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対決
会社を定時で上がり、いつもとは逆の方向の電車に乗る。駅からはタクシーを使い、男の住むマンションの前まで行ってみた。
記憶に間違いは無かった。
ちゃんとたどり着けたことにホッとする。
あの身なりからして電車通勤をしているような感じではなかったけれど……。
高そうなスーツ。細い銀縁の眼鏡越しに見えた目は蛇のように鋭かった。
見上げているとタクシーの運転手がミラー越しにこちらを見た。
「お客さん、どうしますー?」
「駅に戻って下さい」
「そうですか。そうですか」
「すみません」
「いやあ、こっちは助かりますよ。あはは」
「ははは……」
明日は車で通勤して、帰りにマンションの前で張ってみよう。
翌日、ユウに「帰りは九時くらいになる」と言ってアパートを出た。
マンションの前で八時半過ぎまで粘ったけど、それらしき人間も、黒光りした怪しい車の出入りも無かった。
その次の日も空振り。
困った。身分証明証の問題が解決しない限り、ユウの次のステップが望めない。郵便ポストも分かっているのだから、こうなったら手紙を投函するしかないだろうか。
考えながら会社を出ると男が立っていた。
見覚えのあるシルエット。背が高く、黒のロングコートに銀縁の眼鏡。
「……あ!」
ビックリして立ち止まると、男はこちらに向かって堂々とした仕草で歩いてきた。
「火神さん……ですよね」
「なんで名前」
「ここで話すのも、そちら側にはあまり好ましくないでしょう。どこか話ができる所へ移りませんか」
「……そうですね。その前に、名前を教えて貰えますか?」
「橘です」
「タチバナさんですね。良かった。僕もあなたと話がしたいと思っていました」
男は不敵に微笑み眼鏡を指で押し上げながら「行きましょう」とその手を前に向け促した。
「結構です。お先にどうぞ」
こちらの警戒にも余裕の表情を浮かべ、男は歩きだした。その数歩うしろを歩く。男は黙って歩き続け、ある小さな喫茶店の前で足を止めた。「ここでいいか?」というように視線を向けてくる。
喫茶店なら他の人間の目もあるし安全だと判断して俺は無言で頷いた。
男は喫茶店のドアを開けて、振り向きもせず先に入った。あとに続く。男は奥のボックス席へ座った。向かいに座ると、マスターらしき男性が、水とおしぼりを持ってくる。男は無表情な視線をこちらへ向けた。
「コーヒーでいいですか?」
「はい。ホットで」
男がオーダーを通す。
「この間は挨拶もなく、失礼しました」
男はそう言って名刺を出した。俺は非礼だと思ったが、名刺は出さなかった。どうせ、俺の全てを把握しているのだし、これは仕事ではない。
名刺には会社名と代表取締役社長という肩書きが記してある。その会社名は聞き覚えがなかったが、社長なのか。どうりで身なりがいいはずだと納得する。
「改めまして、橘です」
「……火神です」
「あのあとどうでしたか? 優太はすぐ見つかりましたか」
「……はい」
男は視線を落としふっと微笑む。
「それで……まだそちらに?」
「それをあなたに教える必要がありますか?」
男は眉を上げ平然と「えぇ」と答えた。
「お待たせしました。オリジナルブレンドです」
男はマスターにチラリと目線を向け、背中をソファに預けた。俺も軽く頭を下げる。
「ごゆっくりどうぞ」
マスターが立ち去る。
ふっと息を吐き、改めて視線を合わせると、男が口を開いた。
「話というのは他でもない。家出した家族を返していただきたい」
俺も男の目を見つめ返した。
「返す? 俺はユウを誰かに借りた覚えはないですよ」
鼻で笑うと男は呆れるように言った。
「禅問答をしたい訳じゃないんですよ」
男は仕方ないというように、続ける。
「……こんなやり方は不本意ですが、仕方がない。手を引いていただければそれ相応の謝礼はします。いくらなら満足です?」
作っていた笑顔が凍りつく。
なにを言ってるんだこいつ? 頭おかしいのか?
「……僕もあなたにお話があるんですよ。ユウは仕事をしたいと言っています。自動車免許証。もしくは国民健康保険証、国民年金手帳。マイナンバーカード。あなたが保管しているのなら、こちらへ渡していただきたい」
俺の言葉に、男は微塵も動揺する様子を見せず言った。
「必要ありませんよ。こちらに帰ってくればいいだけのことだ」
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