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第33話 過去を探す旅
家に戻ったのは夜、九時過ぎだった。
男との約束を取り付けたのか、マナトはホテルから出ると、市五郎に背を向け振り返ることも無くさっさと去って行った。
衝撃を抱えながら、混乱した頭でパソコンを立ち上げる。
マナトから聞いた話をうまくまとめようと試みるのだが、今頃あの身体を別の誰かが抱いているのかと思うと心が千々に乱れた。
抱かれることが重要なのではない、求められることが重要なのだとマナトは言った。マナトが市五郎に会いに来たのも、求められたと感じたからだったのだろう。だが市五郎には、結城を求めるように、マナトを求めることが出来なかった。
理解して受け入れることと、愛情を感じるのは違う。多重人格であるマナトに後者を求められるのは難しかった。
そしてその日、結城からの連絡はいっさい無かった。次の日の日曜日も、結城は来なかった。夜も連絡がない。その次の日も。そしてまた夕焼けが部屋を照らす。
今日もまた、結城からの連絡はないのかもしれない。いつものように市五郎から連絡をすればいいのだろうけど、マナトの存在がそれをためらわせた。
もし、今、マナトでいるのなら……電話にも出ないだろう。
そんな弱気が市五郎の心の中に巣くっていた。
……私はどうすればいいのだろう。何もなかったフリをするべきなのか。それとも、結城さんへ打ち明けるべきなのか。しかし、ショックを受けることが分かっていて、言えるはずもない。自分の中にもう一人の人格がいて、その人間が不特定多数の男とデートを繰り返している、などと言えるわけがないではないか。それこそ、結城さんが壊れてしまう。
ピンポーンと突然玄関のインターホンが鳴り、市五郎は固まった。
信じられない気持ち。幻聴なのではないかと耳を澄ますと、次にガタンと小さな物音がした。妙な音に我に返り、慌てて立ち上がり廊下へ出る。玄関の向こうに、もたれかかる人影が見えた。見ている間にも、その影がズルズルと崩れ落ちていく。市五郎は裸足で玄関先へ降り、鍵を開け重い扉を開いた。
倒れ掛かってくる体。
「結城さん!」
華奢な体を抱き止め、横抱きにして持ち上げる。
「大丈夫ですか?」
貧血を起こしているのか顔色が真っ青だ。たった数日会っていないだけのはずなのに、げっそりやつれているように見える。
いったい結城さんになにが?
閉じていたまぶたがゆっくりと開く。弱々しくまばたきした結城は、力のない笑みを見せた。
「……やっと、会えた」
「私も会えて嬉しいです。でも、体調が悪いのに無茶はダメですよ」
「大丈夫。眠たいだけです」
「寝不足は万病の元という言葉があるのを知りませんか? ……ストレスだったかな?」
市五郎は軽口を叩きながら、結城を書斎と続きにある寝室へ運び、布団の上へそっと横たえた。
「大丈夫……です。お水を、下さい。眠りたくない」
「わかりました。待っていてください」
キッチンからミネラルウオーターを持ち口に含む。そのまま結城の唇へ閉じた口を当て、そっと水を零した。結城は慣れない飲み方に驚きつつ、なんとか水を飲み込んだようだ。重そうに体を起こそうとする。
「寝てなさい」
市五郎は結城の上着を脱がせネクタイを取り、シャツのボタンを外すとスラックスも靴下も剥ぎ取った。そして布団を掛けながら横へ添い寝し、結城の髪を優しく撫でる。
「眠いなら寝たほうがいい。ずっとそばにいますから」
とろんとした眼差しで「約束ですよ」と呟くと結城の瞼が落ちた。
「……約束します……だから、安心して……」
ほどなくして、静かな寝息が聞こえてきた。
市五郎は約束通り、寝顔を見つめながら、結城の髪を撫で続けた。
嫉妬に苦しんだ気持ちはインターホンの音を聞いた瞬間消え去っていた。結城が会いに来てくれた。それだけで十分だと思えた。
思えば最初から、そうではなかったか。こんな不器用で愛想もない、人見知りで引きこもりの相手を進んでしてくれたのは結城さんだけだ。結城さんが問題を抱えているのなら、それが本人も把握していない厄介な問題だというのなら、私が動かなくてどうする。それが私を励まし続け、受け入れてくれた結城さんへの恩返しではないか。
「……愛しています」
静かに眠る結城の眉間へ、市五郎はそっとキスを落とした。結城の目尻が光り、そのまま雫が線となって耳へ流れていく。その涙を指で拭い、眠る結城の頭の下に腕を入れると両腕で抱きしめた。
どうか夢の中でも、あなたが微笑んでいられますように。
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