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第49話 真実

 マナトは意を決するようにクッと瞼を閉じ、口付けてきた。市五郎もマナトの唇へ唇を押し付け、ゆっくりと吸い味わう。マナトの腕が市五郎の首に回り、市五郎もマナトの身体を引き寄せた。縋るように震える唇が何度も市五郎を求めてくる。舌と舌を絡ませ、唾液をすする。積極的に舌を絡ませてくるけれど、マナトは苦しげに眉を寄せていた。どこか悲しそうにも見える。 「マナト、悲しまないで」  閉じた瞼にキスしながら囁く。 「あなたと結城さんは光と影のような存在です。あなたたち二人が私は愛しい。あなたは結城さんを裏切っているわけではない。あなたを大事に思うことは間違いですか?」  マナトの腕が剥がれ落ちそれは市五郎の胸に触れ、そっと押す。力の入らない抵抗だった。 「優しいね。本当に好きになっちゃいそうだ。でも、アイツにはあんたしかいないんだよ。俺は誰とでもできるし、それが本当の愛情じゃなくっても平気だし我慢できる。でも、アイツは違うんだ。やっと信じられる相手を見つけたんだ。あんたを取り上げるわけにはいかない」  市五郎はマナトをもう一度抱き寄せ、肩に顔を埋めるマナトの髪を優しく撫でた。 「優しいのはあなたでしょ? そうやって結城さんを守ってきた。そんなあなただから、愛しいと感じるのです」  抱き寄せた華奢な肩が震えている。小さくグスッと鼻をすする音がした。  長い間、虚勢を張って生きていたマナトの本当の姿が今、市五郎の腕の中にある。そんなマナトの髪を優しく、何度も撫でながら囁いた。 「私の前では強がらなくてもいい。そのままのあなたを見せてください。どんなあなたでも私は受け入れます」  マナトがギュッと市五郎の服を掴んだ。小さな嗚咽がだんだんと大きくなりまるで子供のように泣きじゃくる。市五郎はマナトの髪と背中を撫で続けた。 「あなたをひとりにしません。ずっと一緒にいます」  子どもの頃、ずっと我慢を強いられてきた結城さん。泣くことさえ自由に出来なかったに違いない。いや、泣くという感情さえ殺すしかなかった。受け止め、抱きしめ、宥め、甘やかす存在すら取り上げられ、どれだけ小さな胸を痛めてきたのだろう。  そう思うと、市五郎の目頭も熱くなった。長年抑えてきた涙を全て、この腕の中で流し尽くして欲しかった。 「……辛かったね」  マナトはギュウッと市五郎に抱きつき、グリグリと頭を擦り付けてきた。 「うんうん」  マナトの声なき叫びに頷き、小さな子どもに戻ったマナトをいつまでもあやし続けた。  どれくらい経っただろう。  腕の中のマナトが静かになり、ポツリと言った。 「ありがとう」 「何があったか話してくれますか? マナト君のことを、二人のことを知りたい」  マナトは顔を上げ、コクリと頷いた。儚げで愛らしい瞳。市五郎はマナトの頬へ手を当て、涙で濡れた肌を親指で撫でた。マナトをソファへ誘い、並んで腰を下ろす。そしてマナトの両手をしっかりと包み込んだ。 「マナト君だけの一番古い記憶はなんですか?」 「俺だけの、古い……記憶……いつかはわからない。冷たく真っ暗な廊下にいて、そこは父さんの部屋の前で、細い光の中から誰かの泣き声が聞こえた。光に近づいたら、何かが見えた。大きな影がうずくまって泣いてる誰かに腰を突き立てていた。子供だったから何をしてるのかわからなかった。ドアの隙間からジッと見ていたら急に腕を捻り上げられた。振り向いたら見たことのない形相の母さんだった」 「……それは、小学生の頃ですか?」 「どうだろう……もっと小さかったかも。すごく怖い顔だった。いつも優しい笑顔しか見たことがなかったから、ビックリして声も出なくて、ただ怖くて」 「お母さんは、あなたをその場から引き離したのですね?」 「すぐ自分の部屋に連れ戻された。忘れなさいって。いつもはベッドまで来て布団をかけて」  するりと包んだ手の中から抜け出すと、マナトは自分の額を指先で撫でた。 「……キスしてくれるんだ。おやすみなさいって。温かくて柔らかい手で撫でてくれる。……でも、その日は部屋に引っ張り込まれて、入った瞬間。忘れなさいってキツく言われた。目の前でドアが大きな音を立てて閉まった。なんども呼んだけど、開けてくれなくて。腕がジンジン痛くて、寒くて、苦しくて、ただただすごく怖かった」  呆然としたような感情のない口調でポツポツ言葉を継ぎ足していくマナト。  愛する夫と愛人が自分の住む家の中で継続的に……。  マナトの母親にはかなりおぞましく、辛い状況だったのは理解できる。その場面を目撃してしまった息子 に対する態度もやむを得ないと思う。 「でも、朝になったらいつもの優しい母さんに戻っていたよ。あの日まで」  あの日というのは恐らく誕生日会のことだろう。翌日から学校へ行けなくなり、転校を余儀なくされた日。 「誕生日会で、なにがあったか覚えているかい?」  マナトは静かに、糸で吊るされた人形のような動きで頷いた。

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