8 / 23

第8話 求めるはその香り

「まっ、まだっ、まだシートベルトを締めてませんからっ!」  そう、叫ぶけれど、ハンドルを握る荒城は聞いてはくれないようで、自分はサッサとしてめ、アクセルを踏み込んで行く。 「ひぃぃぃぃぃ」  上手いこと荷重がかかって、シートに体が沈んだけれど、手にする大切なタブレットのおかげで、シートベルトを引っ張ることが出来ない。 「サッサとしろよ、高速に乗っちまうぞ」 「今、いま、ぃまぁ!」  山形は慌ててシートベルトを、引っ張ってロックをかけた。カチリという音がして、ようやく安堵する。 「ちょっと、もう少し丁寧にしてくださいよね?私はねぇ、コテージの施設に勤めているんですよ!分かります?公務員なんですっ!公務員。しかもね、驚くことにコテージの職員って、国家公務員なんですよ。この意味分かりますか?」  山形は己の安全を確保した途端に、一気にまくしたてた。 「知らねぇなぁ、俺らみたいな裏稼業が、そんな難しいこと理解できるとでも、思ってんのか?あぁ?」  不機嫌丸出しの荒城は、信号が青に変わった瞬間にアクセルを強く踏み込んだ。そのせいで、山形の体がまたシートに沈む。 「もう少し緩やかにアクセル操作をして貰えませんかね?」  急ハンドル急発進と、およそ教習所で習うことの真逆を繰り返されて、山形はタブレットを抱え込んで苦情を申し立てた。 「んなことより、よぉ、和美はどこにいるってぇ?」  荒城は前方を向いたままで山形に聞いてきた。 「あっ、ええと」  手にしたタブレット画面をタップして、山形は表示された住所を読み上げる。 「ええと、小田原市…」 「あぁ?ちょっとそれ見せろや」  荒城は車を急停車させて、山形からタブレットを取り上げた。  表示された住所と、マップが示す箇所を確認して、荒城の眉間におおきなシワが出来た。 「あぁ?」  背筋が冷たくなる。と言うより、全身の血が一気に下がった。そんな錯覚を起こさせるほど、荒城の声は低く山形の体に突き刺さった。  山形が悪いわけでは決してないのに。 「あ、の?」  山形は、荒城の顔色を伺うつもりはどこにもなかったけれど、ここまでハッキリとアルファの威圧フェロモンを発せられると、ベータである山形には耐えられない。まるで上から見えない力で押さえつけられている様な錯覚が襲ってくる。  息をするのが辛くて、震える指でパワーウィンドウのスイッチを押した。窓が開いて、外気が入ってくると、その生暖かい空気に山形は安堵した。 その生暖かい空気を吸うと、強ばった体が楽になる。 「あの、荒城さん?」  荒城が、横目で山形を睨んだ。 「場所は分かった」  そう言った荒城は、また乱暴にアクセルを踏む。 「安全運転、安全運転をしてください!私は公務員だと言いましたよね?公務員がですねぇ、勤務中にこんな、道路交通法違反の車に乗っていただなんて、ダメなんですよ。わかりますか?」  山形は必死に訴えるけれど、荒城は聞こえていないのか、全く速度を落とす気配がない。真っ赤なベンツが右にウィンカーを出して疾走する。山形の視界に入った車が、自主的に左へと避けていく。  山形は、チラと横目で表示されているデジタルを見て、唾を飲み込んだ。 (免停だ。こんな速度出るなんて、この車リミッターどうなってるんだ?)  頭のなかで思うことは、口には全く出てこない。  荒城から取り返したタブレットを握りしめて、山形は荒城の顔をチラチラと、見るしかできなかった。 「並行輸入だからなぁ」  山形の心の声が聞こえたのか、荒城が答えた。山形の心の声は決して漏れてなどいない。 「そ、それはお手続きが大変だったでしょうね」  山形も、もう思考がままならなくて、思ったことを思ったまままに口にしている。べつに、お世辞でもねぎらいでもない。 「手続きは部下がやったからなぁ」  律儀に荒城は、山形に返事をした。 「そ、それはまた優秀な部下をお持ちのようで」  困ったことに会話が成立してしまって、山形はまたもや律儀に返事をする。助手席からでも見えるデジタルのメーターは、どう見ても法定速度を軽くオーバーしている。少しでも接触があれば、その弾みで鉄の塊はどこかに飛ぶだろう。 どこかに設置されているらしい取締機に引っかかっていたら、情けない顔でタブレットを抱きしめる助手席の山形が写っているはずだ。 「これは君だよね?」と聞かれれば素直に認めるし、 正直に事情を話す覚悟はある。オメガ保護法に基づく行動は、人権の面からも優先順位が上になる。タブレットから、和美の状態がサーバーに送られて、その和美のために山形が出張残業をしている。 「大丈夫、大丈夫。ログは残るから」  山形は自分に言い聞かせるように呟くと、タブレットに目をやった。  和美の、居場所に随分と近づいている。  和美の状態を確認するために、画面を広げると、数値が変化しているのが見えた。 「え?まずい」  山形は、和美のネックガードから送られる和美の状態を表す数値に焦った。色々な数値が急に変化をし始めたのだ。 「どうした?」  法定速度は守らないけれど、安全運転は心がけている荒城が、ウィンカーを出しながらも山形の呟きを拾って聞いてくる。  これを言うと、荒城の心理状態に宜しくない。と分かってはいるけれど、答えなければ荒城が怖い。 「あ、あのですね。和美くんのヒートが始まってます」 「………」 「確かに、そろそろ周期ではあったんですけど、少し早いです。こんな状況で…」  山形がまるで独り言のように呟き、タブレットを操作するのを、荒城は黙って横目で見る。  既に日が落ちて暗くなった。雨が降っているせいで人ではほとんどない。すれ違う車は帰路を急ぐように見える。 「ああ、少し前にネックガードに衝撃が加えられてる。無理やり番うつもりが?」  市街地を走るから、荒城の運転がそこまで乱暴ではなくて、山形はようやく和美のネックガードから送られてきたログを確認する。少し前にネックガードに与えられた衝撃はなかなか数値が高い。 「ネックガードを破壊しようとしたってことは、和美くんは縛られてる?それともコテージのネックガードと分かってない?」  山形はブツブツと呟きながら、いくつかの仮定を口にしていた。 「おい、そろそろ着く。和美はどの部屋だ?」  荒城がゆっくりと車を動かしているのが分かって、山形は慌ててタブレットをタップして、マップを拡大する。和美がいる建物が大きくなり、和美がこの建物のどの部屋にいるのかが分かった。 「ここです」  画面を荒城の方に向けると、荒城は確認したようで、かるく頷いた。 「ところで、あの…どうやって中に入るんですか?」  山形はここで根本的なことを荒城に聞いた。オメガ保護法をもって、中にはいることはできるけど、大前提として、扉を開けてもらわなくてはいけないのだ。ドラマなんかで見るような、蹴破るとか、そんなことは実際はできない。とにかく、中にいる人に扉を開けてもらわなくてはならないのだ。何ともまだるっこしいことだ。 「それは問題ねぇよ」  荒城は目的の建物の前に車を停めた。山形を待たずにサッサと玄関に向かうと、なんの躊躇いもなくドアノブに手をかける。すると、扉は簡単に開いた。 「え?鍵がかかってない?」  オメガを拉致しておきながら、扉に施錠していないだなんて、油断しすぎとしか思えない。和美に荒城が懸想しているのを知っていて拉致をしたのではなかったのだろうか?いや、もしかすると・・・ 「荒城さん、罠ではないんですか?鍵がかかってないだなんて、こちらを誘っているみたいじゃないですか」  山形が慌てて追いかけて、荒城の背中にそう言うと、荒城は面倒くさそうに振り返って口を開いた。 「罠でもなんでもねーよ。ここはいつも鍵が開いてんだよ」  荒城が扉の中に入ると、頭を下げる男が複数。 「え?どーゆーことで?」  山形は荒城の後をついて行くしかない。広い廊下に、複数の男が立って頭を下げている。どいつもこいつも似たような派手なシャツに、変わった髪型だ。 「俺のオメガを迎えに来た」  目的の部屋の前に、扉を守るように立つ男が、一人。 「こちらにはお嬢がいまして」  男は一応、言い訳みたいなことを口にして、荒城を中に入れようとしない。 「俺のオメガが、そこにいんのは分かってんだよ」  荒城がそう口にした途端、ドアの前に立つ男の喉が短く鳴った。それはもしかすると小さな悲鳴だったのかもしれない。男が膝から崩れ落ちるように床に沈んだ。 「邪魔だ」  荒城は一言言って、崩れ落ちた男を足蹴にする。  そうして、開いた扉の中にはソファーに腰かけて雑誌を読むお嬢が居た。 「あら、荒城」  そう言って、お嬢は雑誌を置いて荒城に、駆け寄ったが、荒城はお嬢を無視して奥へと進む。 「ちょっとまって、荒城!奥はダメよ。分かってるでしょう?ここは私たちイロの為の…」  お嬢が慌てて荒城を止めようとするが、荒城は振り返りもせずに部屋の奥の扉に手をかけた。 「ひっ」  ベータの山形でさえ息が詰まるほどの圧を感じた。

ともだちにシェアしよう!