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厄介な問題

「ふんふん。だよね。じゃあさ、今から俺と会話して、俺の言った言葉だけを打てる? 例えば、こんにちは。と挨拶したら、俺にこんにちはと返事しながら打つの。どう?」 「こんな感じ?」  俺が言葉を言い終える前に指がキーを叩いた。画面を覗くと『例えばこんにちはと挨拶したら俺にこんにちはと挨拶しながら打つの。どう?』と打ってある。しかもちゃんと漢字が変換できてる。 「すごいじゃん! いいねぇ~。じゃあ会話しよう! 俺の言葉を打ち込んでいってね?」 「りょーかい」 「こんにちは。今日はいいお天気ですね」  カタカタと音を立てながらユウが応えた。 「そうですねぇ、でも今晩から寒くなるって。朝の予報で言ってたよ」 「ほほう。ところで、私が修理に出したパソコンなんですが、どれくらいで直りますか?」 「あれねぇ~、ちょっとかかるかもしんないっすね。基盤がショートしてるっぽいから、最短でも二週間っすかね」  ユウは戸惑うこともなく役になりきって、オリジナリティ溢れる会話を繰り広げた。イキイキと楽しそうだ。画面を見れば、しっかり俺の言葉だけが打ち込んである。 「ユウ。コール中心の仕事を紹介できるかも。やってみるかい?」 「ナニソレ?」  急に世間知らずな子供みたいに戻ってしまった。 「コールセンターとは、お客さんと電話で会話しながら、今みたいにお客さんの言ったことを証拠としてパソコンの画面に残していく仕事だ。全部の会話を打ち込む仕事もあれば、日付や、時間や、決められたことだけを打ち込む場合もある。ユウくらいブラインドタッチ……ああ、キーボードを見ないで打ち込むのが早ければ、きっと楽しい仕事になるだろう。会話も得意そうだしな。どうだ? やってみるか?」 「いいよ」  拍子抜けするくらいあっさりした返事。  それでも承諾してくれたことにホッとした。最初はなんでもいいとはいえ、オフィス業務の方が安心だ。まずは経験を積むのが大事だし。ユウなら少しづつステップアップしていけるかもしれない。 「うん。じゃあ月曜日になったら必要な書類とか調べてみるよ」 「うん、ありがと。ねぇ、さっきの遊び面白いね。もっとやろ」 「あははは。いいよ。練習になるしね」  仕事にはさほど興味を示さなかったけど、寸劇会話の打ち込みは気に入ったらしい。しっぽをブンブン振るワンコみたいに嬉しそうにおねだりしてくる。  俺はいろんなパターンの妙な客を演じて会話を続けた。クレーマーだったり、泣いていたり、激高していたり。ユウはそれに対し、決して反論するわけでもなく、その時に一番ふさわしいと思える言葉で対応しながら、俺の言葉のみ打ち込んでいった。  社会人として働いたことがないわりには、どうしてこんなにつらつらと言葉が出てくるのだろう。とても不思議だった。バラエティ番組を観ながらのテロップ遊びは明らかに一人遊びなのだろうけど、ユウは教育を受けてないわけではないと感じられた。それに人とのコミュニケーションも得意だ。記憶力もある。頭の回転が早いのに加え、得た知識や情報を自然に記憶する脳になっているのだろうか。  俺はユウの過去をなにも知らない。だから推測しか出来ないけれど……ユウはそれなりに、この年まで大事に扱われてきたのではないか? 最初に「野良猫」と感じたのは大きな間違いで、もしかしたら……。  思い出したくもない、ユウの「元彼」の顔と言葉が浮かんだ。 『おまえはなにもわかっちゃいない。関わるのはやめとけ。手に負える人間じゃないんだよ』  あの言葉の意味をずっと考えていた。  忘れようと思っていたけど、結局こうして、頭の隅っこにいつまでもこびり付いているんだ。  ◆ ◆ ◆ 「うーん」  昼休憩になり、社員食堂で食事をしながら、携帯画面の募集要項を見ていて問題に気付いた。コールセンター業務は委託業務。要は派遣だ。ユウにはまず、その派遣会社への登録が必要になる。登録に必要な物は『身分証明証』……免許証、又は健康保険証。そしてマイナンバーカード……。  ユウが持っているとは到底思えない。着のみ着のまま、携帯だけ持っていた人間だ。ユウに尋ねて分かるのか。想像してみる。すぐに無理だと思った。きっと「ケンコウホケンショウ?」とキョトンとするのがオチだろう。  じゃあ誰に? そんなのは考えなくても答えが出てる。  きっとユウの保護者ヅラしたあの男なら、俺の欲しい回答をくれるだろうし、俺の欲しい物も持っているに違いない。  気は進まない。非常に進まない。できれば二度と会いたくない。でも、ユウが働く意欲を持っているのなら、このままにしておけない。なにをするにしても、この国では身分証明証は絶対に必要だ。  あの男がまっとうな仕事に就いた人間ならいい。実は暴力団で「あいつの戸籍はない」とか言わないといいけどな……。  男の自宅かどうかは分からないが、携帯を返しに行ったマンションなら覚えている。ユウを連れて行くのは危険だ。 「うーん……」  画面をタップしてユウに電話する。 『もしもし? ヒロ君どうしたの?』 「うん。なにしてた?」 『テレビ見てたよ』 「昼飯は?」 『ポテチ』 「またそんな菓子食ってんのか。棚にワカメスープが入ってるから、せめてスープも飲めよ」 『はーい』  呑気そうな声。何事もないようで安心する。 「今日、帰るのがちょっと遅くなるかもしれない。八時前には帰れると思うから心配しないで」 『りょうかーい』  やっぱり呑気な声。  言わなくても心配する気はサラサラなさそうだ。

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