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第3話

「ところで何でゾーン障害を引き起こしたか……聞いても? 」 その問いかけは呼び水のようだった。 あれから夜に目覚めた杉石が記憶を戻すまで一悶着あり、その時に二人して腹が鳴った為にとりあえず夕飯だと聡太|聡太《そうた》が冷蔵庫の中を見ても何も無く、仕方なくデリバリーピザを頼み食べ始め、今に至る。 聡太が切り分けてあるピザのチーズを伸ばしながら食べる、問いかけはとても静かだった。 杉石は鞄の中のものを思い出し、同じくピザに齧り付いた。 「無理には言いませんがあれ程の精神錯乱状態は滅多にない、だから気になったんだ……話してくれるか、琢磨|琢磨《たくま》さん」 美しい声は優しく響き、杉石の心をゆっくり溶かしていく。 彼になら言ってもいいかも知れない。 「ちょっと待ってろ」と声をかけてから、玄関先に転がっていた鞄を掴み小さなリビングに戻った。 ピザを食べ続けていた彼が、居住まいを正す。 その真っ直ぐさが杉石には眩しい。 杉石はなるべく聡太を見ないようにして鞄から資料を出して差し出す。 すると聡太は立ち上がり水道で手を洗ってハンカチで拭いてから再び席についた。 確りとした性格だ。 伸ばされた手に資料を手渡し、その場でパラパラと捲っていく、半ばまで見た所でピタリと動きが止まった。 「分かるか、元いた会社は脱税や横領、もっと犯罪なことまでやってきたんだ。……全部裏では俺の能力が使われている。内部告発しようとしたらクビになってあのザマだ、しょうがねえ奴だろ」 「これは……」聡太はもう一度始めに戻って、今度はゆっくりと目線で内容を追っていく。 長い、これまた銀の睫毛が少し伏せられて、その微かな仕草さえも美麗だった。 そんな美しい、心の中まで多分綺麗だろう相手に自分がしてきたことを知らせるのは酷く辛かった。 お前は実際はこんな汚いやつなんだとさらけ出されているような。 直接手を下してはいないものもあったが、殆ど杉石の力を使われていた。 杉石とて自分が『視てきた』ものがこんな汚らわしいことに使われていると知りたくもなかった。 だが、腐敗しきった会社とて恩はある。 だからこそ告発しようとしたのだ。 悪いのは上層部のお偉いたちで、末端に近い杉石や同僚たちには火の粉を被らせたくなかった。 そういえば、同僚や先輩方にも最後の挨拶もなく出てきてしまったな、と杉石は少し後悔した。 静かに捲られていく資料の音を聞きながら、残り半分となったピザに手を伸ばしてモグモグと口を動かす。 凡百な味の筈だが、緊張して味覚が上手く作用しなかった。  ――彼は糾弾するだろうか、その涼やかな声で幻滅したとか言うのだろうか。 心臓がどくどくと鼓動が速くなる。 裁判で罪を裁かれるのはこんな気持ちなんだろうか。 食べているピザが美味しく感じられなくて、一度口を離し、残りを躊躇いつつ食べて飲み込んだ。 「……」 「……」 無言が続く。 もうはっきり言ってしまおうか、俺は犯罪者だ警察にでも突き出せと。 杉石が耐えきれなくなって口を開こうとした時だった。 「頑張りましたね、琢磨さん」 小さなテーブルの反対側から手が伸びて、そっと頭を撫でられる。 その声と手つきはとても優しく慈愛に満ちたもので――。 「……あ、あれ……? 」 ホロリと涙が一筋零れた。 聡太は立ち上がり、杉石のことを座っていた椅子ごと抱きしめた。 暖かな腕に、優しく涙を拭う長い指。 認識してしまうともうダメだった。 次から次へと涙が頬を伝っては流れる。 「今は泣いてしまえよ……オレしか見てないから……」 囁かれ、耳に唇が触れる。 その感触に更にびくりとして涙が零れる。 啄むように耳を軽く何度も吸われ、杉石はもう無理だと横抱きに抱きしめている腕に縋った。 一度決壊してしまうと治すのは難しい。 数十分も泣き尽くして杉石は赤くなった目尻で、そっと聡太を見上げた。 「もう落ちつきましたか」 聡太はもう言葉遣いが戻っていた。 少し寂しく感じる杉石は、もう絆されていた。 「なあ……さっきみたいな話し方が本当のお前さんだろ? 取り繕わなくていいからさ……」 ずび、と鼻声で杉石が言えば呆気にとられたような顔で聡太が見ていた。 「なあ、琢磨さん……」 「琢磨、でいい」 「……」 聡太は口の中でだけで一度たくまという名前を舌で転がしてから、そっと口にした。 「琢磨、オレの前ではもう無理しなくていいから、全部さらけ出してくれよ」 「……ああ、お前さんの前では」「聡太って呼んでいい、むしろ呼べよ」 「………………………………分かったよ、聡太」 杉石が根負けして名前で呼ぶと、聡太は嬉しそうに花が咲いたように笑った。 「琢磨、あの資料借りていいか? 」 「別に今じゃ無用な産物だ、構わないさ」 「ありがとう、用が終わったら返すから」 「返さんでいい、持っててくれ」 杉石がそう言うとぱちくりと目をしばたたかせる聡太はとても若く見えた。 こんな同居人が増えたって、まあ、いいだろう。 「聡太、明日買い物に行くぞ」 「? 」 「暫く住むなら入り用な物があるだろ、下着とか、服とか……」 「琢磨は理由を聞かないのか?帰れない理由」 その言い方が少ししょげているように見えて、杉石は思わず頭を撫でていた。 銀髪の美しい髪はサラサラとしていて指から零れていく。 それが聡太の本当の姿のように杉石は思った。 そして、必ずいつか出ていく、その時は笑顔で見送ってやろうと。 「話したい時に話せばいいさ、気にすんな」 返事は何度目かのハグだった。 ……これだけはどうにかしないとなあ、外でも既にやらかしてるしなあ、でも外人はハグって普通なんだろ? どうにかできるのか? 杉石は頭を悩ませつつも、話せば分かるだろと楽観視していた。 むしろ今は久しぶりに話し相手が出来て、なおかつ一人暮らしの寂しさから抜け出せそうで、少しワクワクしていた。

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