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第48話 昏い秘密 4

 市五郎が東京へ戻ったのは夕方の六時頃だった。そのまま、例のイタリアンレストランへ直行する。  マナトの気持ちは分からない。それならば現れるのを待つしかない。マナトが私から、完全に身を隠してしまう前にどうしても会わなければ。  市五郎の気持ちは焦る一方だった。    結局その日、窓の外に見える駅前広場にマナトが現れることは無かった。家へ戻り結城へ電話をする。聞こえてくる結城の穏やかな声。聞いた過去など、今のこの声からは微塵も感じられない。だからこそ、その姿が切なくて、やりきれなくて仕方がなかった。  結城との逢瀬の間も、市五郎は結城を見つめながらマナトの面影を探し続けた。腕の中、眠りについた結城へ何度も静かに呼びかけたが、やはりマナトが現れることは無かった。  昼間、結城が仕事の時間にマナトは現れない。だから夜、二週間ほどイタリアンレストランへ通いつめた。ドーナツ屋でも聞き込みをしたが、手がかりは得られなかった。  季節はクリスマス。店の中は幸せな恋人同士で溢れていて、一人で食事をするのに肩身の狭い季節だ。結城の声が聞きたくなる。だが、マナトに会おうとするならば、我慢するしかないのだ。しかし市五郎の忍耐も虚しく、マナトは現れない。  もしかして、あの会話をしたことで、私とは会わないと……マナトは心に決めてしまったのだろうか。  あと数日で正月。  マナトの件で結城とのデートすらままならない。結城も師走は忙しいらしく、ここ数日はもっぱら電話で話すだけだった。  このまま、こうやって年を越してしまうのか。このままでいいわけがないと思う。しかし、結城さんに問題があろうと、私が結城さんを思う気持ちは変わらない。なにがあっても結城さんの味方だ。それは絶対だ。ではどうすべきなのだろう。結城さんのためにこれ以上、何ができるのか。  閉店間際のイタリアンレストランから出て、冷たい風に首を竦める。吐く息を眺めながらコートの襟を合わせ、前方にいる人物に気がついた。ファーのついたフード。キャメル色のレザージャケットにジーンズ。ブーツを履いたマナトが立っていた。ポケットに手を突っ込み、ダルそうに首を傾け真っ直ぐ市五郎を見ている。 「……マナト」  待ちすぎて、一瞬幻かと思った。目が合うと、マナトはまるで猫のようにフイとそっぽを向いて歩き出す。市五郎はハッと我に返り、慌ててマナトを追った。 「マナト!」  追いつき、細い手首を掴む。ひんやりと冷たい手。  マナトは振り返り、市五郎を見上げた。流れる沈黙。やっと会えたのに、愛想の欠片もない。自ら現れたのに「何か用?」とでもいうような表情をしている。しかしその表情すら、今の市五郎にとっては特別だった。鼻の頭が冷えて赤くなっているマナトを見つめる。  これは結城さんじゃない。マナトだ。結城さんをずっと守ってきた。苦しい部分を背負ってきた子。そう思えば、愛おしさは自然に溢れだした。 「会いたかった。マナト」 「……知ってるよ」  ボソッと一言零し、マナトは手首を振り払おうともせずにまた歩き出す。  市五郎はその横を一緒に歩いた。マナトは繁華街を抜け、ラブホテルが立ち並ぶ裏通りへと進む。 「どこだっていいよね」  そう言って、スッと中に入っていく。慣れた操作で部屋を選び、終始無言のまま一人通路を進みエレベーターの前へ立った。市五郎もその横へ並ぶ。 「マナトと一緒ならどこでもいいよ」  エレベーターのボタンを押そうと上げたマナトの手がピクッと一瞬止まる。反応はそれだけだった。足元に視線を落としたまま、マナトは開いたエレベーターへ乗り込む。静かな空間。上昇していく箱の中は空気すら止まっているようだった。  一緒にいるのに孤独を感じる。市五郎はこの手を絶対に放さないと固く握った。  エレベーターが開くと、マナトはまるで連れなどいないかのように歩いていく。間接照明が柔らかな陰影を作る部屋に入り、目を合わせないままマナトはドサッと白いソファへ座った。 「横、座るよ」  そう断りマナトの横へ腰掛ける。掴んだ手首から手のひらへ移し、両手で冷たい手を包んだ。 「……マナト君は全て、知っているんだね」  手を見下ろしたマナトは素知らぬ表情のまま、わずかに頷いた。まったく市五郎を見ようとしない。ただ市五郎の足先をチラッと見て「なんで?」と呟いた。 「君は、結城さんをずっと守ってきた。君だって辛かったろうに。だから、君に会いたかった」  マナトは数回パチパチとマバタキした。  この前の飄々とした様子とはまるで違う。頼りない男の子がそこにはいた。 「なにかわかった?」 「全てを知ることはできなかったですよ。皆、昏くらいことは口を噤む。想像の域を超えることはできませんでした。それでも結城さんが一つずつ大切な物を奪われ、傷ついていったことは分かりました」 「ふーん」  素っ気ない返事。それでも市五郎には、それがマナトの精一杯の強がりに思えた。 「そしてあなたは結城さんを守る盾になった。あなたがいなければ、結城さんの心は壊れていたことでしょう」 「……そういうことだよ」  ポツリと呟き、市五郎の手からすっと手を引き抜き、立ち上がる。 「だから、放っておいてよ。じゃぁ」  市五郎は踵を返すマナトの手首を掴み、少し強引に引っ張った。倒れ込んできたマナトを強く抱きしめる。 「放ってはおけないよ」 「そんなにこの体を自分だけのものにしたいのかよ」  マナトは俯き低い声で憎まれ口をたたいた。 「違います」  市五郎はキッパリ告げ、マナトの頬に手のひらを添え、俯いた顔を上げさせた。拗ねた子供のような目が恨めしそうに市五郎へ向けられる。 「あなたが心配だからです」 「心配なのはアイツでしょ」 「結城さんも、あなたも、心配なのです」  真っ直ぐマナトを見つめ言い聞かせると、マナトがわずかに怯むのを感じた。不安げで、寂しそうな瞳が市五郎から逃げようとする。 「……ルールは守る。元はと言えば、あんたらが俺の時間を奪おうとしたから、仕返ししてやっただけ。もう、アイツに無茶はさせない。だからそっちもっ……」  マナトは市五郎をグッと睨みつける。  自分を消すなと訴えている……そう感じた。 「マナト、怖がらないで。あなたはあなたのままでいいのですよ。あなたにずっと会いたかったのは」  市五郎はもう一度、マナトを抱きしめた。 「こうやって、あなたを抱きしめたかったからです」 「な、なんで?」  困惑した声が漏れる。 「あなたを愛しいと感じるからです。あなたのことも大事なのです」 「……うそだ」  毛を逆立て、警戒心をむき出しにするマナトの頬を両手で包み、睨みつけてくる目を真っすぐ見返した。 「嘘だと思いますか? あなたは嘘に敏感だ。私の気持ちも分かるはずです」  じわじわと潤みだすマナトの瞳が頼りなく揺れる。 「同情?」 「これは愛情です。あなたを抱きたいと思っているのも分かりませんか?」  マナトの額にそっとキスする。 「アイツが悲しむよ?」 「私が愛するのはあなたと結城さんだけ。それはどうしようもないです」  敵意を手放し、不安そうな瞳で見つめ返してくるマナトが愛おしかった。 「俺を、認めてくれるの?」  今、目の前にいるマナトからは傷つきやすく繊細で柔らかな心を感じる。いや、これが本来の彼であり、結城真人なのだろう。結城さんとマナトはひとつなのだから。  そう感じれば、自然とその言葉は口から出た。 「あなたを愛しています」

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