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第32話 もうひとりの結城真人 8

「私はなぜ二つの人格を持つことになったのか、その原因を教えて欲しいだけです。なぜ枝分かれしたのか」  マナトの目がまたクールな色へと変わった。 「……家がちょっと厳しかっただけの話だよ。ユウキは厳格に育てられた。望まれない俺は分離した。日常をユウキが過ごすのもその延長。それだけの話。もう、家を出たから俺たちは自由。ユウキが生きるのに面倒になれば俺が日常を過ごしてやる。それだけ」  拒絶を示したからだろうか? マナトの口調には動揺が滲んでいるように思えた。  マナトは「それだけ」と二度も口にした。大したことではないと、まるで己に言い聞かせているように。その口調はさっきまでのとも違っていた。子供っぽく、物悲しくもあり、何かに怯えているようでもあった。 「厳格……。体罰とか?」  マナトは市五郎の膝の上に座ったままだったが、せっかくマナトが話し出してくれたのだ。市五郎はマナトの手からワイングラスだけ受け取りテーブルへ置くと、マナトをそのまま膝に乗せ続きを促すように、なるべくマナトへ優しい視線を送った。 「テレビや映画でやってるような派手なものじゃないよ」 「……しかし、結城さんには辛い経験だったと」  結城を主体で話す市五郎にマナトはまた不機嫌な顔になったが、諦めたという様子でそのまま答えた。 「メンタル的にね」  ふと疑問が浮かんだ。  マナトの話を聞いていると、人格が二つあっても問題がないと思える。私の嫉妬心は差し置いても、他の男性とデートしている意識が結城さんにないのなら、それも仕方ないと思えないことはない。複雑で難しくはあるけれど。    マナトの人格があまりにも確固したものだからだろうか……。  考えを改めようとすると同時に、沸く疑問。  ではどうして、マナトは私に興味を抱かせるようなことをしたのか? 余計な詮索を避けたいのなら、私と目が合うことすら避けるのが賢明ではないのか? 待ち合わせ場所を駅前から駅裏にするだけでも済むことだった。  無意識かもしれないその意図を、汲み取らなければいけないと感じる。 「結城さんの目を通して、あなたは私を認識していたのですよね?」 「だったら?」 「なぜ、あなたは私を見返したのですか? 同じ店へ入ってきたのも、わざとですね?」 「俺に会いたいんだろうなぁと思って。一緒に居る時は会えないでしょ。ユウキサンがいるから」 「会ったらバレるかもとは思わなかった?」 「バレるもなにも。俺に会いたがってるから会ってあげただけ。現にこうしてこっそり会いに来てくれたんでしょ? 現れるかも分からない俺を必死になって探し回って」  先ほどの物悲しさはすっかりマナトから消え去っていた。市五郎の首に両手を回し、クスクスと嬉しそうに笑っている。コケティッシュと言うのか。なんとも小悪魔的な表情と話し方をする。言葉の選び方も。まるで市五郎がマナトに恋焦がれているように聞こえてくる。 「……確かに、私は初めてあなたを見た時、妙に惹きつけられました。結城さん本人だと思っていましたし」 「ほんとにそう? ユウキも感じてるよ。あんたの代表作。アレは自分ではないって」 「…………」  なんと説明したらいいのだろうと悩む。まさか人格が二つあるなどとは想像もしなかった。結城の「別の顔」と思っていた姿。仕事ではキッチリしていても、プライベートでは奔放なのだという妄想が市五郎を妙に興奮させていたのは事実だ。  押し黙った市五郎にマナトはさらに詰め寄った。 「俺を、求めてたんでしょ?」 「私は、奔放なあなたを求めていたというより、熱いものを抱えながらそれを押し殺し、乱れまいとする姿に惹かれたのです」  マナトはキョトンとして首を傾げた。 「結城さんは戸惑っていました。今思えば、戸惑って当然なのでしょう。私の想像ですが、結城さんはあの大人しい性格や、学生のように思える風貌から、その手の男からの誘いも多かったのではないですか?」  そういう経験のない市五郎ですら、結城に惹かれた。マナトが魅力的であるのと同じように、結城でいる間にも同じように惹かれる人間がいても不思議ではない。 「まぁね。相手探しに苦労した覚えはないよ。男だけじゃないけどね」  男女問わずということか。市五郎の愛する結城からはやはり想像もつかない。 「……そういう誘いがあった場合、あなたが対応していたのですね?」  マナトは「正解」というようにニッコリ微笑んだ。 「ユウキじゃ無理だからね。逃げちゃうんだよ。そういう雰囲気を感じると。だから俺が守ってやるしかない。うまく処理して、あいつが生活しやすい環境を作ってあげてんの。弟想いのいい兄みたいでしょ? 無垢なユウキは、俺にとってもかわいいやつなの」 「では、私と……その、初めてした時、結城さん的にも、初めての経験だったということですか?」  酷く戸惑い、強ばっていた身体。表情。取り乱し、喘ぐさまを思い出すと胸が熱くなる。 「そうだよ。良くできたよねぇ。いつ逃げ出すかと待ってたのに」 「怖かったと思います。まるで処女のように震えていました。でも、受け入れてくれた」 「よかったね」  マナトは興味なさ気に言い捨て、市五郎の膝から降りた。バスローブに手を掛けたと思ったらふらりと風呂場へ行き、服を身に着ける。 「まぁ、仲良くやってくれればいいけどさ。休日フルとかやめてよね。俺が譲ってるんだから、そっちも譲り合い精神を持ってくれないと」 「マナトさんには、特定の付き合っている人がいますか?」 「見てたでしょ?」  顔まではハッキリ覚えてないが、同じ男性ではなかった気がする。不特定多数……ということなのか? 恋人がいるのも困るし、不特定多数も困る。  「浅く広くでいいんだよ。相手を決めるなんて面倒なだけ。それに、いつも新鮮な方が楽しいじゃん」  どうしたらいいのだろうと考えていると、マナトが言った。 「じゃぁ、ごちそうさま」  身なりを整えたマナトは、そのまま部屋を出て行こうとした。手元には早くも携帯が握られている。それを見て市五郎は焦った。マナトは自分の欲求不満解消に、次の男の元へ行こうとしているのだ。 「待って」  どうすればいいかは分かっていた。しかし、目の前の人間は結城ではないのだ。 「なに?」 「あなたに行ってほしくない……別の男のところへ」 「さっき言ったでしょ。お互いに譲り合わなきゃ」  マナトが言い終わらないうちに、その体を抱きしめた。回した腕が覚えている。愛しい人の華奢な身体。 「あなたを誰とも、譲り合いたくない」 「勝手だなぁ。でもあんたが抱きたいのはユウキでしょ? 俺じゃないんだから諦めてよ」 「……マナトさんのことも欲しいと思うのはおかしいですか?」  腕の中で、マナトがクスッと笑った。 「アイツを裏切るんだ」  裏切りになるのだろうか。  もう市五郎には分からなかった。このマナトは確かに結城の一部なのだ。  何があったのかは分からない。父親と一つ屋根の下で暮らしていても存在を無視されてきたこと。だからこそマナトはああやって年上男性に甘え、魅了し、愛されたいという自身の欲を満たしている。  しかし、本当にそれだけが原因なのか?   それに、幼少の頃の辛い体験がマナトを生み出したのなら、やはり恋人である己がマナトのことも、全部を、受け入れるべきではないのか。  なにより、この身体を他の男に触らせたくない。自分勝手だと思われてしまうのだろうか。そんな市五郎の気持ちを嘲笑うようにマナトは言った。 「俺のこともって言ったけど、あいつにしか興味ないのがよくわかったよ。俺もただ抱かれてるだけじゃ意味ないんでね。お愛想なんてまっぴらだよ。こっちは相手に飢えてるわけじゃないんだ。大人しく解放した方がユウキのためだよ」  結城さんのため……。  腕から力が抜けてしまう。  正論を吐くマナトに、市五郎は言い返すことができなかった。

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