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第53話 誓い 3

 周りの視線がギョッと二人に注がれ、結城はあわあわと目を白黒させる。 「帰りましょう。しっかり掴まっててくださいね」 「えっ、だってあの、お、お寿司屋さんは?」 「寿司もいいですが、あなたを味わいたい」  ヒュッと息をのむ音。結城は真っ赤な顔を市五郎の首筋に埋め、隠れるようにしがみつく。突き上げる欲望のままガシガシ歩いていた市五郎だったが、年には勝てない。ぎっくり腰にでもなったらせっかくの時間が台無しだと思い直し、素直にタクシーを拾って家に帰った。  二人の家へ戻ると、すぐに布団を敷き、結城を押し倒す。 「がっついてしまいすみません。あとで蕎麦を茹でます」 「また蕎麦ですか?」  呆れた顔で「も~」と文句を言う結城に、市五郎が眉を下げる。 「蕎麦はお嫌いですか?」 「ううん、大好きです」  そういってニコッと微笑んだ結城は、市五郎の首に腕をからめてチュッと口付けをした。  一緒に暮らすようになって、市五郎は結城の新しい顔を知るようになった。以前も、おやつを食べる時など、主人を待つ忠犬のように市五郎が座るのを行儀よく待っていたり、控えめながら慕うような眼差しで、市五郎を上目遣いで見つめたりと、感情表現が素直で可愛い人であったのは間違いない。そこにプラスアルファで茶目っ気が乗っかってきた。わざと冗談を言ってみたり、甘えるそぶりを見せてきたり。  それは抱き合っている瞬間にも感じられた。 「結城さんはどこも綺麗だ」  繋がったまま上体を起こし、膝を割って大きく広げる。根元まで加えこみヒクつく局部が丸見えになる。以前の結城なら恥ずかしさに狼狽え隠れようとするばかりだったろうが、今の結城は顔を真っ赤にしながらも、もじもじと市五郎を見上げ「もう、そんな、見ないでください」と愛くるしく訴えるものだから、甘い空気に市五郎が酔いそうだ。 「それは無理です。どこもかしこも見ていたい。目に焼き付けたいです」  結城は市五郎の腕を掴み、膝頭を持つ手を引っ張った。支えを失った体が傾くと、さらにグイッと引き寄せ抱きしめてくる。 「じゃぁ、見せません」  耳元でクスクスと笑う気配。心からふたりの時間を楽しんでいるのが伝わってくる。無邪気な声にふと、マナトの顔が過よぎる。  抱き合ったまま突き上げ、結城が達する。市五郎は結城の締め付けに呻きながら同時に吐き出した。互いに汗まみれになり、それでも離しがたくて結城を抱きしめる。乱れた息が整うまで柔らかな髪を何度も撫でつけた。 「……結城さん」  そっと呼びかけると、結城は市五郎の胸にスリスリと頬を擦り付け抱きしめ返してきた。 「私は恥ずかしいことに、あなたと出会う前は人生に見切りをつけていました」  静かな告白に、結城がそろりと顔を上げた。心もとなさげに瞳が揺れている。 「見切り、ですか?」 「そうです。話したことはありませんでしたよね。私は離婚歴があります。娘がいましたが、その娘も妻と愛人の間にできた子供だと知らされました。そんなこんなで疲弊してしまい、世捨て人を気取っていたんです」 「そんなことが……辛かったですよね」  結城が苦しそうに唇をキュッと結ぶ。 「働く意欲もなくなり、ちょうど会社が早期退職者をつのっていたので退職しました。住んでいたマンションも売り、この家で祖母と暮らすことに。そして祖母を看取り、遺産も入りました。正直、贅沢さえしなければ、働かなくとも暮らせる糧はあったので……。それに暮らすのが厳しくなったらさっさと命を絶てばいいと気楽に考えていました。私が消えて悲しむ人もいませんし、ゆるやかに死ぬのを待っていたんです」 「そんなことないです!」  結城がムキになって返す。怒っているのに、とても哀しそうな表情だった。 「……そんなこと、言わないでください」 「許してください。あなたと会う前の私です。今は違います。あなたのおかげで生きるのが楽しくなりました。あなたが私に生きる意味を与えてくれたんです。この年になり必死になることを学びました。私は傲慢だった。今ある命を、時間を、精一杯生きようと今は思っています。すべてあなたに会えたからです」  市五郎は結城を抱く腕に力を込め、言葉を続けた。 「生まれてきてくれてありがとうございます」  真っ直ぐに市五郎を見つめ、柔らかくなっていた結城の表情がはっと息を呑む。硬直してしまった頬にツーと涙が伝って落ちた。 「ぼくは……僕の方こそ、市五郎さんに出会えたことをすごく感謝しているんです。市五郎さんとお付き合いを始める前まではいつもどこか不安で、人の顔色ばかり気にしていたような気がします。失敗や、嫌われることが怖かったのかもしれないです。でも、市五郎さんはいつも傍にいてくれるような気がして、一緒に過ごしているとリラックスできるというか……体がとても軽く感じるんです。こんな感じ、市五郎さんが初めてで。あなたといると楽しいです」  一生懸命に言葉を綴る結城の頬を、市五郎はそっと指で拭った。 「だから、ありがとうは僕の方なんです。僕を好きになってくれて、ありがとうございます」 「あなたは素晴らしい人です。これからもあなたを好きになる人はたくさん出てくるでしょう。なので傍にいてもらえるよう頑張ります」  結城が嬉しそうに微笑んだ。 「僕も頑張ります」  そして、自分の言葉の矛盾にあれ? と気がつき、クスクスと小さく笑う。市五郎は可愛らしい笑顔の結城の額に口づけした。 「あなたはそのままでいいんです。頑張らなくても私はあなたに夢中なんですから」 「うん」  結城が再び市五郎に抱き着く。 「お行儀のいいあなたも、甘えん坊なあなたも、意地を張るあなたも、頑張りやなところも、すべてのあなたを愛しています」  甘えん坊で意地っ張りで、寂しがり屋なマナトにもこの声が届くといい。  市五郎はそう願いつつ、愛する人の髪をいつまでも撫で続けた。

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