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第42話 雪の町へ 2
四時頃、美奈代から携帯へ連絡が入った。店は閉まってないが、もう体が空いたとのこと。
市五郎は酒蔵へ早足に戻り美奈代と合流した。そのまま駅前の商店街へ向かう。美奈代は歩きながら市五郎を見上げた。
「どこか寄られました?」
「昼に高山ラーメンを食べました。私は話ができるならどこでも構いません」
美奈代は少し考えるような仕草を見せた。庭師の老人から、あらかたの話を聞いているからだろう。落ち着いて話せる場所を考えているのかもしれない。市五郎には観光地でも、美奈代には暮らしている場所なのだ。
「居酒屋でも大丈夫ですか? うちを御贔屓にしてくれる店があるんです」
「そこへ行きましょう」
美奈代は微笑み、歩き出した。観光客が行き交う通りから一本外れ、落ち着いた通りへ入っていく。小さな建物。美奈代が引き戸を開け「こんにちはー」と声を掛けると、カウンターの中から若い大将らしき男が大きな声で明るく対応した。
「あれ、どしたの?」
「まだちょっと早いけど、いい? 東京からお客さんがみえて、個室がいいんだけど」
「うん、いいよ、いいよ。どうぞー」
大将が美奈代から市五郎へ視線を移し笑いながら奥へ手を差し向けた。美奈代は「ありがとー」と会釈してカウンターの前を通り、細長い通路を奥へ向かう。市五郎もその後に続いた。
間口が狭く細長い建物だ。京長屋と同じだと思った。細長い通路には個室が三つ並んでいて、美奈代は一番奥の個室へ靴を脱いで上がった。
大将がすぐに水とおしぼりを持って現れる。美奈代がメニューを市五郎へ向けた。
「何か飲まれます?」
「酒は弱いんで……烏龍茶を」
酒蔵の娘と居酒屋に入って「酒が飲めない」と言うのはほんの少しだけ心苦しい。
「あら、ごめんなさい。じゃぁ、私も烏龍茶で。時間も早いですものね」
美奈代はひとつも嫌な顔をしないで、大将に烏龍茶を二杯注文した。
「すみません。飲めそうとは言われるのですけど。体質なのかまったく受け付けないのですよ。美奈代さんは強いのでしょ? 私に気にせず飲んで下さい」
「私は両親の遺伝で強いみたいです。でも大丈夫ですよ。いつでも飲めますから」
少し照れた笑顔を浮かべ、声を潜めて話す。気持ちの良いチャーミングな女性だと、市五郎は思った。結城さんと姉弟のようだったのも想像できる気がする。一人っ子だった結城にとって、姉のように慕っていた女性だと思うと、市五郎も親しみがもてた。
「突然の無茶なお願いをきいていただいて、本当にありがとうございました」
市五郎はもう一度美奈代へ深々と頭を下げた。
「いえ、……それで、真人さんは……」
市五郎は携帯を取り出し、美奈代へ結城の現在の姿を見せた。家でアイスを食べている姿だ。付き合いだしてから、一枚だけ頼んで撮らせてもらった。結城は恥ずかしかったのだろう。カメラを見てはくれなかった。気まずそうに少し体を強張らせながら白々しく目を反らしている愛らしい写真。
「私の家に、結城さんがアイスを手土産にもってきてくれた時です。重さんから聞いているとは思いますが、私はしがない無名の作家で、結城さんは今、出版社に勤めていらっしゃいます」
美奈代は結城の写真を見ると驚いたような表情になり、ホッとしたようにクスッと笑った。それから嬉しそうに、優しい眼差しで画像に見入った。
「立派になられて……」
独り言のように呟くと携帯に両手を添え、市五郎へ返す。
「結城さんは穏やかで、明るくて、優しくて、素晴らしい人です。この時は恥ずかしそうでしたが……」
市五郎の言葉にさらに美奈代の微笑みが柔らかくなる。
「私が知ってる真人さんは中学生まででしたから、元気なお姿を拝見でき、胸がいっぱいです」
「重さんからも話を伺いました。その中学ですが……結城さんは、どうして突然小学校を転校したのでしょうか? いや、それ以前に……結城さんの生活環境がどのようなものだったのか、私に教えてくれませんか?」
美奈代は視線を落とし、表情を曇らせた。
「真人さんは一人っ子でしたから、とても大事にされていました。お誕生日会も毎年盛大で、学校のお友達を招いてお祝いされていましたし」
美奈代を見つめ、黙って頷く市五郎に所在なく美奈代は視線を外した。
「……不自由はなかったですよ」
奥歯にモノが挟まったような言い方だと市五郎は思った。
不自由のない生活。言い回しが意味深だ。
市五郎の表情にそれが出たのか、美奈代はもじもじと言葉を足した。
「奥様は、真人さんをとても大事にされていました」
「結城さんのお父さんは?」
「旦那様は、お仕事がお忙しいのもあって、あまり仕事部屋から出られることはなかったようです」
「……そうですか」
美奈代は心配そうに眉を寄せて、市五郎を見つめた。
「あの、重さんから聞いたんですけど、真人さんに何が? 重さんには詳しいことは話してもらえなかったんですけど、できるだけ早く会ってやって欲しいと」
市五郎は、結城に二重人格の兆候が見られること、実際に別人格になった結城と会話をしたことがあること。結城自身は、何ひとつ自分の症状に気づいてないことを話した。美奈代の顔からサーッと血の気が引く。震えた手が口元を覆った。
「……ごめんなさい。そんなことになっているなんて」
小さな声で言うと、今度は胸に手をあてる。気持ちを落ち着かせようとしているのか? 市五郎が観察していると、服をギュッと握りしめた。その姿に、何かを知っているのではと感じる。
「どんな些細なことでもいいです。知っていることを教えてください」
市五郎がもう一度頭を下げると、美奈代は逡巡したように視線を彷徨わせ、ポツポツと話し始めた。
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