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楠木への言い訳 4

「鍋、すげぇ美味かったよ。ありがとな」 「うん、楽しかったね。あぁー、このあととか忙しい?」  楠木が思案顔で言った。 「え? あ、うん。わりぃ。俺もあちこち行かなきゃいけなくてさ」  同居人が待ってるから家に帰らないと……という理屈はないんだと今更ながら思う。 「そっか、じゃあ無理だね。あ、いやね。カバン重くなっちゃったからアパートまでお願いしよっかな? なんてね。思っただけ」  へへ。と照れ笑いする。 「ああ、それくらいなら大丈夫だよ」 「本当? いいの?」  なぜか、妙に必死な空気を出す楠木。 「うんうん。確かにあんな大きな荷物抱えて歩きたくないよなー。大き過ぎなんだよ」 「いやいや、だってさぁ……」  ユウはまだ起きないだろうし。楠木を下ろした時点でユウに連絡すれば……と思ってハタと気付く。  あ! そうだ、ユウへの連絡手段はないのか。携帯、買ってやらなきゃな。  そう考えて、今度は別の思考が過ぎる。  元彼もそうだったのじゃないか? 俺のようにユウを自分の手元に置いておきたかった。なのに、ユウは出て行ってしまった。どうして出て行ったのか、結局話は聞けずじまい。 「……っていうかさ、もし、ちょっとだけでも時間あったらお茶飲んでってよ。家まで送ってもらってそのままは申し訳ないし。少しだけでも。ね」  途中の話は聞いてなかったけど、さらに必死な様子で部屋に呼び込もうとする。  なんか様子がおかしい。やっぱり悩みがあるのかもしれない。でも……。  連絡手段のないユウに、不安になってきてしまう。 「あー。うん。ごめん。話とか、もしあるなら、改めてちゃんと時間作って聞くよ。ちゃんと聞きたいからさ。今日はバタバタしちゃいそうだから。ごめんな?」 「あ、いや、いいんだよ。そんなたいしたことじゃないから、……久しぶりだったから、うん。そんだけ」  俺に言い訳しながら自分に言い聞かせるように話す。 「それならいいけど。大したことじゃなくてもちゃんと聞くから。人に話すだけで整理できることもあるだろ?」  俺はうしろめたさから、楠木の肩を慰めるように撫でて、ポンポンと叩いた。ユウを優先させていることは、自分が一番よく分かっていたから。 「そんな風に優しくすんなよ」    楠木の怒った言い方にビックリした。 「え? ……楠木?」 「……本当に後輩なの? 違うよね? 四年の付き合いだけど初めて聞いたし。そんな仲良しの後輩がいるなんて……」 「…………」  なんて答えようか考えているうちに、楠木のアパートに到着してしまった。  楠木はシートにもたれ、窓に顔を向けたまま言った。 「はぁ……。ごめん。なんかショックでさ。なにやってたんだろうって……。まださ、元カノとよりが戻ったのなら諦めきれるけどさ。しゃーないって。やっぱ女には敵わないかって……」  初めて聞いた、苦々しい声だった。 「え……、ど、どういうこと?」 「鈍いところは相変わらずだね」  いつもの優しい楠木の声じゃなかった。低くて、突き放したような声。楠木の豹変ぶりにびびっていると、楠木はこちらを向いた。目が赤くなってる。 「だからね。俺、火神が好きだったの。ずっとね。入社した時からだよ」 「え……」  想定外の言葉に俺は唖然とするばかりで。  楠木はそんな俺の顔を見て、前を向いて話を続けた。 「そうやって驚いて、ドン引きされたくないから黙ってたんだよ。別に片思いするのは勝手だし、同期として友人として、仲良くできたらいいって……そう思ってたんだよ」 「う、うん」 「火神には常に彼女もいたしさ」 「うん……」 「だから、前の彼女と別れた時も、俺は内心嬉しかったよ? 人の不幸を喜ぶなって言われそうだけど、どの女も俺にしてみれば同じだもん」 「な、なにが?」 「火神の内面なんて愛しちゃいない。顔と社会的ステータスだけ。女ってだけで火神と付き合える。でも、火神の実は亭主関白なところや、頑固なところ、生真面目なところ、やたらスケジュールが細かいところ……」 「おいおい……ディスッてる?」  思わず問いかけると、楠木は優しい表情で俺を見た。 「ば~か。違うよ。褒めてんだよ。正義感が強いところ。友達を大事にするところ。……自分だって友達のひとりだったくせに、彼女になった途端、恋人を優先しない火神をよく非難してたよなぁ」 「ああ……確かに」  楠木の言葉に「なるほど」と頷く。 「だから俺はさ、彼女にはなれないけど、付き合うことはできないけど、火神の一番の理解者で、一番身近な頼れる存在でありたいなって思ってたの。仕事で俺を頼ることはなくてもさ、火神が心を許せて、甘えられる友達でいられたらいいって……」  楠木の声は聞き取れないくらい小さくなった。俯いてしまった楠木。心配して顔を覗き込むと、顔を上げていきなりまくし立てる。 「なのにお前って奴は。なんだよ! 俺がちょっと目を離した隙に、なんで男と同棲してるわけ?」  楠木の剣幕に両手を広げ「落ち着け」のポーズをしながら弁解する。 「いや! 同棲っていうか! なんて言うか!」 「俺がどれだけ我慢してきたか! 火神はノーマルだからって!」 「の、ノーマルだよ! 多分、ノーマル!」  普段穏やかな楠木の見たことない顔に慌てて首を振りながら、手をブンブンと横に振る。 「なにがノーマルだよ! 明らかにヤってんじゃんか! 火神君なんて不潔よ!」 「ちょ、楠木っ……キャラ崩壊してんぞ?」 「うるさいっ! 俺は傷ついてんの! 傷心なんだよ!」  楠木は両手で顔を覆い、肩を震わせた。鼻をグズグズと啜ってる。俺は楠木の肩に手を置いて宥めるように撫でた。 「ごめん。鈍くて。でも俺、お前のこと、大事な友達だって思ってるよ?」  楠木は顔を覆ったまま言った。 「これからも……?」 「うんうん。勿論。これからもだよ」 「こんな……ぶちまけたのに……?」 「そんなの別に関係なくね? さっきはなんかキャラ違ってたけど、俺の知ってる楠木だって本当の楠木だろ? これから多少、キャラ変があったって、友情は変わんないよ」 「……また、鍋やる?」 「うんうん。やろうな。俺、料理できねーし。そこは楠木頼りだよ」 「……うん……」  楠木は手の甲で目をゴシゴシ擦ると、恐る恐る俺を見た。俺はいつものように笑った。楠木が眉を下げて、情けない顔で笑う。  それはやっぱりいつもの楠木の顔で。  ぶちまけた所で、俺の中の楠木の位置はなにも変わらなかった。  楠木は深く息を吸って静かに吐いて、それからいつもの穏やかな笑顔で言った。 「じゃあ、また。あ、家まで送ってくれてありがとな!」 「おう」  助手席を降りた楠木は、荷台から鞄を出してゴロゴロ押しながら運転席側へ回る。俺は窓を開けた。 「本当ありがと。……なぁ、火神。俺……」 「うん」 「……やっぱいいや。じゃあ、また会社で」 「おう。またな」  楠木の言いかけた言葉をあえて聞き出そうとはしなかった。それが俺のできる、遠まわしで……唯一の思いやりだと思ったから。  帰り道、考えた。  ノーマルってなんだろう。楠木の言葉を借りれば、俺はいわゆる……でもピンとこない。  この想いは……世間の常識やカテゴリーに、どれも当てはまらない気がする。  車の時計を見る。  十時……家を出てからもう一時間半も経っている。  ユウの寝顔を思い出して、アクセルを強めに踏み込んだ。

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