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第6話 運命は突然に
今年の梅雨明けは例年通りなのか、それとも長引くのか。そんなことを話題にしながらも、傘は手放せない。和美は無くすのが嫌で、折り畳み傘を使っていた。
「折り畳み傘使ってるんだ」
講義が終わって荷物を片付けている和美に、幸城がそんなことを言ったきた。大きなリュックの中にある折り畳み傘は、四角が大半を占める中で居心地が悪そうに見える。
「無くすと申請が面倒なんだ」
和美がそう答えると、幸城は少し驚いた顔をした。アルファではあるけれど、まだ特定のオメガとかかわりを持ったことがないため、幸城はオメガというものに興味がある。もちろん、母親はオメガではあるけれど、アルファである父親が息子であっても会わせてくれないから、幸城にとってはオメガは未知なる存在だった。
「コテージに住んでるからな。なんでも貰えるけど、申請しなくちゃいけないから、手続きが面倒ってことだよ」
幸城が理解していないようだったので、和美は事情を説明した。一般家庭なら、親に無くしたとでも言えば、一応は怒られるだろうけれど、すぐに買ってもらえるだろう。けれど、和美はコテージの施設にいるから、申請して受理されて許可が降りるまでの時間がかかるのだ。
「荒城に買ってもらえばいいのに」
和美の話を聞いて、幸城の口から出たのがそれだったので、和美は驚いて目を見開いた。
「なんでそうなる?」
思わず口から心の声がこぼれ落ちる。
「なんで?なんでって、アルファは番のオメガの言うことならなんでも聞くよ?」
「番ってないから」
思わず和美は即答した。
「次のヒートで番うんでしょ?」
幸城は笑ってそう言った。和美は誰とも番つもりなどないのに、周りはそれを聞いてはくれない。
「ヒートの相手にするつもりもないよ」
和美はそう言って、リュックのポケットに目がいった。定期的に飲まなくてはいけないホルモン剤だ。バイト先で飲むのもあからさまなので、ここで飲んでおいた方がいいだろう。
ペットボトルの水で、ホルモン剤を飲み込むと、幸城がじっと見つめているのに気がついた。
「それが髭の元?」
和美の口髭に、少し水滴がついているのを幸城が指で拭った。唇に触れられるより柔らかな皮膚への刺激が で、思わず頬が熱くなった。
「気軽に触るな」
バレないように一歩後退り、いつものように幸城の手を振り払う。幸城は意識していないのだろうけど、ふわりと幸城のアルファとしてのフェロモンが漂う。
「ごめん、ごめん」
幸城は笑いながら謝るけれど、反省していないのが丸わかりだった。
「バイト行くの?」
ペットボトルをリュックの外ポケットに差し込んで、和美が背負うから、また幸城が和美に近付く。
「今日は焙煎する日だから」
和美はそう答えて、入口に向かって歩き出した。
「途中まで一緒に行くよ」
義兄弟である荒城のオメガである和美を、せめて大学にいる間だけでも守りたい。そんな気持ちで幸城はいるのだけれど、初めて身近に接するオメガへの距離感がイマイチ掴めていなかった。
「横に立つなよ。俺が小さく思われる」
幸城はアルファらしく伸び伸びと育って、180を超えていた。対して和美は、それなりに大きくなってギリギリ170になった感じだ。
「そんなこと気にするとか、やっぱり可愛いよな」
幸城は上から和美のあたまをつつく。それさえも、和美の身長コンプレックスを刺激する。オメガとして育ってきたから、分かってはいるけれど、こうしてアルファに見せつけられるとなんだか無性に腹が立つというものだ。
「バスだっけ?」
門の手前で確認をする。
和美も、時刻表をアプリで、まもなくバスが来ることをかくにんした。
「そう、すぐそこのバス停」
そう言って、和美は幸城に手を振った。つまりは、ここまでで結構です。という意思表示だ。
「気をつけてね」
幸城はしかたなく、その場で立ち止まる。本当は、バスに乗るまで一緒にいたいのだが、和美が嫌がるので仕方がない。時間的にまだまだたくさんの学生がいて、ちょっとした人混みの中を和美がゆっくりと門へと向かう。その背中を幸城は見送りながら、スマホで荒城に報告をしようと一瞬目線を和美の背中から外した。
「────!!」
逸らした目線を少しあげて、和美の後ろ姿をカメラに納めようとボタンに指を乗せた時、幸城の視界にありえない光景が見えた。シャッターボタンに乗せた指が離れなくて、連射モードになっている音が耳に届くけれど、幸城は自分の見ている光景が信じられなかった。
「嘘だろ?こんな、真昼間」
慌てて走り出す。けれど、門を出て歩道を歩くはずだった和美を、横からでてきた男が担いで、滑り込むように門の前に停まったバンの中に消えるまでの時間が短すぎた。
あまりの手際の良さに、周りにいた学生たちも何が起きたのか理解していない。それに、和美も声を上げることさえ出来ていなかった。
走り去るバンに向けて何とかシャッターボタンを押すけれど、どこまで撮影出来ているのかは不明だ。
慌てて荒城に連絡を入れる。
「荒城、ごめん」
繋がってすぐ、素直な気持ちを伝えた。
───────
事務所のパソコンに、幸城がたまたま連写した写真を転送する。荒城は慣れた手つきで写真を拡大して、画質を修正する。
「見たことはねぇなぁ」
和美を担いだ男の顔を見て、荒城は首を捻る。夜の街で説教した輩の中に、こんな顔はいなかった。もっとも、そちら絡みの連中が、荒城のオメガに手を出すはずなどない。わざわざ荒城が、自分の目立つ赤いベンツの助手席に座らせてまで、コテージに送り届けているのだ。
『俺のオメガ』とわざわざ知らしめるように振舞ってやっているのだから、それを知ってのことならば、これは完全に売られた喧嘩になる。
「あっという間だった。素人じゃないのは確かだと思う」
一部始終を見ていた幸城は、その時のことを頭の中でなぞるけれど、無駄なく最短の時間で和美を拉致して行った。まさに、和美が大学の門をくぐったその瞬間を狙っていたとしか思えない。最短で最速で、無駄のない動きだった。
「失礼します」
威勢のいい声がして、荒城の部下が入ってきた。
「コーヒー屋のマスターには話つけてきました」
「……………」
荒城は無言で答えない。目線だけを部下に向ける。それの意図を組んだ部下は、静かに荒城の横に来た。
「こいつ、ですか?」
修正はしたものの、画質が荒い。それでも顔見知りなら何とか理解ができる範囲にはなっている。荒城はさらに画像修正を、かけてみる。
「あっ」
さらに修正がかけられた画像を見て、部下が声を上げだ。
「なんだ?」
荒城が、片眉を上げて部下に聞く。
「恐らく、なんですけど……こいつ組の車番じゃないですかね?」
「車番?」
それを聞いて幸城が、画像をじっくりと見る。母屋に出入りする者なら、幸城だって一度は見たことがあるはずだ。
「若、確か女衆の車番ですよ。普段は別宅にいるから、馴染みはないと思います」
荒城の部下がそういうので、自分が知らないのは当たり前だと幸城は思った。女衆の車番なら、アルファである幸城と荒城には馴染みがなくて当然だった。
しかし、そうなると誰が?という疑問が生じる。別宅にいる女衆は、全て組長のイロなのだ。
全く心当たりが浮かばなくて、気晴らしに荒城はコーヒーショップに、自ら出向いた。
「和美くんは?」
店に入るなり、マスターから不機嫌な言葉を投げつけられた。つまり、歓迎されていない。
「今、心当たりを確認してるところだ」
荒城がそう答えると、マスターは無言のままコーヒーをいれて荒城に差し出した。
「また来る」
テイクアウト用の紙カップからは、ほんの少しだけ和美の匂いがした。荒城が警察犬ならば、この匂いだけで和美を探しだせるのに。そんなことを考えながら歩いていると、ポケットのスマホに着信がきた。
「どうした?」
『別宅の車番で間違いありませんでした』
「誰の指図だ?」
『すみません、ここにはいませんでした』
「…分かった」
通話を切って、荒城は舌打ちをした。別宅の女衆が、荒城の番に躾をしようと、事を起こしたのではないというのだろうか?そうなると、荒城の地位を狙う誰かが、荒城の弱点であるオメガを狙ったということになる。
コーヒーを飲みながら事務所に入ると、幸城がだいぶ情けない顔をしていた。
「若?」
見慣れない顔をされて、荒城は訝しんだ。演技では無さそうだ。
「俺が不甲斐ないばっかりに」
目の前で和美が拉致されたことが、余程ショックだったらしく、幸城は項垂れていた。しかも、犯人が別宅のとは言え身内なのだ。
「別宅にはいなかったらしいです。俺を排除したいやつがいるってことですかねぇ」
荒城は自分を落ち着かせるために、コーヒーカップの匂いを嗅いだ。微かだけど香る和美の匂いは重要だ。
「─────っ」
いつもと違う着信音に、荒城は慌ててコーヒーカップを落としてしまった。飲み終わっていたために、床になんらかの被害は起きなかった。
『和美くんはどこですかっ』
荒城が、出るなり山形の怒鳴り声がした。
「いきなり怒鳴るな」
耳に当てなくても、山形の声がハッキリと聞こえてくる。もちろん、スピーカーにもしていない。
『和美くんを生活活動圏外に連れていく時は、事前に申告をって、言いましたよね?』
山形は物凄い勢いで怒鳴るように喋ってくる。
「ああ?生活活動圏外?」
聞きなれない言葉を言われて、荒城は怪訝な声を出した。
『なに、しらばっくれてんですか?分かってるんですからね。和美くんを勝手に連れ出してるんでしょう』
山形は、やたらと確信したように話してきた。
「なんで、おめーが分かるんだよ?」
荒城が聞き返すと、山形の声が明らかにドヤって、
『コテージ特性のネックガードには、GPS機能が付いているんですよ!あなたがどこに和美くんを連れ去っても、私には筒抜けですからね』
それを聞いて、荒城はコレだ。と思った。
もちろん、事務所にいる全員が思った。
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