に手土産持参……マナー講師も真っ青だ。
結城は完璧だった。完璧すぎると言っていい。極度の照れ症も、市五郎には短所とは思えなかったし、弱い部分を曝け出し戸惑う結城の姿は、市五郎の恋心をより一層燃え上がらせた。
結城さんの中のマナトを理解するには知識が薄弱すぎる。物書きの端くれとして、もっといろんな勉強をしておくべきだった。と市五郎は後悔した。どう対処していいのか分からないのだ。
「結城さんは、マナトさんの存在を認識しているのですか?」
以前読んだ本の多重人格者の時はどうだっただろう。思い出そうと試みる。たしか睡眠中と
同じで意識がない間のことだっただろうか。
マナトは市五郎の質問に、また違う表情を見せた。強い視線が和らぐ。
「あいつかわいいでしょ」
「可愛い人です」
「何も知らないからね。いいんだよ。アイツはあれで」
落ち着いた優しい響きで答える。遠くを見るような眼差し。
マナトはやはり、結城を守るために現れた別人格なのだろう。それだけは分かる。
「どうして結城さんと、あなたは……枝分かれしてしまったのでしょうか? 教えてもらえませんか?」
「ちょっと家庭環境がね。いろいろあったのよ。あ、飲んでもいい? 喉渇いちゃった」
マナトは了承を得る前にテレビ台の棚をポンと押した。さすが慣れたものだ。扉が開き、現れたのは小さな冷蔵庫。中は飲料水の販売機になっていた。マナトがボタンを押し、酒を取り出した。
「あんたも飲む?」
「私はお茶で。そういえば食事をとりましょうか? お腹、空きましたよね?」
「そうだね」
マナトはビール缶を開け、飲みながらソファへ腰をかけメニューに目を通す。勝手知ったるなんとやらだ。市五郎もメニューを見たがレストランと同じか、それ以上に充実した内容に驚いた。このホテルは高級感漂う内装だけではなく、食事も売りにしているのかもしれない。それとも、今時のホテルはみんなこんな感じなのだろうか。
マナトはリモコンを持つとテレビ画面へ向け、サクサク肉料理をオーダーした。何度もこの手のホテルへ入ったことがあるのだろう。しかし、それは結城でもあるのだ。そう思うと市五郎の心境はかなり複雑だった。
「どうせ頼むんなら、酒もオーダーすればよかった」
レストランやカフェで目撃した恋人との接し方とまるで違う。あの時は甘えた仕草で、相手の肩へ肩を寄せどこか触れ合っていないと気がすまないという感じだった。自分の可愛いさを熟知していると言ったらいいのか。
今、市五郎の前にいるマナトはサバサバした口調で、テキパキと自分のしたいことをするし、思ったことを言う。結城の姿だからか、それはそれである意味、清々しくて気持ちのいい姿勢だと思えた。
「飲みたければ注文してください」
「そう? んじゃ遠慮なく」
マナトはボトルワインをオーダーした。するだけしたら当然のように風呂へ向かい服を脱ぎだす。
「…………」
シャワーを浴びたいのか。確かにこの部屋の中は暖かい。着込んだ冬服では汗ばむくらいだ。
十五分程度で出て来たマナトはバスローブに身を包み、タオルでゴシゴシ頭を拭いていた。髪もしっかり洗ったらしい。
マナトは脱力するようにソファへ座り、飲みかけのぬるくなっているだろうビールを傾けた。だらけた姿勢。適当にバスローブを羽織っただけの着崩れた姿。肌には水滴と市五郎のつけた痕が薄く残っている。見てはいけないもののような気がして市五郎は目をそらした。
マナトの人格である限り、目の前にいる人間は「愛しい恋人」ではないのだ。
そう己へ言い聞かせる。
しばらくして運ばれてきた料理は銀色のトレーに乗っていて、見栄えも豪勢なものだった。花まで飾ってある。ボトルワインもワインクーラーに入っていて本格的だった。
届いた料理を並べ終えると、マナトが二つのワイングラスにワインを注ぐ。
「私は、アルコールは飲めないので」
「うん。知ってるけど少しぐらい付き合いなよ。これ飲みやすいし」
「……じゃあ、少しだけ……」
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