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第13話

 ひどく、自分に都合の良い夢だった。  旭は天井を見つめながら、思った。なんと都合のよすぎる夢だったのだろう。公家は大勢居るとは言っても、狭い世界。都合よく自分の知っている者たちばかりが関わりあっているということは、十分にありうる。だが、それにしても都合がよすぎた。――平盛の牛飼いが、たまたま義直と顔見知りであったとは。  あまりの都合のよさと、自分の世界の狭さに笑いが込み上げる。義直が父と会っていたとは、そこで自分の姿を見ていたとは、御伽草子でももう少し妙味のあることをするだろう。まったくもって信じがたい。父が義直に愛着があり、会いたいと思うこともありうるだろう。ひそやかに呼ばれて参ることも、可能だろう。 「今度はその手引きをした男は、源平盛とでも言うか」  嘲るように口にして、体を丸める。自分はこのような夢を見るほどに、義直に毒されているというのか。――いや、毒されている自覚は、ある。  たかが二度の逢瀬でばかばかしいと思いつつ、これほど病んでいるのは義直を想うという病魔に取り付かれているからだ。それが、あのように手前勝手で都合の良い夢を見させた。 「いっそ、だれぞの子を養子とし、我といずれかの宮との子としようか」  このまま、帝という位に居たくなかった。義直の身を落としたのは自分の存在があったからだという事実から、一刻も早く逃げ出したい。退位をしたとしても、事実に変わりはない。ないが、退位をし出家をし、生れ落ちた瞬間から初めて愛おしいと思った相手を(おとし)める存在であった自分を御仏に捧げ、これからの彼の人生が幸せであれと祈り続けられるのならば―――― 「ただの、独りよがりの気休めだ」  解りきってはいるのだが、それ以外に旭が思いつく方法などなかった。ただただ、自分の存在が疎ましくてならない。このような身であるのに、義直に愛おしく扱われたいと願う自分が浅ましくてならない。 「っ――――」  唇を噛み、限界まで体を丸めて縮こまる。こうして、このままどんどん小さくなり、消えてなくなることが出来れば、どんなに良いか。 「お目覚めに、なられておいでですか」  遠慮がちに、女房が声をかけてくる。几帳に影が映っていた。ゆっくりと体を起こして見せると、朝餉をお持ちいたしますかと問われ、少し悩む。 「少量で、良い」  食べねばならぬと、ふいに自分の立場を思い出したことに苦笑する旭に、ほっとした気配の女房が去っていく。療養をしているはずの帝が身罷(みまか)った。そうなれば、どれほどの混乱をきたすことになるのだろう。――世情は、知らぬほうが幸せと思うたか。それとも、さらに知りたいと思うたか。  父の声を胸中で呟き、どちらでもなく、どちらでもあると答える。帝は、帝という生き物であり、それ以上でも以下でもあってはならぬのだと、この短期間で思い知らされた。帝という枷の中で動かねばならぬのだと、知った。義直のことが耳に入らなければ、自分は何時もどおりに朝餉を食し、ゆるゆるとした時間を無為に過ごし、藤原博雅と上皇の思惑にしたがって、いずれかの姫の院で一夜を過ごす生活を繰り返していただろう。変化があるなどと考えもせず、ただ流れに身を任せ、ゆらゆらと御所にたゆたっていただろう。帝であるということに、何の感慨も持たずに居たのかもしれない。――それが、良かったのか悪かったのか。  祖父は、面白くないだろう。いや、葵宮が共に居ることで、喜んでいるのかもしれない。あの人は、旭の次代も自分の一族の繁栄があるようにすること以外に興味はないのだから。面白くないのは、橘森繁か。夢の通り、義直の身を預かったのが森繁だったとしたら、預かった時に夢想した権力を今だ手にすることが出来ずに居るのだから。――木曾とは、いかな家柄なのだろうか。  ふと浮かんだ疑問に首をかしげていると、朝餉が運ばれてきた。意識はなくとも繰り返してきた動作は勝手に体を動かし旭に粥を食ませる。  上皇は、義直らを武家の者に預けて寺へ送るふりをし、人をすり替えさせたと言った。義直が木曾を名乗っているのだから、それが木曾家の者なのだろう。それが何故、自分の夢の中では義直の後見が森繁となったのか。  考えている間に朝餉は全て腹のうちに収まった。女房がそそくさと片づけを終えても、旭は思考の中に居る。されるがままに身支度を整えられ、褥を片付けられ、出された茶で口を湿らせてから下がろうとした女房を呼び止めた。 「源平盛を、これへ呼べ」  好きにしろという父の伝言は、まさか夢ではあるまい。 「つまらぬ世を、それと知られずに面白う出来るやもしれぬ」  父の言葉を口にする。父が逃がそうとした義直の母は、どうなったのだろうか。父は、旭の母を愛していたのだろうか。自分を種馬と称した父は、あの時何を思って居たのか。  どれだけ身を小さくしても消えられず、退位を望んでも叶えられず、帝という存在であらねばならないのなら、その姿を保ちつつ好きにする以外にないのではないか。 「つまらぬ世を、それと知られずに面白う出来るやもしれぬ」  もう一度、呟く。上皇が乗せた思いとは違うものを、きっと自分はこの言葉に乗せているのだろう。 「つまらぬ世を、それと知られずに面白う出来るやもしれぬ」  歴代の帝のことを学んだとき、民間に流行った芸事を好み、人知れず抜け出しては楽しむために周囲を困惑させたという逸話を残している法王の話を耳にした。そのようになってはならぬと、厳しくしつけられたので覚えている。朝廷の権力で、子どものように知識をほしがり芸術を愛した法王。帝である旭も、朝権を扱う立場にある。何もわからず、ただ藤原博雅と上皇に全てを委ねて御所という池の中で揺られていた自分が、庭の睡蓮のように根を伸ばし、留まり、花を咲かせたとしても咎められるいわれはない。ふたりの思惑がどうであるのかは知らないが、このまま飼い殺しとなる必要など、何処にもないのではないか。 「つまらぬ世を、それと知られずに面白う出来るやもしれぬ」  上皇は、この屋敷を知っている。けれど、旭が何かをしたとしても、面白がるだけであるような気がした。藤原博雅はじめ、公家は皆ここのことは知らぬらしい。ほとんどのものは、旭の顔を知らない。  それらのことを改めて頭に書き綴り、丹田に力を込めた。  床に上がろうとせず、庭に膝を付いたままの源平盛の側によるため、旭は濡縁に坐した。 「我は体調が優れぬ。そなたが床にあがらぬので、ここに出るしかない」  ふわりと告げた皮肉に、平盛が体を強張らせる。それでもあがろうとしない気配に胸に溜った息を吐き出し、つぶやく。 「それほどに、帝というものは近づきたくないものか」 「そのような事では」  ふふ、と唇を歪ませる旭の気色に平盛が心中で首をかしげた。彼は、このような人であっただろうか。 「まあ良い。そなたを呼んだは、木曾家とはいかな家かを知るためだ。我の記憶では、武家の一門であったと思うが」 「いかにも、武家の一門にございまする」 「詳しく」 「木曾家は、我らが藤原家の加護を受けておるように、橘家の加護を受け、都の警護ならびに朝廷の平穏を保つため、働いておりまする」  わずかに細められた旭の目が、自分の中にあるものを探る。 「他には」 「今の公家の中心は藤原家。それゆえ、我らの郎党が多く出仕しておりまするゆえ、帝が木曾家のことをあまり存じられぬのも道理。なれど、御所の外では彼らもわれらと同様、励んでおりまする」 「上皇が帝であったときも、同じか」 「我らが台頭いたしましたのは、先代の上皇のときより。先の帝の折には木曾の者も我が父と同じく、御所の奥近くまで行けるものもございました」 「そうか」  顎に手を当てる。自分の夢は、そう遠く外れていない可能性もあるなと旭はひとり頷いた。 「今は、どうだ」 「藤原家の権勢すさまじく、木曾は御所の身辺よりは外されておりますが、外重の警護はいまだ行っております。中重、内重はほぼ、我ら一族にて」  体ごと下げて言い終えた平盛が、次の言葉を待つ。しばらく考えてから、旭は問いを口にした。 「民とかかわりあうことは、多いか」 「都の警護を主としている者は、民の情報を得るために係わるものもございます」 「個人的に、だ」  そこでためらいを見せる平盛に、すべて包み隠さず話せと命じる。 「末席のものは、屋根壁がある広い屋敷に住んでいるというだけで、有事の際以外はほぼ、民と変わらぬ暮らしぶりにて。おあしもなく着るものにも難儀し、庭に畑を作っておるものもございます」 「庭師の代わりに農夫を雇うておるのか」 「帝におかれましては信じられぬことにござりましょうが、当人や姫が袖をしばり裾をからげて土を弄ること、稀ではございませぬ」 「姫もが――」 「は」  想像を絶する答えに、惑う。かつては皇族の血筋であったものが臣下し、武家となったのだと旭は記憶していた。それが、そのような生活をしているなど――――。 「信じられぬ」 「現実に御座います」  思わず漏れたつぶやきに、すぐさまの返事があった。 「武家だけでなく、公家も似たような境遇のお方もございます。読み書きや芸事を教え食いつなぐか、大家へ雇われの身となるか、都落ちをし、鄙で生活を始めるか。――――民に落ちるものも、ございます」  あまりのことに、旭の脳にそれらがうまく浸透してこない。呆然とする旭に、平盛は言葉を続ける。 「官位役職も数に限りが御座いますれば、あぶれたものは生きるためにそのようにするしか、ございませぬ。哀れなのは突然の零落に遭うた高貴の姫。世情などを何も知らず、かごの鳥のように育てられたお方は、身の処し方もわからずに、朽ちるか地獄を見るかしかございませぬ」 「――――そういう相手を、知っているような口ぶりだな」  平盛が身を固くした。 「かまわぬ。聞かせろと言うたは、我よ。罪とは言わぬ。罪は、何も知らぬ我よ」  決意をしたように、平盛は立ち上がり真っ直ぐに旭を見た。 「そのような姫を、幾人も見てきております」 燃えるような目に、声に気圧されそうになりながら、旭は踏みとどまった。 「平盛」 「は」 「これから、我を帝と思わず、ただの旭と心得よ」 「――――は?」  頓狂な声が出た。 「そなたは、信用に足ると見た。我の友となれ」  じわじわと言葉の意味が浸透するのと同じ速度で、平盛の目が見開かれる。 「そ、それは」 「我を旭と呼び、気安くすれば良い。そなたが用意をした牛車の共のものなど、よう話かけてくれたわ」 「も、申し訳ございませぬ」  あわてて膝を付いた平盛に、面白そうな目を向ける。 「先ほど、我をにらみつけた気概はどうした」  言いながら、庭に降りる。ますます恐縮する身の横にしゃがみ、顔を覗いた。 「無知な我に、世情を伝える友となれ」 「は、ははっ」  満足そうに頷き、立ち上がった旭は空を見上げた。 「我は、かごの中の鳥と同じよ」  上皇と藤原博雅に翼を切られ、押し込められ、彼らの邪魔をするようなさえずりが出来ぬよう、飼いならされていることさえ気付かなかった、鳥だ。 「盲目であった我に、世の面白きを見せよ。平盛」  淡い呟きに、平盛が立ち上がる。 「なればこれより、この場にて帝が帝であることを忘れ、ただひとりの公家であるように扱わせていただきまする」 「硬いな」 「いきなり柔らかくは、なれませぬ」 「そういうものか」 「そういうものにて」  義直は、といいかけ、留まる。彼の出自は自分と同じなのだ。どういう認識の差異があるのかはわからないが平盛とはまた、違うのだろう。 「この平盛、今よりこの屋敷内においては旭様の友であり私兵にて、遠慮のう、振舞わせていただきまする」 「この屋敷内だけか」 「一族を思えば、御所ではそのようにすること、まかりなりませぬ」 「面倒なことよ」 「まこと、面倒にございまする。なれど、人の世は全て、しがらみにて出来ておりまするゆえ」 「しがらみ」 「しがらみが人をつなぎ、世を作り出しておりまする」 「それは、面白いか」 「どの糸と繋がるかは、想像のつかぬ妙がございますれば」  目を合わせ、笑いあう。 「では、そなたと我ともその、しがらみが導いてきた(えにし)。面白き糸をたぐりよせ、面白う生きてゆこうぞ」  平盛の顔が安堵したように緩んだ。 「どうした」 「はじめてお会いした時よりも、生き生きとなされておいでですので」  目を瞬かせ、頬に手をやる旭にただしと付け加える。 「おやつれになられておりまするゆえ、もう少し、お食事を召し上がり十分におやすみいただきたく存じまする」  胸裡に、気遣われたことへの淡いむずがゆさが浮かび上がった。 「明日も、来るか」 「友ならば、友人の具合を気にして見舞うは当然でございましょう」 「そうか」  深く頷く平盛の姿に、やわらかな息を吸い、吐き出す。 「市を、見たい」 「では、明日――車を用意いたしておきまする」 「よい。徒歩(かち)で行く」 「それでは、明日のために体力をお付けくださいませ」 「うむ」  一歩下がり、深く頭を下げて辞する平盛を見送り、旭は再び空に目を向けた。 そこには、夏の名残と秋の到来を思わせるような分厚い雲が、のんびりと浮かび、進んでいた。

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