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第17話 つがわないつがい
和美がバイト先のコーヒーショップの片付けをしていると、見知った顔がやってきた。
「あ、幸城」
店の裏口だから、和美は手にゴミ袋を持っていた。それを所定のゴミ箱に入れる。幸城は何故か黙って立っている。
「お店、出られる?」
「ああ、もう夕方だから、大丈夫かな」
和美が返事をすると、幸城は店の方へと行ってしまった。
和美が店の中を伺うと、既に幸城はカウンターに座っていた。
「あ、和美くん、お皿とフォーク貰えるかな?三人分」
マスターからそう言われて、和美はまた裏に引っ込む。
「はい、どうぞ?」
頼まれたものを差し出すと、マスターはそれをそのままカウンターに並べた。その皿に幸城が箱から取り出したケーキを置いていく。
「和美くん、コーヒー淹れて、3人分ね」
マスターがそんなことを言うから、和美はコーヒーを淹れる。
「ホット?それともアイス?」
念の為幸城に聞くと、
「アイスで」
と答えてきた。
「ホットね」
マスターがそう言いながら、カップを渡してきた。
「はい」
もちろん、和美の分も。
強制的に和美もホットを飲むことになり、ゆっくりと二人分のコーヒーを淹れて、それから幸城のアイスコーヒーを用意した。和美の砕いた氷はまだ残っている。
「あ、ストローいらないから」
幸城が先に断りをいれてけれたので、グラスだけを幸城の前に出した。
「どうぞ、マスター」
なんだか、試験を受けているような面持ちでコーヒーを出すと、マスターが笑った。
「そんなに緊張しないでよ。試験じゃないんだから」
「だって、ケーキを見せてからだったから」
和美が拗ねるように言うと、幸城が不思議そうな顔をした。
「ああ、バリスタの資格を取りたいからマスターに習ってんだよ。だから、幸城のケーキがお題なのかと緊張した」
和美がそう言うと、幸城はなるほどと納得してくれた。
「この間の納涼会、来たでしょ?」
幸城が話し出したので、和美は一瞬驚いたけど、すぐに持ち直した。忘れていたけど、幸城はあのアルファの親父さんの息子なのだ。
「俺ね、あの場にいたんだよね」
幸城が楽しそうに言う。
「え、居たの?」
いたのなら、声ぐらいかけてくれてもいいのに。いやいや、あんなことをしでかしたのを、見られていたと言うことか。
「あんなの、声なんかかけられないじゃん」
思い出しながら、幸城は言う。
「あんなの、って」
我ながら恥ずかしくなる。
「あんなこと、できるんだ。秋元って」
笑っているようで、目までは笑っていないのが分かった。それは、まぁ、自分の父親であり、あの場を仕切っていた長となるものに、あんなことをされたのだ。普通なら怒るところだ。
「え、あ、なんか、ごめん」
和美が、思わず謝ると、幸城は手を顔の前で小さく振った。
「違う違う。謝るのはこっちだよ。目の前で拉致されてくの、見てただけだったし、助けに行けなかったし、異母とはいえ、アレも俺の妹ではあるから」
幸城が、言っていることが分かって、和美は怒涛の始まりを思い出した。
「それに、あんなことを言い出した父を止められなかった」
そう言って、幸城がカウンターに手をついて頭を下げてきた。
「え、待って、待って。俺だってあの場で凄い煽ったし、あのオメガの人に頭下げて貰ってるから」
慌てて幸城の頭を上げさせる。
「あれは俺の母親。生粋のオメガだよ」
「うん、なんか凄かった」
たぶん、あの人が和美に対抗してフェロモンを放出したら、勝てなかった。というか、あの場がとんでもない事になっていただろう。
「父も、母には頭が上がらない。そもそもね、父は入婿なんだよ」
そんな立場で、愛人とか作ってんなよって、と幸城は笑い飛ばした。あの一件の後、親父さんのイロたちは解散させられたそうだ。
おかげで、家の中が静かになって快適らしく、勉強が捗ると、幸城は笑っていた。
───────
カラン
ドアに付けられたベルが、来客の合図として鳴る。
「いらっしゃい」
落ち着いた声のマスターが挨拶をする。
店の中は落ち着いた雰囲気で、照明は明度を落としている。濃いめの木目を基調とした家具が、ゆったりと配置され、カウンターの中でマスターはコーヒー豆を厳選していた。
「ああ、ここに来ると安心する」
言いながら入ってきた客は女性のオメガ。
首にまかれているレースを基調としたネックガードが可愛らしかった。
「何かあった?」
マスターは、注文を聞いてもいないのにアイスコーヒーをトレイに乗せてやって来た。
「ありがとう、マスター。あのね、聞いてよ、ゼミの講師がアルファでぇ」
愚痴をこぼしながらアイスコーヒーにストローをさす。そうして、ひと口飲んでほっとしたのか、背中を座面に預けた。
「教室の中にアルファのフェロモンが染み付いてて、すっごい居心地悪いの」
「それは、居心地悪いね。俺もそうだった」
マスターがそう相槌を打てば、ほっとした様な顔をした。
誰かと共感できるというのは、いいものだ。心の安定が得られる。特に、この時期の学生には必要な事だろう。
「カズ、ブラウンシュガーってのは、これで合ってるか?」
裏口から顔を出したのは荒城だった。手にしているのは、買い物袋。
「ありがとう。あってるよ」
そう言って、和美は荒城から買い物袋を受け取る。中身をストック棚にしまい、荒城の方を見た。
「飲んでく?」
「ああ、そうさせてもらうかな」
荒城はそう言って、カウンター席の一番端に座った。
和美は、荒城のためにコーヒーを淹れる。使うマグカップは、店のものではなく荒城専用だ。
「はい、どうぞ」
マグカップにたっぷりと入れられたコーヒーと、パウンドケーキが荒城の前に出された。
ちょっとしたケーキなどの菓子類は、大学時代に夜間の製菓学校で習得した。もちろん、送迎を荒城がしてくれたからこそ、安全に通えたというのあるが、そもそも学費さえ荒城が出したのだ。簡単に言えば、荒城が和美の手作りの菓子を食べたかったから。
「悪いな」
荒城がゆっくりとコーヒーを口に入れているのを、和美はじっと見つめている。
「上には、運ばなくてもいい?」
「欲しけりゃ取りに来るだろ」
荒城はちょっとだけ、上を見て、直ぐに和美に向き直る。この店を建てた時、ログハウス風の外観にして、二階は荒城の事務所にしたのだ。毎日一緒に過ごすためだ。
そのせいなのか、この店にはアルファの客が極端に少ない。
「そろそろ、新しいの買うか?」
言いながら荒城は自分の首を指で示す。そのジェスチャーを見て、和美は軽く笑って理解する。
そっと自分の首元を手でさわり、後ろに手を回して苦笑した。成程、これは宜しくない。
「ここの辺りだけ、くたびれてるね」
和美がそう言えば、荒城が眉をひそめる。
「お前が噛ませてくれれば、済む話なんだけどなぁ」
「それは、無理」
和美は笑いながら答えた。
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