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対決 6

「さぁ、どうでしょうね。優太の真意がどうであれ、俺は凍えた小さな優太を見つけたその時に決めたんです。どんなことが起きようともずっと守っていくと。俺が全力で守るのは他の誰でもない。優太です。今までも、これからもそれが変わることはない」  男の言葉は心からの言葉だと思った。  目の前の男はそのためだけに生きてきたんだ。でも……。 「ではなぜ、今も婚約者がいるのですか? 約束をしている女性があなたからのプロポーズをひたすら待っていたら? ユウがめんどくさいのが嫌いで好きなことだけしていたい人間だとさっきあなたは言いましたが、それだけの人間じゃないでしょ? ユウは自分のことしか考えられない人間じゃないのでは? 思いやりがあって、感受性が強くて、人の痛みを自分のことのように受け止める人間なのではないですか?」  ユウは初対面の楠木が遊びに来た時、あいつが楽しめるようにと心を砕いていた。二人でいる時間を邪魔されたからとつっけんどんな態度を取ることもなく。  好きなことだけしていたい人間があんな気配りをできるだろうか? 楠木のためだけじゃなく、それは俺のためでもあったろう。俺が困らないよう自分の立場を察し、空気を読んで振舞ってくれた。  ユウは求められた自分であろうとした。  そう……それはこの男といた時だって発揮されていたはずだ。「何もしなくていい。俺の傍にいるだけでいいんだ」そう言われたらユウはそう振舞うだろう。余計なことはしないと思う。それがこの男の望みなら。  フッと男が笑った。 「よくわかってらっしゃるじゃないですか。だからこそ守ってやらないといけないんです。人を踏み台にするような人間じゃないんですよ。俺とは違ってね」  ユウの気持ちが今は手に取るように分かる気がした。  ユウがどれだけ、この頑固な男を想っていたのかも。  それでも俺は言った。 「あなたにそうなって欲しくないんです。ユウは。あなたが平気で人を傷つけられる冷酷な人間じゃないと分かっているから。ユウは、ユウはあなたが大事だからあなたの元を去った。ユウの気持ちを分かってあげなきゃいけないのはあんただ」  男は数秒俺を見つめ、唇を歪めた。 「ここまで話してもまだそんなことをおっしゃる。僕が望んでいる言葉はそんな説教じゃない。あなたの覚悟ですよ」 「覚悟なら。とうの昔にできていますよ。ユウを見つけた時から。ユウを家に上げた時から。俺だってそんなことをしたのは生まれて初めてだ。俺はユウを離すつもりはない。ユウが自立するのと、それは違う話じゃない。一緒にいたいからこそ、ユウの自立をサポートするんだ。互いのために」  男は視線を宙に上げ静かに息を吐くと、その視線を俺に向けた。 「わかりました。身分証はそちらにお送りしましょう。ただし、御自分の発言に責任を持っていただきたい」  男は伝票をスッと手に取り立ち上がった。 「へ?」  突然のことにポカンと見上げることしかできない。レジへ向かう男の背中を慌てて追いかけると、男がぴたりと足を止め振り向いた。ギョッとして立ちすくむ俺の耳元へ、男が顔を寄せる。 「万が一のことがあれば、俺はあんたを絶対に許さない」  ヤクザのような脅し文句。  男は俺の肩をポンポンと叩くと、会計を済ませ店から出て行った。  身分証を送ると言ったっけ。……住所もとうにバレてるってことだ。 「はは……。まいったな」  俺はなんとも言えない敗北感に打ちのめされ喫茶店から出た。  オフィス街はすでに人気(ひとけ)が無く、冷たい空気と巨大な人工物に支配されている。  寒風が吹きつけるたびに、耳の皮膚がチリチリと痛んだ。  電車に乗り、駅に着き、公園を左手に眺めながらトボトボと歩く。  アパートの前までくると、しばらく歩道から二階の窓を眺めた。 「…………」  さっきの会話が、俺自身の言葉が、ジワジワとボディブローのように心にきていた。  ユウの決意を思うと涙が出そうだった。  あの時、携帯を手放すのをためらったユウ。「まだ使えるのに?」と言った。  連絡先はあの男しか入ってないのに、他に電話するあてもないだろうに。  ユウは姿を消す決意をしてあの男の元から逃げた。  でも一本の細い糸のような確かな絆を捨てることができなかった。「スッキリした」とうそぶいたユウ。あの時はあれが、精一杯の強がりなんて気づきもしなかった。  星空を見上げ、詰まった息を吐き出す。  カラカラと小さな音に二階を見た。  ベランダに首を竦めたユウが現れた。寒そうに胸の前で腕を組んでる。俺に気づくと「あ」の形に口を開け、パァッと笑顔になった。  ベランダにもたれ袖から指先だけ出して、顔の横で小さく手を振る。  寒いのに。俺がまだ帰ってこないのかと……外へ出た?  ユウのそんな姿を見たのは初めてだった。

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