19 / 23
番外編2 バレンタイン小話
日曜日で店は休みだと言うのに、和美が朝から店に向かうと言うから、荒城は身なりだけ丁寧に整えて車で和美と一緒に店にやってきた。
もちろん、二階にある荒城の事務所だって休みだ。
日曜日の朝と言うだけあって通りに人気もほとんどない。何しろ大学近くだから、学生だって授業やサークルなんかがなければやってくるわけが無い。
土曜日曜祝日は定休日だ。
荒城の事務所と同じにした。臨時休業は和美の発情期だ。
そんな状態の営業でも、固定客はついた。
和美の当初の希望通り、オメガの学生だ。軽食も出しているから、近所の会社からやってくる会社員。二階にいる荒城が睨みを利かせているから、大抵のアルファは店の入口付近で気がついて入るのを止める。アルファのフェロモンに気づかないベータがたまにやってきては、店内の客層に途中で気づいて肩身の狭い思いをしていく。
そんな光景を上から眺めるのも荒城にとっては楽しみの一つだ。
「なんだってそんなに同じもんばっか作るんだ?」
普段と違って、同じ焼き菓子を大量に作る和美に荒城は首を傾げる。しかもとても甘ったるい匂いが店内に充満しているのだ。
原因は、荒城の目の前にあるチョコレート。
和美は大量にチョコレートマフィンを焼いていた。焼きあがったのを、店内の客席テーブルに並べていくのだ。普段ならカウンターの中だけにあるのに、今日は客席まで侵食している。
マフィンが焼き終わったら、今度はクッキーを焼き始めた。シンプルなチョコチップクッキーと、市松模様のクッキーが並べられていく。
店について荒城はコーヒーとホットサンドを出された。和美手作りのローストビーフが挟まれて、なかなかボリュームがある。付け合せのサラダは最近和美がハマっているレモンの手作りドレッシングがかけられて、客に出すのより多めに盛り付けられていた。
食べながら和美はタブレットでレシピを検索していたようで、出来上がりの数をやたらと気にしているようだった。
「明日はバレンタインデーだよ」
焼きあがったクッキーの乗ったプレートを運びながら、和美は呆れた顔で荒城に言ってきた。
「こんなに沢山必要か?」
荒城が見る限り、ちょとした菓子屋並の量が並んでいるように見える。
「いるよ、お客さんに渡すんだから」
あっさりと答えた和美の言葉に荒城は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「客に?」
「そうだよ。常連さんたちに頼まれたんだ。あ、もちろん有償だから安心してよ」
「そ、そうか」
取り繕うようにしたけれど、和美は全く荒城を見ていなかったから一連の荒城の反応はスルーされた。
荒城だって知っている。バレンタインデーぐらい。アルファであるから昔からモテた。学生時代は他校の生徒からもらったりしたし、大人になってからではイロからだってもらっていたのだ。
ただ、ここ何年かは貰いたい相手がいる。
口には出せないけれど、出さなくてもアルファの醸し出すフェロモンで気づいてはいるだろう。
「オメガはさぁ、なかなか計画通りに行かないことが多いじゃない?」
そう言いながら和美は予約ノートなるものを出して数を数え出した。そこに書かれているのが常連客のオメガからの予約なのだろう。
「ラッピング一式は事前に預かってるんだ。冷めたら午後から包むから」
和美は預かってるラッピング道具たちを空いているテーブルに出してきた。それと今見ていた予約ノート。
「お昼はどうする?日曜日だから何処も混んでるかな?」
「お前の作ったパスタが食べてぇな。あのトマトケチャップ味のやつ」
「はいはい、ナポリタンね」
和美はパスタを茹でるお湯をフライパンに沸かし始めた。普段店で出しているのは、事前に茹でおいた麺を使っているのだが、今日は日曜日だからストックがない。
フライパン一つで手際よくナポリタンを作って、和美は荒城の前に出した。
「ポテトサラダあるから食べる?」
「ああ、くれよ」
実に素っ気ない感じで始まるランチの時間だって、荒城にとっては番との大切な時間なのだ。
───────
明けて月曜日。
ピンク色の空気を纏った人たちを眺めながら、荒城は無言で下を眺めていた。
もちろん、和美の店の客相手に威嚇なんてことはしない。しないけれど、コーヒーを注文した客に「本日限定のサービスです」なんて一言添えて昨日作った焼き菓子を添える可愛い番の姿は寛容しづらかった。
学生らしい常連客が予約しておいた焼き菓子を取りに来て、スキップを踏むように店を出ていく姿を眺めるのは嫌ではなかった。むしろ、それを和美が作ったと知らずに食べる男に殺意を抱いてしまったぐらいだ。
そんなふうに一日の営業が終わって、荒城の事務所の従業員が全員帰ると、店の入口の扉を荒城が施錠した。
和美は店のテーブルを拭いて消毒スプレーを丁寧に撒いている。最初に荒城が教えたことを和美はちゃんと守っていた。クレーマーベータに付け入る隙を作らない。そのための対策をきちんと実行しているのだ。
「片付けは終わったか?」
荒城がいつも通りに聞くと、和美が頷きながら荒城に手招きをしてきた。
「座って」
和美が荒城をいつものカウンター席に座らせる。
「なんだ?」
「うん、ちょっと……時間」
和美が歯切れ悪く口を開いて、いつも通りにコーヒーをいれてきた。しかし、荒城の鼻に届いてきたのはいつもとは違う香りだ。
「はい、これ」
出されたコーヒーはいつものマグカップだが、匂いが違った。
荒城がその香りを確認していると、和美は口を開いた。
「今日はバレンタインデーだから、チョコのフレーバーのやつ」
そう言って和美はカウンターから離れた。
荒城はもう一度コーヒーからくる甘い香りを確認してから飲み込んだ。
「本日限定のサービスです」
カウンターテーブルにドンッという音をさせ、和美が小さな皿を置いた。そこに乗っていたのは昨日みた焼き菓子ではなかった。
ともだちにシェアしよう!