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第6話

 翌日、旭の前で公達らが新しく得たという義直の情報を交し合う。 「敗戦の将の血族で、情けにより命を奪われずにすんだ者という話だ」 「民に交じり、市を見物し、時には商いの真似事をしたりもするらしい」 「民から施しをもらい、食いつないでおるとか」 「いやいや、後見の者がおるらしいぞ」 「相当な美貌であるらしいな。舞もなかなかのものだそうな」 「そのおかげで、春をひさぎながら生活ができておるそうじゃ」 「それではまるで、白拍子ではないか」 「なるほど男の白拍子とは、ほほ」  あざけりと下世話な好奇が、空間を包む。そのどれもが昨日知った木曾義直の姿とはかけはなれているようでいて、そのどれもが当てはまるような気がしながら、ゆらゆらと心をたゆたわせつつ、耳を傾ける。 「して、どなたか直接会った、という方は」  探るような声に、場に緊張が走った。 「いやいや。そのようなけがらわしい身分の者と会おうなどと、どなたも思われますまい」 「しかし、そちらは白拍子を頻繁に招かれておられるのでは」 「白拍子の舞は、神舞もございますゆえ」  誰もかれもが牽制しあい、出し抜かれまいと腹を探りあう。こうなればもう耳に入れても有益なことは出てこないだろう。そう判じた旭は祖父であり、この場で一番の権力者である藤原博雅に話がまとまれば文にして届けてほしいと耳打ちし、彼が喜ぶであろう姫の名を上げて今宵はそこに泊まる旨を言い添え、席を立った。――祖父は、外孫の葵宮(あおいのみや)と旭の間に子が成されることを望んでいる。  いずれにしても、どこかの姫の住まう院に行かなければならないのなら、博雅の機嫌が取れる場所に出向いておけばいい。そうすれば、多少の事も「帝としては」など言わなくなるだろう。旭も葵宮も、彼にとっては駒の一つにしか過ぎないのだから。  旭はすぐに身支度を整え、昨日の男に牛車を用意するよう命じた。男はすでに用意をしてあったらしく、そのまま旭を促し、昨日と同じ顔ぶれに案内と警護を託し見送った。 「昨日、民の様子を見られて、どう思われました」  声をかけられ、旭はぎょっとした。自分と口をきけるような身分ではない牛車を用意した男の、さらに下に位置する者からの問いに、どうすればいいものかと迷ううちに男は言葉を重ねる。 「お若いのに、ご苦労なされますな。密偵のような仕事を公家の方が行われるなど、帝はよほどあの男を気にされているようですなぁ」  からからと笑う声は気安すぎて、旭はただ面食らうばかりで対応ができない。 「他の方々は武家の者に声をかけて、あの男を調べておるようですが、あなた様の主様はよほどに帝の歓心(かんしん)を受けたいとお見受けいたしまする」 「そなたは、我がどういう者と聞いておる」  ようやっと口にした言葉に含まれる戸惑いに気付く様子もなく、男は返事が来たことを素直に喜んだ。 「わが主様は、尊い方の命にて身をやつしておられる方としか申しておりませぬ」 「わからぬのに、そのように気安く声をかけるか。咎められるとは思わぬのか」 「あなた様には他の方々のように、威張り散らす気配がいたしませぬし、咎めをおそれておっては、武家はつとまりませぬ。何より某、もとは盗賊ゆえ」 「盗賊?」  声が上ずる。それに、さもおかしそうに男が答えた。 「武家の下のほうは腕をかわれた無頼(ぶらい)の者であったりするのが、常でございまする。盗賊、海賊山賊と、賊はいろいろと居りますが、皆もとは食うに困ったものたちばかり。同じ人でございまする。生きるために人を襲い、奪う。公家の方々も、似たようなものでございましょう」 「そのような血なまぐさいことは――」 「誰かを(あざむ)き官位を奪う。某らからすれば、同じこと」  旭は、口をつぐんだ。男に反論をしたいのに、適した言葉が浮かばない。黙してしまった旭の様子にあわてたのか、男の声が高くなった。 「まぁ、人はそのようなものでございますからなぁ」  だから何も悪いことはないと言う。その言葉を聞いても、旭は口を開かなかった。思考が、今向かっている先へ向けられる。――義直は無位無官だと言うが、なぜ、そうなってしまったのか。いつから、そうなのだろうか。 「あ、あの」 「良い。咎めておるわけではない。そのように思う者が居ると知れた。それだけのこと」 「は、どうも口が軽いようで」  恐縮した男はそのまま黙り、もくもくと牛飼いの傍について牛車を進ませる。ずいぶんと揺れる車箱の中で、旭は公家たちが調べたらしい義直のうわさ話を思い出していた。――無位無官の、美貌の、舞を披露し、春をひさぎながら暮らしている男。  まとめれば、公家たちの歯牙にもかからぬほどの卑しい存在となる。けれど旭には、彼がそのようなものであるとは、思われなかった。――春を、ひさいで生活をしている。それはつまり、身を売り情事の相手をして生活をしているということだ。そのようなことを、本当にしているのだろうか。  ふいに、昨日の彼の手際の良さを思い出す。あっという間に自分をとろかせ、高みへ昇らせた手腕。あれは、そのようなことに長けているからだろうか。  つきん、と旭の胸が痛み、あわてて首を振る。情事とは、そういうものだ。姫の元へ忍ぶなり腕を取り、わずかな間にささやきながら生まれたままの姿にして、重なり合う。その前に文のやり取りなどを行ったりもするが、一概にそうだとは言えない。文などなく忍び入る場合もあると聞いている。――だから、あれは春をひさいでいるからということにはならない。けれど、すでに誰かの相手をしたことがある者の手ではあろう。あの年の男ならば、さもあらん。  そう思う旭は暗雲のような心持になってゆく。そして自分がそのように感じている理由がわからずに、息苦しくなりながら牛車に揺られた。 「これは、もしや昨日の方では」  ふいに声をかけられ、車が止まった。あわてて物見から外をのぞくと、親しげに義直が笑んでいる。 「ああ、やはりそうか。本日も、俺を調べに来たのか。丁度良い。従者の方々はそのまま進み、わが屋敷でゆるりとくつろがれよ。車の貴人は俺と共に出かけよう」  親しい間柄であるような言いざまに、旭はすだれを上げて前板に身を乗り出した。それを了承と取ったのか、にこやかに手を伸ばしてくる義直に誘われるまま呆として手を差し返すと、ひょいと抱き上げられ降ろされた。 「では、そのまま従者の方々は進まれよ。なに、心配は無用。無事に貴人は帰すゆえ」  言い終えると歩き出した背中と従者を見比べ、旭は義直を追いかけた。 「良かった」  横に来た旭に、義直が声をかける。 「ああは言ったが、来なければどうしようかと思ったぞ」  一瞬呆れ、すぐに噴き出す。その顔に、義直が満足そうに頷いて彼の手を取った。 「これからにぎわう場所に行く。はぐれぬように、こうしていたいのだが」 「にぎわう場所とは」 「市だ」  未知の場所へ、旭は手を引かれて向かった。

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