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第5話 つがいは香る

 バイト帰りに、荒城がコテージまで送ってくれるから、その分のバス代が浮いた。微々たる金額だけど、コテージで生活する和美にとっては大切なことだ。優遇される併設のショッピングモール内の店舗ではなく、外の店舗でバイトをしているから、交通費ひとつでも、自腹は辛い。 「なんで、毎日来るんだよ」  講義を受けようと、いつもの席にすわると、開始ギリギリの時間に幸城が隣に座るようになった。 「同じ学部なんだから、受ける授業も同じでしょ?」  幸城は当たり前のことを言うけれど、ついこの間まで、幸城は和美の、周りにはいなかった。アルファであるから、周りにはたくさんの取り巻きがいて、当然女子学生が隣を奪い合っていた。  それなのに、和美の隣になんて座るから、厄介な視線が和美に突き刺さる。もっとも、和美がオメガだということは知れているため、誰も直接は行動をおこしたりはしなかった。 「スマホで講義を録画してるんだ」  和美がスマホを立ててカメラモードに切り替えるのを見て、幸城が感心したように言ったきた。 「ヒートが近くなってくると集中力がなくなるんでね」  和美がそう答えると、幸城は嬉しそうな顔をした。 「次のヒートは荒城と過ごすの?なんなら俺が相手してもいいよ?」  そう言って幸城が和美の手に、自分の手を重ねてきた。 「気安く触るな。俺はコテージ育ちだから、コテージに登録出来ないようなアルファに用はない」  講義が始まっているため、和美は板書に集中したい。荒城が職業柄コテージに登録出来ないことぐらい知っている。隣に座る幸城も、おそらくコテージに登録出来ないだろう。 「言ってくれるなぁ」  ノートをとりだした和美の邪魔にならないように、幸城は手を離したけれど、目線は講義をする教授ではなく和美に向けたままだ。傍から見れば、オメガを愛でるアルファという構図にしか見えないだろう。 「ノートとらないのかよ」  ずっと自分を見続ける幸城の視線がうっとおしく感じてきて、和美は思わず聞いてしまった。 「ああ、この教授の授業のノート、先輩から貰ってるから」 「なんだよそれ」  講義のノートさえも金で解決してしまう。と言うことに和美は舌打ちしたくなった。アルファはなんでも持っている。それが羨ましいと思ったことはないけれど、こういう何気ない日常の些細な行動で見せつけられると、地味にイラッとするものだ。特に、本人が自慢する訳でもない態度をとると、余計だ。 「ちゃんと勉強して偉いよな」  何故か幸城が和美の頭を撫でてきた。 「子ども扱いするな」  払い除けるのもめんどくさい。和美は幸城を無視することにした。幸城や荒城のいる世界のことは分からないけれど、会社で言うところの社長の息子と役員みたいなものだろうと理解する。そうなると、荒城は幸城に意見を言えないのだろうか?幸城がくれと言えば、荒城は和美を差し出すのだろうか?  ふとそんなことを考えたけれど、直ぐに思い直す。和美はオメガであるから、和美の意志を無視した行為は許されない。仮にヒートの時に幸城が相手をしたとしても、ヒート明けに和美が同意してない。と訴えれば幸城は罰せられるのだ。 「一緒にご飯、食べない?」  講義が終わって、ノートをしまっていたら、幸城が和美の耳元でそんなことを言ってきた。周りに聞かれないようになのか、ものすごく近い距離だ。一応、アルファからオメガへのお誘いなわけだ。名家ではないとはいえ、幸城はアルファであるから引き寄せられるように人が集まる。 もちろん、裏社会でそれなりに権力があるのだって理由はある。表立っていないだけで、名家の分家なのだ。名家にはできない汚れた仕事をこなす役割を担っているから、潰されずに存在するのだ。経営しているのが風俗関係なだけで、企業としてはそれなりに大きいのだ。実はファミレスのチェーン店がグループに入っていたりもする。 そちらの面だけを見れば、クリーンなわけで、幸城はそちら方面の事業を既に任されていた。だから、幸城とのランチはファミレスということだ。 「学食じゃないよ、俺の店っていうのもなんだけど。ファミレス、ダメかな?」  人の良さそうな笑顔を向けられれば断りにくいというものだ。何より、学食でなければ、周りに人が集まるということも無い。 「いいよ」  断る理由がもともとなかったので、和美は承諾した。  そうして二人で大学近くのファミレスにはいる。途中、ベータの女子学生が声をかけてきたけれど、幸城が和美の手を握っていたからあっさりと引き下がってくれた。  アルファとオメガの間に入り込むような無粋な真似は、成人していればさすがにしないものだ。下手をうてば直ぐに罰せられるのが分かっていて、オメガと争う事などしない。  幸城に連れられて、ファミレスに入ったものの、和美はファミレスの仕組みがよく分かっていなかった。コテージで生まれ育ったから、外食は隣接するショッピングモール内の飲食店だった。 「なぁ、ドリンクバーってなんだ?」  和美の質問に、アルファである幸城も思わず笑ってしまった。 「ある意味、オメガって世間知らずに育つんだな」  幸城に笑われて、和美は唇をとがらせた。世間一般的には、アルファの方が世間知らずと認識されているのに、ファミレスの仕組みを知らないだけで笑われるのは心外だった。 「わかりやすくいえば飲み放題ってことだよ」  幸城が注文をしてくれて、和美にドリンクバーの使い方を教えてくれた。 「荒城に恨まれそうだな」  笑いながら幸城は和美にコップを渡す。 「ボタンを押してる間飲み物が出てくるから、こぼさないように気をつけてね」  言われて、見様見真似でやってみる。  和美は何とか飲み物を持って、席に座った。すると何故か幸城が隣に座る。 「なんだよ」 「ん?この方が安全かな、って」  幸城が、やたらと身体を合わせてくる理由は分かっている。アルファのフェロモンをつけているのだ。わかりやすくいえばマーキングだ。 「教えておくよ。外のガードレールに腰掛けてる男、お前のこと狙ってるから」  和美の肩に手を回して、頬をよせて幸城が言う。顔を動かせないから、そのまま目線だけを動かすと、確かにガードレールに腰かけた男がいた。誰かを待っているように見えるけれど、スマホを片手で操作している。そのカメラがこちらに向けられているのが、ハッキリと分かった。 「誰の指示かは分からないけれど、俺や荒城の手の者じゃないことは確か」  幸城がそんなことを言う。変に喉が乾いた和美は、自分で取ってきたソフトドリンクを一口飲んだ。  ───────  バイトの帰りは荒城が送ってくれるのだけど、荒城の車は赤いベンツで、随分と悪目立ちをしている気がした。この車に乗ったら、逆に目立って危ないのでは?と和美は思っているのに、荒城が言うには、見せつけるためらしい。  車に乗っている時間は大して長くもなくて、コテージにある施設の入口近くに車を停めると、荒城が和美に覆いかぶさってきた。 「やめろよ」  和美が軽く押し返すと、荒城はあっさりと身を引いた。直ぐに車から降りて、助手席のドアを開け、和美の手を取って降りるのを手伝う。和美も素直に荒城の手を取る。和美の体が車から出て、和美が立ち上がったタイミングで、荒城は迷うことなく和美の口を塞いできた。  その一連の流れは隙がなくて、和美は立ち上がった反動で、そのまま荒城の胸に飛び込むように抱きしめられた。背中は車に押し付けられて、後頭部に荒城の手がまわっている。元々身長差があるから、抱きしめられれば完全に荒城の腕の中におさまってしまう。  和美がなにか抵抗しようとする前に、荒城は和美の唇を軽く噛んで舐めてきた。その刺激で、あっさりと和美は口を開いてしまう、そうなればアルファの舌が遠慮なく和美の、口内に侵入する。舌を擦り合わせるようにして、唾液の分泌を促される。  歯列をゆっくりと舐められる頃には、和美の口の中は二人分の唾液が溢れていて、和美は溺れないように飲み込む。和美の喉がなると荒城の口から笑いがこぼれる。角度を変えて、何度も舌を吸われる。そもそもこんなことをしたことが和美の記憶上ない。息継ぎのタイミングは完全に荒城任せだ。 「っはあ、っん」  何度も口の中に溢れる唾液を飲み込んで、ようやく解放された時、和美はくったりとしてしまった。自分の体の中に、アルファの匂いを飲み込むという行為に慣れていない。それに、抱きしめられてその匂いにも包まれていた。完全に荒城からのアルファのフェロモンに酔ってしまった。 「可愛いな、こんなことでそんな顔をするなんて」  完全に車に寄りかかってしまった和美を、荒城は上から見下ろしていた。 「マーキングだ。本当は毎晩お前の中に俺のモンをぶち撒きたいんだがな」  冗談ではない事を言われて、和美は顔がひきつった。 「昼間、若がやたらと体に触っただろ?他者を威嚇してくれるのはありがたいんだが、お前は俺のオメガだからな」  荒城が和美の髪を撫でた。 「毎日するからな」 「はぁ?」  和美は何一つ納得していないのに、周りの大人が勝手に納得している。 「おやすみ」  そう言って、荒城は和美を扉の向こうに押し込んだ。セキュリティで和美が触れれば扉は開く、和美が中に入ると、勤務時間外なのに山形が待っていた。 「はい、お疲れ様です」  和美からの返事ではなく、山形からの返事で扉が閉められた。 「ったく、うるさいヤツだな」  和美のバイト先のマスターよりも、やたらと山形の方が荒城にうるさく言ってきた。荒城が渡された名刺の連絡先に電話をしたら、すぐに面談の約束をさせられた。  施設のオメガを引き取りたいアルファには、必ず担当職員が面談をするのだそうだ。もちろん本人の意思は尊重するが、迎えるアルファが、既に結婚していた場合は、たとえ運命であっても断るそうだ。オメガが、幸せな暮らしを約束されないところには送り出せないということらしい。全てはオメガ保護法の元に決められていると言うのだから、仕方がない。

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