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第12話 その香り運命

 荒城は和美の髪を優しく撫でる。  発情期に入ってしまっているせいで、和美の興奮が治まらない。俯いているせいで、和美の目からこぼれる涙はシーツに吸い込まれていく。 「和美かずよし」 「和美って呼ぶなっ」  叫ぶように口にして、荒城が触れていない方の手がシーツを叩いた。和美の怒りの矛先は荒城ではない。荒城ではないのだが、アルファが目の前にいるから、怖い目にあわされたから、和美は自分の中に湧き上がる熱を吐き出すままに荒城にぶつける。 「何が大切な贈り物だよ」  声は小さいが、和美の熱が感じられる。付けられた名前に、育った環境に、和美は納得なんてしていなかった。受け入れなければ生きていけないから、享受しただけだ。それなのに、何も知らない周りは和美を妬む嫉む。  荒城は黙って和美の髪を撫で続けた。ほんとうは抱きしめたいけれど、和美が拒んでいる。 「オメガから産まれたオメガだから、父親がアルファだから、オメガ保護法があるから、って、そんなことで俺を縛り付けるな」  親がいなくても、オメガならコテージで何不自由なく育てられる。オメガなら、虐待や育児放棄などにあわずに幸せに生きていける。そんなことは、ベータが思うだけ。  実際は違う。  ベータ家庭にオメガが産まれれば、施設の職員が言葉巧みに、不安を煽ってオメガを手放させる。シングルのオメガなら、施設で生活させてそのまま承諾書にサインをさせる。産むのも育てるのも生活するのもコテージだから、なんの疑問も抱かず産み捨てる。  国がオメガの数を管理するために、名家が出資して作り上げたシステムと法律だ。アルファの執着が結実した産物。 「カズ」  荒城が和美を呼ぶ。 「なんだよそれ」  和美は、勝手に呼び方を変えた荒城を見た。 「名前が嫌いだって言うから、呼び方を変えてみたんだが?」  何食わぬ顔で荒城が言えば、和美の涙が止まった。 「そんなの許可してない」  和美が真っ直ぐに荒城を見るから、荒城はそんな和美のまだ濡れている目を見たまま唇を重ねた。 「許可してない」  重ねて和美が言う。 「じゃあ、カズ、お前に触る許可をくれ」  言いながらも、荒城の唇は和美の頬に触れ、瞼に触れ、鼻に触れる。 「なんで、そんなに……」  許可はしないけれど、拒否もしない。和美は荒城の好きなようにさせながら、荒城の様子を伺う。 「お前が、好きだから。お前が、運命だから。カズ、お前に触りたい。おまえを守りたい」  そう言いながら荒城は和美のあちこちに唇を落としていく。髪に、こめかみに、首筋に。 「なんだよ、運命って、そんなの…俺は」  和美が拒む。 「そうか?俺はお前が運命だから、どんなかっこをしてようが惚れんだよ。こんな風に髭を生やしてようが、気に食わねぇ名前をしてようが、こんなひょろひょろした身体をしてようが、欲しくて仕方がねぇ」  そう言って、荒城は和美の外耳を下から上へと舐め上げた。 「……っ、きょ、許可してないっ」  一瞬の戯れで、腰から頭のてっぺんまで一気に何かが駆け抜けた。身体が揺れてしまったのを隠したくて悪態をつく。 「じゃあ、許可してくれよ。俺はお前に触れたくて仕方がねぇんだ。運命と魂まで触れ合いたいんだよ」 「い、意味がわかんない」  運命だって、分からないのに、魂に触れたいとか、もっと分からない。 「運命ってぇのは、理屈じゃねぇんだよ。見つけちまったらガマンが効かねぇんだよ」  荒城は、掴んでいた和美の手に唇を落とす。まるで物語の王子様がするかのように。 「魂に、どうやって触れるんだよ」  荒城を見ながら和美が、聞く。 「あぁ、魂はなぁ、こうやって触れてくうちに、お互いがフェロモン出し合って、混じりあって、溶け合って、グズグズのドロドロになって、そんなことになった時に魂まで溶けちまうんだよ」  荒城の唇か手から、手首、肘の内側、腕の付け根へと移動して、鎖骨の辺りに降りた時、和美は小さな痛みを感じた。 「な、に?」 「俺が、俺のオメガに触れた証拠だ」  和美からは少し見えにくいけれど、赤い小さな痕があった。 「きょ、許可してないのにっ」  前回、コテージに帰ってきてから気がついた。診察をされた時に、身体中に赤い痕があった。怪我をしているのかと思ったのに、医師は何もないかのように診察を終えた。服を着るのを手伝ってくれた看護師が「背中も凄い沢山あるよ」と小さく耳打ちしてくれて、その時それがなんなのか理解したら、耳まで熱くなるほど恥ずかしかった。 「許可してくれよ、憐れなアルファに許しをくれよ」  荒城が、そう言って和美の唇の脇にそっと触れた。顔が近いからか、和美の鼻に荒城のフェロモンが流れてくる。  あの時も嗅いだ。  けれど、あの時、この匂いがして、周りにいた人たちは皆倒れた。腰が抜けたかのように、皆いきなり床に体が落ちていった。  けれど、その匂いを嗅いで、和美は何ともなかった。むしろ安心した。心が安らいだ。恐怖でいっぱいだったのに、突然それがなくなった。  和美が鼻を鳴らしているのが分かって、荒城はゆっくりと和美の首筋に自分の鼻を移動させる。そうすると、お互いがお互いの首筋に鼻を寄せる形になる。 「……この匂い」  和美の喉がなった。  ずっと嗅いでいたい匂いだ。そして、荒城の言う通り、何かが溶けていく。 「触らせろよ」  荒城の声が耳のすぐ側で聞こえる。聞きなれなくて、低くて、少しこわい声。  あまりに近くで聞いたから、まるで直接脳に届けられたかのような、魂で聞かされたような、そんな気がした。 「…わっ、て、俺に、ふれ、て?」  何故か声がかすれた。  和美が許可をしたから、荒城が和美に触れていく。発情期が来ているから、興奮しすぎて頭が変な方に入っていた和美も、荒城が触れていくことで、荒城のフェロモンを嗅ぐことで、ゆっくりとそちらに何かが切り替わっていく。 「可愛いなぁ」  荒城の親指が和美の口髭を軽く撫でた。 「っん」  思わず口を強く閉じると、口髭を撫でていた荒城の親指が唇に移動して、上唇とした唇の合わせ目をなぞってきた。 「───っ」  なにかくすぐったいような、上手く表現出来ない何かがそこから広がって、和美は思わず口を開く。そうすると、荒城の親指は其の儘角度を変えて、和美の顎を固定する。  荒城の唇が和美の唇に触れる。  荒城の舌が和美の歯列に触れる。  荒城の舌が和美の歯茎に触れる。  荒城の舌が和美の上顎に触れる。  荒城の舌が和美の舌に触れる。  荒城の舌が・・・・・・ 「ぅんん、んぁん」  自分の舌が、こんな風に動くなんて思ってもみなかった。英語の発音の時、下唇に付けて、なんて難しいなと思ったけれど、そんなことよりももっと難しい動きをしていると思った。  まるで舌が意志を持っているかのようだ。  なんで、こんなことをしているのか、そんな理屈は分からない。分からないのに、欲しくて、このどうにもならない好物の匂い、味がするモノを舐め尽くしたい。  我慢ができない。  もっと、もっとと、舌が動く。  互いに啜っているのか、頭の中に水の音が響いて、けれどそれは止められない程に甘美で、いつまでも求めていたい。  こんなやり方知らない。  だれにも教わってなんかいない。  けれど知っている。  これは貪るもの。  これは俺だけのモノ。

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