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第9話 そのつがい求めるもの
荒城はドアを開ける前に、そこに和美がいることをしっかりと確認していた。もちろん、山形のタブレットでも部屋の位置は確認済みである。
そして、なによりも、どんなに気密性の高い建物であったとしても、己の大切なオメガの匂いは分かる。車の中で山形が言っていたとおり、発情期のフェロモンが溢れている。
山形が、少し早いだの、ネックガードに衝撃が加えられただの、荒城の平常心を破壊するのに、十分なワードを聞かされた。
ドアノブをにぎる手に自然と力が入った。
だが、予想通りにドアノブは動かない。鍵がかかっているのだ。
「荒城、ダメなことぐらいわかっているでしょう?」
そう言って、お嬢が荒城の腕を掴もうとした。
が、荒城の腕が回らないドアノブを無視して、ドアを押し開けた。
「────!!」
荒城の腕に伸ばしかけていた腕を慌ててお嬢は引っ込めるが、その瞬間に荒城から発せられた威圧のフェロモンは、胸を圧迫するほどに強かった。
床に座り込んだお嬢は、胸の辺りの服を掴む。突然やってきた胸の息苦しさは、どうにも治まらない。それどころか、息をするのもままならなくなった。
そもそも、その扉が押すのか引くのか、荒城は特に気にもしていなかった。何しろ、荒城が押し開けた衝撃で、ドアは外れてしまったのだから。
タブレットを胸に抱きしめたまま、山形は床に座り込んでいた。そして、目の前で自分と同じように床に座り込み、さらに苦しそうに胸を抑えた女性は、この状況からいって、山形が同情してはいけないひとなのだろう。
そして、山形は生まれて初めて、いや、オメガ保護課に所属して初めて、番のためにフェロモンを撒き散らすアルファを見た。たまにコテージで、威嚇し合うアルファのフェロモンに、当てられることはあったけれど、今目の前で荒城が発しているフェロモンは、比べ物にならないほど強かった。
ベータである山形には、目眩と吐き気と頭痛が同時に襲ってきた。荒城の側で力なく座り込む女性は、胸を押さえ込んだまま、倒れ込んでいく。
頭の片隅で、公務員としての義務感が生まれているけれど、山形は喉の奥が張り付くような違和感があって、一言も喋れない。それどころか、上から押さえつけられているかのように、立ち上がることも出来なかった。
しかも、それは、山形だけではなく、ドアの前に立っていた男もそうだし、廊下に立っていた男たちも同じだった。
「オレのオメガに何してくれてんだ、あぁ?」
荒城の声が、山形には遠くに聞こえた。すぐ目の前なのに、荒城の声が遠い。山形は必死に自分の意識をつなぎ止めていた。タブレットを録画モードにして、記録を取らなくてはならない。
だから、山形は必死にタブレットを、抱き抱えている。これはオメガ保護課の職員として、もっとも大切な業務だった。
荒城は、目の前で大切なオメガであるところの、和美が発情期のフェロモンを発しながらも、必死で抵抗しているのを見た。
両の目から涙を零し、歯を食いしばって耐えている。両足首を掴まれているせいで、後ろ手に縛られた手首に負荷がかかっているのが見えた。
逃げようとしているのだろうけれど、既に下履がとられていて、和美の両足首を掴んでいるアルファには、和美の発情した下半身が丸見えなことだろう。
荒城が感情のままに威嚇すると、和美の足首を掴んでいたアルファは、小さな悲鳴を上げて和美から手を離す。持ち上げられていた足が下に落ちて、和美が顔を歪めた。
「何してくれてんだ、コラ」
荒城が、一歩部屋に踏み込むと、それだけで和美のそばにいたアルファは動けなくなり、意味の無い声を発した。
おそらく謝罪かなにか、そんなところだろう。
しかし、荒城には聞こえていないし、聞くつもりもない。荒城は大股で歩み寄ると、邪魔くさいアルファを蹴り飛ばした。あっさりと吹き飛ばされるアルファは、受け身も取れずにそのまま床に落ちていく。
「和美?」
発情期のフェロモンを発しながらも、両手を縛られているせいで何も出来ず、膝を擦り合わせるようにして耐えている和美の姿が、どうにも荒城のオスを刺激する。
「…ぁ、け、ぇ…て」
和美の体が、降り曲がるのを見て、荒城は慌てた。喉がなるが、そんなことをしている場合ではない。和美の縄を解くのが先だ。きっちりと縛られた縄を解くのがもどかしくて、荒城はナイフを取り出して縄を切った。
負荷がかかったせいなのか、和美の手首は紫色の痕がついていた。指先に血が巡らなかったのか、発情しているのに、白くなっている。何より、和美の顔を見ると、上気して頬が赤くなっているだけではなく、明らかに違う赤がついていた。
それを見て、荒城の頭にまた、血が上る。
蹴り飛ばしたアルファではなく、荒城の威圧のフェロモンにやられて倒れているベータに目が行く。そいつに手にしたナイフをつき付けようとしたタイミングで、後ろから手が伸びてきた。
「抑制剤、抑制剤だよ和美くん」
這って来たのか、山形が低い姿勢のままで和美の太ももに抑制剤の針をさした。
「荒城さんもね」
山形は後ろの人物からうけとった、アルファ用の緊急抑制剤を荒城の太ももにに服の上から押し当てた。
「ちっ」
自分にこんなものを使う日が来るなんて思ってもいなかった荒城は、舌打ちをして耐えた。
「と、とにかく、落ち着いて下さい。暴力はいけません。私はオメガ保護課の職員です。オメガ保護法に基づき行動致します」
山形が、声を絞り出すようにそう言うと、背後でちょっとした物音がして、誰かがやってきた。
「これ、使ってください」
それなりにしっかりとした声だった。
差し出されたのは毛布で、持ってきたのは扉の前に立っていた男だった。
「見るんじゃねぇ、俺のオメガだ」
毛布を受け取りながらも、荒城は注意を怠らない。毛布を渡してきたのはアルファなのだろう。他の男たちは動く気配がない。
「申し訳ございません。お嬢のワガママでして」
言い訳を言っているが、荒城は聞く耳を持たない様子だ。それを理解しているのか、アルファの男は山形を見た。
「わ、私はオメガ保護課の職員ですからね、自分の業務をまっとうさせていただきます。オメガ保護法においては、名家の人間であっても例外はないんです。つまり、あなたがたでも例外にはなりません」
山形はそう言いつつ、タブレットを操作する。
「荒城さん、何を考えているのかは、だいたい分かりますけれど、ここから帰ってください。コテージのオメガを保護してくれるのなら、コテージに帰ってください。近場のコテージでも構いませんよ?」
山形がそう言うと、和美を抱き上げた荒城が上から山形を睨みつけてきた。仕事柄、アルファに睨まれるのは慣れている山形は、喉を一度上下させたものの、荒城を見返す。
「出来れば、和美くんのコテージに、帰っていただけませんかね?コテージのご利用をお願いしたいんですが?」
「俺がコテージを、利用できないことぐらいしってんだろう?」
「連絡済みです。和美くんを連れていけば、無条件でコテージが、利用できます。なにしろ緊急事態ですからね」
山形がそう言って、タブレットの画面を荒城に見せた。画面には『承認されました』の文字か表示されていた。
「おめーはどーすんだよ?」
荒城が山形に尋ねる。
「私は、オメガ保護課の職員として、ここに残ります。既に近場のコテージに、連絡は入れてますから、じきにこの地域の職員が来ますよ」
山形がそう言うと、荒城は無言であるきだした。
そして、
「コテージに帰るからよ」
そう言い残して荒城は出ていった。
今更だけど、山形は靴を履いたままだった。なにしろ、先を行く荒城が脱がなかったから、土足でいいのかと思ったのだ。今更だけど、周りの男たちはみな靴下だった。本当に今更だけど。
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