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第40話 過去を探す旅 8
「あの、突然失礼します。私は高山と申します。エデンのママさんから紹介いただきまして……少しお時間いただけないでしょうか?」
一気にまくし立て、頭を下げる。老人は「お?」と、市五郎へ顔を向けながら驚いたように体を引いた。
「私の大切な友人、結城真人さんのことで……是非、重さんに助けていただきたいのです」
「……あんた、坊ちゃんの知り合いか? 助けるって、坊ちゃんに何かあったってことか?」
驚いている老人に、市五郎は神妙な表情で頷いた。
「深刻な問題を抱えています。どうか力になっていただきたいのです」
老人は怪訝な面持ちだった。急な話だ。そうなるのもしかたない。空気が張りつめる。そんなふたりの間に、座敷席から戻ってきた女将が、素っ頓狂な声を出した。
「え~? なに? そんな真剣に見つめ合って! あら? もしかして重さんのお知り合いだったの?」
「いや、今知り合ったんだが、奥の席いいかい? ちょっと込み入った話になりそうなんだ」
「あら。いいわよ~」
「ありがとうございます!」
市五郎は深々と老人に頭を下げた。
「坊ちゃんに何があったか聞きたいところだが、まず……、あんたとどういう関係なのかね」
老人は酒に口をつけてお猪口を置くと、市五郎を咎めるような視線でねめつけ言った。年齢的に怪しんでいる様子だ。
「私は無名の物書きです。細々とある雑誌で連載を書いていますが、真人さんは今、出版社に勤めていて、私の担当編集者でもあります。その御縁で親しくなったわけです」
市五郎の説明に、老人の疑いの眼差しがコロッと変わった。よっぽどホッとしたのだろう。人懐っこい笑顔になった老人を見て、市五郎も胸を撫でおろす。
「なるほど、そういうことかい。んで、真人坊ちゃんは元気で……じゃないわけか」
解れた表情がまたスッと消え、酒を一口飲むと渋い顔でお猪口を見る。
心から結城の心配をしているのが、市五郎にも伝わってくる。
「結城さんはお元気です。とても優しい方で……。編集者として立派に仕事もしています。でも、見えない問題を抱えています」
「問題っちゅうのは?」
市五郎は恋人のデリケートな問題に一瞬言い及んだが、素直に話さなければ先へは進めないと覚悟を決めた。
「……多重人格。または二重人格。という言葉を聞いたことはありますか?」
また険しい表情になった老人が低い声で問うた。
「坊ちゃんがその二重なんとかだって言うのかい」
「そうです。幼少期に大変圧迫された心理状態に追い込まれた時、子供は自分を守るために、もうひとつの人格を作り、殻に閉じこもります。それが多重人格を生み出す主な原因です。結城さん自身は知らないのですが……結城さんにもその兆候が見られるのです」
「それじゃあ仕事にならんだろ」
「仕事の時は、人格が入れ替わったりしないのです。だから結城さんも、周りの人間も気づいていない」
老人の様子はにわかに信じられない、という単純なモノではなく、事態を深刻に受け止めているように見えた。何かしらの心当たりがあるのかもしれない。
「私は結城さんの友人として、この問題を解決したいと思っています。でも結城さんは過去の話を絶対にしたがらないのです。しかし問題を解決するためには、過去を知ることが必要だと私は考えています」
老人は手の中の猪口を見つめ、難しい表情でボソッと言った。
「坊ちゃんは素直ないい子じゃった。……あんたに何ができる」
「何ができるかは分かりません。でも、結城さんを守りたいのです」
老人は無言のまま、市五郎を貫くような視線で見返した。
「今のままでは、きっとどこかで結城さんが……真人さんが壊れてしまう。どうか力を貸して下さい」
市五郎は座布団から下がり、正座の姿勢で頭を下げた。
すぐに低く落ち着いた声が降ってくる。
「顔をあげろ。何を知りたい」
市五郎が頭を上げ、老人を見つめ返す。
「真人さんのトラウマの原因です。真人さんの心を誰が……何が傷つけたのでしょうか?」
老人は重いため息を落とした。
「力を貸したいのは山々なんだが、申し訳ないがわしゃあんまり詳しいことはわからんのじゃ。坊ちゃんと話をしたのも転校する前の小学校時分が最後だ」
「……はい」
住宅街でも聞いた話を出してみる。
「あの……真人さんは、どうして転校したのでしょうか? 突然だったのですよね?」
「あぁ、なぜかはわからん。ただ急だったのは確かだ。転校の前も坊ちゃんの誕生日会で学校の友達を招いて庭でパーティーを開いとった」
「パーティーですか……」
「お別れ会ではなく、誕生日会だ。あの時は奥様から、いつも以上に念入りに庭の手入れを言付かり、飾り付けもそばで見ておったから間違いない。その誕生日会の翌日から、坊ちゃんは通学しなくなった。そっから数日休んでいきなり転校だ。転校先の学校はどこだかしらんが、坊ちゃんの通学はその日から車になっとった」
市五郎の眉間に皺が刻まれる。
明らかに誕生日会が原因だ。いったいその日に、何が起きたのか。
「転校前までの坊ちゃんは会えばニコニコと挨拶してくる愛想のいい子じゃった。理科の研究発表とやらで園芸の話を聞きに来たり、母の日や父の日の花の用意をよく手伝ったもんだ。無邪気でな。自分専用の花壇を作るんだって、季節ごとにいろんな花を育てておったよ。じゃが、転校してから庭へ顔を出すこともなくなって、いつも元気なさそうに見えた」
「真人さんはご両親と三人暮らしだったのですか?」
「あぁ。一人っ子だ」
「……では、家の中でなにがあったのか……誰にも分からないのですね」
両親以外は……。
市五郎が暗澹あんたんたる気持ちで考えていると、老人が険しい表情で俯いた。なにかを思案しているように見える。市五郎は老人の沈黙を、息を止め見守った。数秒の時が流れる。そろりと老人は目を開き顔を上げると、意を決したように口を開いた。
「使用人は雇っとったよ。わしと、運転手とメイドを。家の中のことはわしにはわからんがメイド達ならわかるかもしれん」
「……本当ですか? その方達は今、どこにいらっしゃるのか……今も働いているのですか?」
「当時、若いメイドが一斉に解雇になったことがあってな。その中に坊ちゃんと姉弟していのように仲がいいメイドもおった。あの子なら、なにか分かるかもしれん……会いに行くか?」
一斉解雇?
「……行きます。重さんはご存知なのですね? その女性の居場所を」
老人は頷き猪口に酒を注ぐと、それを手に取りジッと見つめクイッと流した。
「今は実家の酒屋を手伝っとるらしい。律儀な娘でな。今でも酒好きのわしのところにお歳暮だなんだと、実家の酒を送ってくれるんじゃよ。」
「それじゃあ……」
市五郎は思わず手を伸ばし、老人の手を握った。老人はぎょっとしたが、反対側の手で市五郎の手をトントンと慰めるように叩いた。
「あんたのことを伝えておくよ」
「ありがとうございます。私は明日でも会いに行けます。あ、もちろん、その方の都合に合わせますので」
老人は「うんうん」と頷いて言った。
「儂からも頼む。坊ちゃんを助けてくれ」
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