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第11話 それはつがい
わかりやすいぐらいに、備え付けの冷蔵庫の前に避妊薬がカゴに入れられて置かれていた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しつつ、避妊薬を手にして和美の元に戻る。
「飲むか?」
ミネラルウォーターを差し出すと、和美が目線を荒城に動かした。
「やる前提?」
荒城が手にしているのが避妊薬だと分かって、和美は眉をひそめた。発情期の相手を荒城に頼んだ覚えなんてない。それは周りの大人が勝手に良しとしただけなこと。
「さすがに、さっき襲われたばっかりで、ヤル気は起きないか」
荒城は笑いながら、ミネラルウォーターの蓋を外して和美にてわたす。起き上がって受け取ると、和美は美味しそうに喉を鳴らした。随分と長い間何も口にしていなかった。
「お腹がすいてるかも」
山形がうってくれた抑制剤のおかげで、なんだか冷静になってしまった。
「そうだな、なにか頼むか」
説明を受けたタブレットを持ってきて、荒城はベッドに腰かけた。半身を起こしている和美は、自分の下半身に何もないことにきがついて、シーツを強く引いた。荒城はそれに気がついたけれど、気付かないふりをしてタブレットを和美に見せる。
「結構種類豊富なんだな」
随分と充実したメニューに、荒城は感心したけれど、和美は手馴れた手つきで自分の好みのページをめくる。
「俺はパスタと、ハンバーグだな。ソースはデミで、飲み物はアイスコーヒー」
言いながら和美は、自分の分の注文を済ませる。
「慣れてんなぁ」
普段はパソコンと対峙しているけれど、この手のタブレットは扱い慣れていない荒城は、そもそもなにを食べるのかさえあやふやだ。
「和食だとお蕎麦とか?お雑煮もあるよ」
和美が勧めてきたのが偏りがありすぎて、荒城は思わず口の端がひくついた。
(こいつ、俺のこと幾つだと思ってんだ?それよりも、知識が偏ってんな)
これが若い衆に言われたりしたことだったら、怒鳴り散らしているところだが、和美が、荒城に気を使っているのが分かるだけになんとも答えにくい。体に気を使ってはいるけれど、一応ここはコテージなわけで、抑制剤を投与されたとは言え、和美は発情期だ。
このあと、たとえ抑制剤を飲んだとしても、和美と交わるつもりがある荒城としては、そんな蕎麦なんてものではエネルギーの補給にならない。しかし、雑煮があるというのはなかなか面白い。餅は結構なエネルギー補給になる。だがしかし、雑煮は正月だろう。と荒城の脳内で反旗が上がる。
「鰻はねぇのかよ」
思わず口にしたのは、その言葉で、言ってしまってから荒城は慌てた。和美がハンバーグを食べるとか言い出すから、こっちだってそれなりのものを食べてやろうと考えただけで、頭の片隅に和美との交わりがあったからなんて言えるわけもない。
「鰻?」
咄嗟になんだか分からなかった和美は、和食の中から鰻を探した。
「あ、これ?うなぎ、じゅう?」
余程馴染みがないのか、読み方があっているようで間違っていた。
「それでうなじゅうって読むんだよ」
荒城が教えてやると、和美ははにかんだ様に笑って、
「なにこれ?すげー値段。サーロインステーキに匹敵する」
値段を見て叫んでいた。
「アルファ様が口にするんだから、お高くて当然だろうが」
そう言いながら荒城はタブレットをのぞき込む。鰻重は3000円だった。ライスが付いていないサーロインステーキの方が高いだろう。なんにしても、コテージの施設育ちの和美からしたら、一食でこの値段は相当高く感じたことだろう。
「それもそうか」
荒城の言ったことに納得したのか、和美はタブレットを閉じて荒城に返した。荒城は元の位置にタブレットを戻した。
抑制剤が利いているから和美は、届いた食事をテーブルで落ち着いて食べることが出来た。しかも完食である。荒城ももちろん完食したが、夜だと言うのに酒が飲めない事が惜しかった。
もっとも、発情期中のオメガを前にして、酒が飲めるアルファがいるのなら大したものである。酒よりも極上なオメガのフェロモンに酔いたいと言うのが、アルファの本音なのだから。
服がないので、和美は風呂に入ってバスローブを着た。帰る際の服は山形が、何とかしてくれるのだろう。カバンやスマホもあいつらに取り上げられたし。
ベッドの上に寝そべりながら、和美は身体が気怠くなってきたのが分かった。が、荒城に相手を頼むと言うのが前提になっているのが気に入らなかった。
「てか、なんで当たり前にいるの?」
和美は不満そうに言った。荒城も薄々そうだとは気づいていたけれど、和美に指摘される間では黙っていようと思っていた。
「助けてもらったことはありがたいけど、そもそもの原因ってあんただよな?」
確か、お嬢と呼ばれていた人が、運命とか言っていた気がする。それはつまり、荒城の事だと思う。
「ん?」
荒城は少しとぼけてみた。和美が、どこまで把握しているのか分からない。それに、いつもの癖だ。確信には触れない。相手から落ちてくれるように、会話を運ぶのがセオリーだ。自分から落ちるなんてことは出来ない。
「運命がどうとか言っていたんだよね。それってあんたのことだろ?お嬢って呼ばれてた。つまり、組長?の娘があんたに惚れてんだろ?んで、あんたが運命とか言って俺に手を出したのが気に食わなくてあんなことしたんじゃないの?」
和美の言ってることはほぼ当たっていた。紗由梨は確かに、親父さんの娘だ。ただし、イロであるところの愛人が産んだ。だから、立場が弱い。そのために、幹部である荒城と番いたいのだ。
「………」
荒城は黙りだった。ほぼほぼ当たっているだけに、なんと言ったらいいのかが分からない。運命に出会えて浮かれていた事はたしかだ。特に根回しはせず、直属の部下だけが理解していた。そんな状況だったことは間違いない。
「あんたのせいで俺が酷い目にあったんじゃん」
和美が怒鳴るようにそう言ってきて、さすがに荒城も参った。
「和美、すまない」
荒城としては、珍しく素直に謝罪した。立場上、そう簡単に折れることは出来ないし、非を認めることも出来ない。だが、和美に対してはそう言うわけにはいかない。
「なんだよ、それ。なんなんだよ」
和美は気に食わなかったようだ。滅多に頭を下げない荒城が頭を下げたのに、和美は逆に怒りを強めた。
「和美、何が気に入らない?謝り方か?」
普段ならこんな風にヒートアップしてくる相手には、言葉を並べるのが、逆効果だと理解している。相手の上がりすぎた熱が下がるのを待って、相手の心情を理解して、寄り添うスタンスを作り上げる。けれど、どうにも和美が相手だといつものように出来ない。
「勝手に運命とか言うなよっ」
和美は手近にあった枕を荒城に投げつけた。けれど、大きいものなので、大したスピードも出ず、荒城はやんわりと受け止める。
「和美は違うと思うのか?」
「和美って呼ぶな」
また和美が癇癪を起こしたように、もう1つある枕を投げつけた。片手が塞がっていたけれど、荒城はあっさりと二個目も受け止めた。
「和美って、和美って……和美なんて、名前嫌いだ」
投げるものが無くなって、和美はシーツを握り締める。キレイに整えられていたシーツに、シワが寄る。
「そうか、俺は和美って名前好きだけどな」
荒城がそう言うと、和美は荒城をにらみつけた。
「テキトーなこと言うなっ、どうせ運命だからとか、そういうんだろ?なんだよ、運命なんて、あんたらアルファが、都合よく言ってるだけだ」
発情期が始まっているせいなのか、和美の興奮がどうにも治まらない。
「養子に行けばこんな変な名前捨てられたのに、オメガから産まれたせいで養子にも行けなかった」
和美の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。それを受け止めてやりたいが、荒城は和美に近づくことが出来ない。
「なぁ、オメガ保護法ってしってるか?これさぁ、中身がエグいんだよ」
和美は、目から涙をこぼしながら荒城を見た。荒城だって知っている。オメガを守ることに特化した法律だ。
「みんな知ってるよな?オメガのための法律だって、思ってるだろ?オメガ優遇措置って。でも、違うんだよ。オメガを捕まえて逃がさないようにする法律なんだ」
和美が荒城を睨みつけた。それでも涙が止まらないから、荒城から見れば和美の目が輝いて見える。
「オメガはさぁ、堕胎できないの。孕んだら絶対に産まなくちゃいけないの。なんでか知ってる?オメガからはアルファかオメガしか産まれないから、ベータは絶対に産まれてこないんだ。ベータやアルファは堕胎が認められてるのに、オメガ保護法のせいでオメガは堕胎が認められないんだよ。だからさぁ、得体の知れない奴のせいで孕んでも産まなくちゃいけないわけ、わかる?」
それを聞いて、荒城はようやく理解した。和美が受けた恐怖は、荒城が想像する以上だったのだ。万が一があった場合、オメガ保護法で守られながら、コテージの施設に囚われるのだ。国に囲われる。優秀な純血種のアルファをうみだす唯一のオメガ。その機能を万が一にも傷つけないために、作られた法律。それがオメガを、和美を怯えさせる。
「あの女はさ、それを知ってて今回の事をしたんだよ!なぁ、分かるか?俺が感じた恐怖がさぁ」
和美がそう叫ぶように言って、拳でシーツを叩く。スプリングのよく出来たベッドは、その程度のことではビクともしない。
荒城は和美に近づいて、手にした枕を傍らに置いた。
「和美、俺はお前を守れなかったか?なぁ、守らせてくれよ、お前のこと」
荒城の手が和美の拳を包み込む。そうして、もう片方の手で和美の髪を撫でる。あやす様にゆっくりと優しく。
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