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悲しい思い出

「……子供の時、猫を拾ったんだ」 「猫?」 「うん。母親が夜の七時頃に外出して、九時過ぎに戻ってきたら猫を抱っこしてた。子猫よりちょっと大きかったかな。首輪をしてなくて、野良猫みたいだった。でもすごく人間に慣れてて、毛並みも綺麗で可愛かった」 「あぁ、だから。その猫、飼ったの?」 「うん。そいつすぐに俺の膝の上に乗ってきてさ。すげーゴロゴロ喉鳴らすの。首を撫でると気持ち良さそうに目を閉じてさ。その日から毎晩、一緒にベッドで寝てた」 「ふーん」  ユウはつまんなさそうに返事をしてまたギュッと俺に回した腕に力を入れる。  まるで昔話の猫に嫉妬しているような仕草。  思えば、楠木の電話の時も似たような態度だったのを思い出す。あの時は首を絞められたけど。  嫉妬なら……いいな。 「俺、それまで動物とか、どっちかっていうと苦手だった。でもその猫は特別だった。名前も俺がつけたし、その猫も誰よりも俺が好きみたいだった。寝る時以外もくっついてくるし、学校から帰ってくるとニャーニャー鳴いて抗議してさ。まるで、どこ行ってたんだよって怒るみたいに……でも、捨て猫かと思ったら違ったんだ」 「…………」  相槌はなかったけど、俺は続けた。 「よその家で飼ってる猫だったんだ。家の中で大事に飼ってたのに、掃除の最中に外へ出ちゃって迷子になって。それを俺の親が保護したんだって説明された。その猫、そこのおばさんが抱っこしたら……嫌がるでもなくそのまま腕の中で収まってた。きっと思い出したんだろうね。飼い主はこの人だって」 「ほんとのところはわかんないよ。猫がどう思ってたかなんて」  ユウの言葉は優しかった。 「うん。でも俺はまだ小学生で、ただただショックだった。たった二週間しか一緒に暮らしてなかったけど、本当に可愛がっていたし、大好きだったんだ。親の前で泣くこともできなくて、部屋にとじこもって泣いた。自分はバカだと思った。猫にとってはきっと誰でも良かった。飼い主が現れるまで、雨風しのげて美味しいご飯が食べられるなら、優しくしてくれるなら、誰でも良かったんだ。って……」 「……うん。わかった」  ユウは俺の胸に顔を埋めたままとても低い声で呟くように言った。  妙に真面目な口調。「わかった」がどういう意味かわからなかったけど、俺は俺で、自分の思ってることをユウに一気に伝えたかった。 「だから……ユウが元彼と再会して、俺のところに戻ってこなかった時も、やっぱりそうなんだって思った。ビックリして逃げたけど、やっぱり元彼の所へ戻ったのかなって……。でも、もう俺は子供じゃないから。あの時は呼べなかった。猫の名前。もしかして、俺があの時、名前を呼んでいたら、あの猫だって俺を見て鳴いたかもしれない。でも呼ぶ勇気が無かった」  俺は腕の中のユウをギュッと抱き締め返した。 「好きなんだ。一緒にいて欲しい。どこにもいかないで。俺の傍にいて欲しい」  プライドもなにもない。そのままの気持ちをさらけ出す。みっともないとも思わなかった。 「俺が帰るのはアイツのところじゃないから」  返してくれたユウの声は温かった。  寄り添ってくれるような、しんみり落ち着いた声にホッとする。 「……うん」  きっぱり否定してくれたユウの背中を撫でながら、勇気を出して切り出した。 「実は、携帯を……その、購入した。ユウに持ってて欲しくて。それと、スペアキーも作った。ユウは家に閉じ篭ってなくてもいいし、したいことがあるなら相談して欲しい。俺はまだユウのことをなにも知らない。過去を詮索したいわけじゃなくて、ユウ自身のことをこれから少しづつ知っていきたい」 「うん。ありがと」  ユウの口調は淡々としてた。  やはり、携帯に関してはあんまり興味なさそう。でも不愉快には思っていないみたい。  様子を伺っていると、ユウが顔を上げた。 「明日、本屋さんに連れてってよ」 「お、おう。なにが読みたいの?」 「うん。ちょっとね」 「……うん」  俺たちはそのまま風呂にも入らず眠りについた。  深い深い眠りだったような気がする。ユウの体温は俺を温めて、心を満たしてくれた。  悲しみに立ち尽くす小学生の俺は夢に出てこなかった。

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