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第36話 過去を探す旅 4

「すごいな……」  市五郎は隠しようもない豪邸を前に呆然と呟いた。  森に教えてもらった結城の実家は都内から、電車で一時間程の場所にあった。閑静な住宅街のもっと奥。まるで人目を避けるように、その豪邸は佇んでいた。  黒い鉄柵の門は固く締め切ってある。門の両脇にはコンクリートの柱と大きな庭石を積み上げたような壁。頑丈そうな塀の向こうには大きな松や、桜の木が生えているのも見える。手入れされた庭は、まるで美術館のアプローチのようだ。  建物までがかなり遠い。玄関アプローチまでの小道の先には二体の銅像もあるし、レトロな街燈もある。白い大きな屋敷は大正モダンテイストを思わせる豪勢な建物だった。  こんな大きな屋敷を維持できるとは、相当な資産家だ。結月総一郎は確かにベストセラー作家として有名だが、この屋敷は代々受け継がれてきたものなのかもしれない。  門の入口には防犯カメラらしきものが見える。  これだけの構えだと、空き巣や押し込み強盗の用心をするのは当然で。正門に一台しか見当たらなくても、屋敷の周りには数台のカメラが設置してあると思った方が良さそうだ。あんまり長時間ウロウロしていると、それだけで通報されかねまい。  どうしたものか。正面から尋ねたところでけんもほろろに追い返されるのが関の山だろう。屋敷の周りには喫茶店などもないし、身を潜める場所もない。  通行人のフリをして通り過ぎたものの、情報収集の足がかりをどうすればいいか、市五郎は早々に行き詰まってしまった。  通り過ぎたその奥は、どんどん道幅も狭くなって森へと向かっていた。豪邸より先には民家はないようだ。市五郎は来た道をUターンし、住宅街の緩やかな坂を下りながら考えた。  そうか……あれだけの大きな庭があるのだから整備が必要だ。だとしたら決まった業者が出入りしているかもしれない。先ほど結城邸を通りながら携帯で撮った写真を見る。  門の中には一台の軽トラックが停まっていた。目を凝らすが白いトラックの側面に書いてある文字は残念ながら読めない。だが荷台に脚立のようなものが見える。やはり造園業者なのかもしれない。  考えながら歩いているうちに山手の住宅街から降り、駅前付近の大通りへ出た。  賑わっているチェーン店ではなく、地元の喫茶店を探す。すぐに、長年経営している佇まいの喫茶店を見つけた。『エデン』という看板を確認して窓から店内を窺う。  この店なら、地元の情報を聞けるかもしれない。  休憩がてら情報収集してみるかと、市五郎は褪せた金色のノブを掴んだ。カランカランとベルが鳴る。「いらっしゃいませ」の声は聞こえなかった。    窓際のテーブル席でコーヒーを飲む男性客がひとり。他に客はなし。店の外観もそうだったが、店内も時代が昭和から動いていないようだ。閑散とした寂しい空気を、流れる有線の歌謡曲が誤魔化している。  カウンターの中にはスナックのママかと思うほど厚化粧の女性がいた。歳は市五郎より少し上か。女性の年齢は本当に分からない。もしかしたら、少しどころではないのかもしれないと思いつつ、カウンターへ近寄る。  若い頃はさぞかし美しかったに違いないと思わせる、スタイルの良い女性だった。 「ママ、チケット。ここ置いておくね」  男性客がコーヒーチケットをテーブルへ置いて立ち上がる。 「はぁい。ありがとお。またねぇ」  ママと呼ばれているのなら市五郎もそう呼んだ方がいいだろう。 「ここ、座ってもいいですか?」  カウンターに手を置いて尋ねる。 「どうぞ」  ママは市五郎を見るなり、妖艶に微笑みグラスとおしぼりを用意してくれた。コトリと置かれたグラスに添えられた細長い指先には赤い爪が光っている。 「いらっしゃい。ご注文はお決まり?」  小首を傾げるママからメニュー表へ視線を走らせる。 「今日は冷えますね。ココアにしようかな」  ママは意外そうに少し目を丸くして、ニッコリと微笑んだ。 「ココアね。他は?」 「あ、お腹も空いたし……カレー……ビーフカレーをください。ココアは……」 「食後にする?」 「あ、はい。すみません」  少し頭を下げて恥ずかしそうに微笑んで見せた。好印象を与えれば、口も軽くなるだろうとの計算だ。  ママは機嫌良さそうに上品な微笑みを浮かべ頷き、奥へと引っ込んだ。  昔はもしかしてスナックだったのかもしれない。カウンターの後ろにある棚には名残りのようにウイスキーのボトルが並んでいる。  ほどなくしてママがカウンターへ戻ってきた。白米を盛ったカレー皿と、ビーフカレーの入ったソースポット。ペーパーナプキンで包まれたスプーンが並ぶ。白米の隅には、干しブドウが乗っていた。 「はい、ビーフカレーね」 「ありがとう。いただきます」  腹が減っていたのは本当だった。なので、両手を合わせたあとは、遠慮なくガツガツとカレーを食べた。カレーはレトルトの味ではなかった。ビーフも時間をかけ煮込まれているのだろう。舌の上でほろほろととろけた。手作りの深い味がする。干しブドウの甘酸っぱさも口直しに丁度良かった。ママはカウンター越しにそんな市五郎をじっと見つめていた。 「カレー、美味いです」 「そ? ありがと。この辺りじゃあまり見ない顔ね、引っ越してきたの?」 「いえ。古い友達の家を訪ねたのです。でも無駄足でした。家はありましたが、肝心の友達が住んでいなかった」 「あら、せっかく来たのに残念ね。んー、でもこの辺の人は昔からあまり出入りしないけど。戸建のお家ばかりでしょ」  やはりこの辺りのことに詳しそうだ。仕事柄いろいろな情報に通じているらしい。

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