4 / 15

キンという名の少年

その日、僕は天使を見た。 ヴァンパイアが住むと言われる林。僕はいつもあの向こうを見つめていた。自分の知らない世界が向こう側にある。それはとてもドキドキするから。 「おい、あの子、誰か止めてやれ。林の向こうに行こうとしているぞ」 「知らないわよ。親はどこなの?」 「死んだんだよ。この前お前も葬式に出ただろ」 「ああ、あの外国の……。なら、尚更関わり持ちたくないわ。それに、言葉だって通じないわ」 聞こえてるよ。言葉くらい分かるし。だからヴァンパイアの恐ろしい屋敷があの先にあることも知ってるんだ。 こっそり林の中に入る。光がささない林の中はとても怖いけど、その先にいるヴァンパイアには興味がある。会えるかな、会えないかな。そう思って毎日林の中に入った。 ザクッと音がした。 もしかしたらヴァンパイアかも! 物陰からこっそり様子を伺った。 「あっ……、ちがう……」 ヴァンパイアではない。魔物だ。八つ目の魔物。その瞳が一つこちらを向いた。 「ひぃ!」 突進して来る魔物。僕はまさかこんなところに魔物がいるなんて思ってなかった。ヴァンパイアを見る前に、あれに食い殺されてしまう。 足を動かして逃げ惑う。村に戻ればきっと誰か助けてくれる。誰か、誰か、誰か……。本当に? 本当に助けてくれるのか……。だってあの人たちは僕が林の中に入っても止めなかった。だってあの人たちは僕が一人になっても助けてくれなかった。死んでも、死にそうになっても、助けてくれないかも……。 石に躓いた。 こけて、血が流れた。 痛い。痛い。痛いよ。死ぬ、死ぬ、死ぬ! 目をギュッと瞑った。 その時バシュッと音がした。 目の前が紫に染まる。魔物の血が僕に被さった。僕は目をパチクリと開けて、伝う血を腕で拭いた。 剣を振り上げたのは、銀色の髪の男。赤い瞳、尖った耳、鋭い牙。ああ、ヴァンパイアだ。 「ヴァンパイア……」 ヴァンパイアだ、ヴァンパイアだ、ヴァンパイアだ! ヴァンパイアが僕を助けてくれた。助けてくれたんだ! どうしよう、どうしよう。嬉しい! 「あの、ヴァンパイアですか!」 「……? うん」 「やった! ヴァンパイアだ。ヴァンパイアだ。お願いします。僕の血を吸って下さい!」 ヴァンパイアは僕を見下すと、紫色の血で染まる髪を撫でた。 「私は屋敷にいる子の血しか吸わない主義なんだ。興味本位であまりそう言うものでは無い。この前来た子の友人は吸血鬼に血を吸われて死んだそうだよ」 「死んでもいい! 貴方に吸われてみたい!」 ヴァンパイアは困ったように眉を寄せた。 「親は心配するだろう」 「両親なら死にました。僕にはもう何も残っていません。心配してくれる友人も、隣人も、誰もいません。だから、ここにいます!」 「そう……、それでも君は帰る家があるんでしょ? 帰る家があるなら帰るべきだよ。幸せは、心配してくれる存在はいつか出来るから」 「僕が生きた中で、僕のことを心配してくれたのは、貴方だけです。今ここに、心配してくれる人が目の前にいるのに、どうして着いていったらダメなんですか!」 「そう……、でも、突然君を攫うことは良く無いことだよ。屋敷にいる子は私の兄が連れてきたんだ。だから、私が子供を連れて行ったことがない。どうすればいいか私にはわからない。だから、君が全てを清算し死ぬ覚悟を持ったら連れて行くよ。そうだね、一月後、私はまたここに来る。その間にもし君のことを心配する人間が一人でも出来たら諦めなさい。もし、出来なかったら、君を連れて行こう」   ぷっくりとした赤い唇を薄め、ヴァンパイアは笑った。 「あの、名前は……、名前を聞いてはダメですか」 「名前……、そうだね、私の名前はアルクレート・ジエル。みんなアルクと呼ぶよ」 アルクレート・ジエル様。アルクレート、アルクレート、アルクレート……。アルク様……、アルク様……、アルク様! 「約束! 忘れないで下さいね! 絶対、絶対、迎えに来て下さい!」 アルク様は何も言わずに去って行った。僕はその背中が見えなくなるまでずっとずっと見つめていた。 村人は魔物の血を浴びた僕をギョッとした目で見た。けれど、誰一人僕を心配することはなかった。それが答えなんだと僕は思った。 一月はとても長かった。早く、早く約束の日が来ないかと願った。いよいよ、明日というところで、『清算』という言葉を思い出した。確かに、僕が突然消えたら、村人は悲しくなくとも、何かあったと疑うだろう。それは林の向こうのアルク様のせいにする可能性もあるのだ。 僕は鞄に服を詰め込んだ後、村長の家を訪ねた。 『この村から出たい』 『偶然旅人に会った』 『そしたら、旅に連れて行ってくれると言った』 『だから、明日この村から出る』 それを時間をかけて話した。 村長は惜しむことも心配する様子もなくただ、頷くだけだった。 村は小さい。僕の旅立ちは瞬く間に広がった。けれど、村長と同じく誰一人顔も知らぬ旅人について聞くことも僕の今後について心配することもなかった。だから僕は心置きなくアルク様の元へ行くことが出来た。 早朝、家を出た。林の中に入る。心なしか足取りが軽い。花が咲き乱れる場所で銀色の髪が靡いているのが見えた。僕は走って駆け寄る。 「アルクレート様!」 振り返る。アルクレート様は僕に気づくと少し切なそうに笑った。 「やっぱり来ちゃったんだね」 「誰にも止められませんでした。誰も僕を心配しませんでした。やっぱりアルク様以外僕にはいないんです」 「そう……、なら、来るといいよ。私の屋敷に」 アルク様は僕の手を取ると歩き出した。 「父様、その子供は……?」 赤い髪の少年が目を丸くして聞いた。 「拾ってきた」 「拾ってきたって……、いつもリルリエール様が連れてきたではないですか。どうして父様がその子供を……?」 赤い髪の少年が驚いている。その言葉を聞くに、アルク様は本当に屋敷に人を連れてこないんだ。つまり、僕は特別。 恨めしそうに見てくる赤い髪の少年に笑う。 すると、唇を噛み締め、悔しそうに背を向けた。 「アカが珍しく拗ねた。どうしよう、アカに面倒を見てもらおうと思ったのに」 「いえ、僕はアルク様に面倒を見てもらいたいです!」 「私? 私は何も出来ないからそれは出来ない」 「なら、僕がアルク様の面倒を見ます!」 「……、なぜ?」 「あまり細かいことを考えないで下さい」 「そう……、なら、シロもここ長いから何かあったらシロに聞くといい」 ここには子供が何人もいた。皆一様にアルク様に特別な感情を向けているようだった。だけど、その中でもシロ、クロ、アカの3人は他と違った。たぶんそれは自分と同じ感情。幸いなことにまだ幼い子供達はそれがどんな感情か気付いていない。つまり、僕が一番リードしているということ。 「アルク様!」 「どうしたの? キン」 アルク様は僕のことをキンと呼んだ。ここにいる子供は皆アルク様が名前をつけている。僕はアルク様がつけてくれた名前が好きだ。例え、髪色が金色だからつけた名前だとしても……。 「これ、コーヒーです」 「ああ、ありがとう」 アルク様は人間の食べ物を食べない。けれど、決して食べられないわけではない。コーヒーもそうだ。アルク様は僕のなんとなしに淹れたコーヒーを美味しそうに飲む。 「ふふっ……」 「どうしたの?」 「いや、思い出し笑いです」 コーヒーを飲んだと聞いたアカの顔は滑稽だった。決して人間のモノを食さないと思っていたアルク様がコーヒーを飲んだのだから。 「アルク様、今日は僕の日です」 「そう……、キンは吸われるの好きなの? すごく嬉しそうだね」 「当たり前ですよ! 気持ちいいですし」 それにアルク様から触れてもらえる。 アルク様は僕の首筋に歯を立てる。一瞬、皮膚を貫かれる痛みが走る。けれど、すぐに快楽が巡った。血が吸われるだけなのになんでこんな気持ちいいんだろう。 「アルクさまっ!」 満たされる。満たされていく。気持ちがいい。 ああ、ずっと、ずっと、この快楽を感受していたいなぁ……。

ともだちにシェアしよう!