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始まり
十年前、目が覚めると子供の声があちこちで聞こえてきた。朝日が苦手で目を細めながらも、元気に走り回る子供達を見て少しだけ元気になった。
あの声は、あの音は、もう聞こえない。
時計の針がカチカチとなるだけの寂しい屋敷に成り変わってしまった。
「また、誰か来たのか」
魔獣が住まう林の奥に屋敷がある。
誰も寄り付かない。悪戯目的の子供でさえこの屋敷まで来ることは不可能。来るのは、吸血鬼である私の命を狙うハンターだけ。
十年前に一度ハンターが来た皮切りに、私を刈りに来るハンターが見掛けられるようになった。二、三年前にぴたりと止んだと思ったが、また無謀なハンターが現れたようだ。
私はむくりと立ち上がり、部屋から出た。出来る限り寝室での殺し合いは避けたかった。掃除をするのが面倒だから。廊下なら、少しくらい放置してても問題ない。
二階から一階へ繋ぐ階段を降りる。
目の前に銃を構える人間が一人。仮面を被り、ローブを纏っている。身を隠すハンターなど初めて見た。ローブはともかく、仮面は視界を遮る。何か意味があるのだろうか。
背後から近付いてくる人間の剣を避ける。この人間もまた仮面とローブ。私を殺して儀式でもするつもりか。
足元に銃が撃たれる。一階にいる人間ではない。二階の窓際に人間が立っていた。
短剣を二階にいる男に放つ。
地面に落ちる短剣。
短剣を撃ち落としたようだ。まるで今まで来た人間とは違う。強い。
隙のないハンター。ああ、だが、私の脅威になることはない。腰にかける剣を取り、人間に振り落とす。銃弾が跳ねるが全て避けハンターへの攻撃を行う。
そういえば、寝室で感じた人間の数は四人だった筈だ。もう一人はどこに……。
一瞬感じた気配は一階の奥の部屋。
何故そんなところにいるのか。金目のものを探していたのか。それとも何か意図があるのか。いや、どうでもいい。そこに入らせてはならない。
剣を持つ人間を押し、銃を構える人間に短剣で牽制した。私は隙を見て走る。一直線にもう一人の人間の元へ駆けて行く。扉を開け、剣を構えると、ハンターと思われる人間が一人ポツンと立っていた。
「そこには金目のものはないよ。汚すのも汚されるのも嫌なんだ。出て行ってもらうよ」
「自分勝手だね」
「……?」
「酷いよね、まさかこんな部屋が残ってたなんて。また餌を集めてたのかと思ったら人っ子一人いないし。びっくりしちゃったなぁ」
「なに……?」
一歩後ろに下がるとドンっと何かにぶつかった。既に背後には人間が三人いる。何人集ろうが殺すのは容易い。だが、この部屋は壊したくない。
暗い室内。だが、目の前にいる男の恐ろしく白い肌が目に映った。それは、とても見覚えのあるシロだ。
「玩具もベッドも勉強机も、全部そのまま。ねぇ、どうして? 僕達を捨てたくせにさぁ!」
「シ……ロ……?」
「僕だけじゃないよ、アルク」
振り返るとそこには見覚えのある人間が三人並んでいた。
「クロ……、キン……、……アカ」
シロが仮面を捨て、私の顔を覗き込む。
「アルクはなぁにも変わってないね」
シロが私に何かを注射した。
全身が熱くなり、目の前が反転した。
「あ……ぁあ……」
最後に目に入ったのは憎悪で燃えた瞳だった。
『アルク様〜! これ、食べて下さい!』
「うん、美味しいね。シロは器用だなぁ」
『本当ですか! えへへ、また作りますね』
『アルクレート! これ、なんて読むんだ?』
「クロ、また本を読んでるの? 偉いね」
『べ、別に、好きだからだし』
『アルク様! また本を散らかして!』
「ごめん、キン。直すの忘れてた」
『僕も一緒に直すんで、片付けましょう』
『父様! 父様は僕のこと大切ですか?』
「アカは私の大切な息子だよ。ずっとね」
『なら一緒にいて下さいね。約束ですよ』
愛しい私の子供達。君達の幸せを私はいつも祈って……
ベッドの上で目が覚めると首輪が嵌められていた。身体が思ったように動かない。身体が重い。
なに、これ……。
「あ、目が覚めた? アルク」
「……シロ?」
最後に見たあの日より身長も顔つきも声も変わっている。髪型だけは昔と同じ。触覚のような二本の白い髪が上向きに跳ねている。
「全然起きないからびっくりしちゃった。やっぱりアルクは血を飲んでなかったんだね。キンの言う通りだ」
「みんなは……?」
「クロとアカはお仕事。キンはまぁいろいろね」
「なんで……、ハンターなんかになってるの」
「それはさぁ……、アルクのせいだよ。僕達を捨てたりするから悪いんだよ」
捨てたわけじゃない。
けれど私は彼らに言った。
『もう、お前達はいらない』
突き放したかった。私と一緒にいても幸せにはならないから。少しでも彼らが生きやすい世界で生きていてほしかった。
「シロ……」
「アルク、アルク様、僕らはね、あの日、あの時、貴方に捨てられて貴方を嫌いになったんだ。憎んだよとってもとっても。それでみんなで決めたんだ」
シロの赤い瞳が美しく咲いた。
「アルクレート・ジエルをぐちゃぐちゃにして壊してしまおうって」
アルクは私の首輪を撫でる。
「ねぇ、アルク。どう? 犬みたいに首輪をつけられて、こーんな風に繋がれて。始祖の血を分け与えられた吸血鬼とは思えない堕落だね」
「シロ……、君が、君たちが私を殺すことで幸せになれると言うなら私はそれを否定しない」
「なんで……、なんで、なんで! 悲しめよ、苦しめよ! もっともっと、もっともっと辛くて切ないって顔しろよ! 嫌だって顔しろよ! 僕らを傷つけたのはお前なんだぞ!」
「それでも、人間の世界に出れて、幸せになれただろう?」
「は?」
シロの美しい顔が歪んだ。
憎しみの籠った顔でまるであり得ないというように染まった。
「シロ……」
「それ、本気で言ってるの? 僕らが幸せだったなんて本気で言ってる? ねぇ、どうしてそんなこと言えるの? おかしいよ。おかしいよ」
「シロ?」
「僕らはアルクに人生を変えられたんだよ。アルクのこと以外考えられないようにされてるんだ。僕だけじゃない。クロもキンもアカもみんなアルクのことだけを考えてきた。幸せになれる? ふざけるなよ。なれるわけないじゃん。だって、アルクのそばにいることが僕らの幸せだったのに。僕らはアルクだけを愛してたのに。それなのに突然捨てられて、迎えに来ると思って待ってたのに、全然こなくて。屋敷に行ったらアルクからいらないって言われて。悲しいよ。とても悲しかったよ。辛かったよ。切なかったよ。殺意すら湧いたよ。だからハンターになったんだよ。沢山の吸血鬼を殺した。僕はね、筋肉が付きにくいから吸血鬼に血を吸わせたんだ。痛かったよ。全然気持ち良くなかった。でも、アルクに会いに行くために力をつけたかったんだ。権力が必要だったんだ。そして今こうして会えた。こうして僕らのものにできた。それがどれだけ、どれだけ嬉しいことか。本当に、本当に、全然知らないなんてふざけないでよ。僕らの人生を歪ませて壊したのに、僕らの人生を勝手に幸せだと決めつけて、恨むよ、アルク。アルクレート。嫌いだ、嫌いだよ」
悲しくて泣きそうになったのは、今度は私の方だった。そっと首筋をなぞる。どこを吸われたんだろう。私の愛しい子の首筋に歯を立てた吸血鬼はどいつだろう。
ああ……
「シロ、シロ……」
「アルク?」
無意識のうちにその白い首筋に歯を立てていた。
「はぅっ!」
じゅるじゅる……はぁ、はぁ……
「アルク様、アルク様!」
久しぶりの血。シロの甘い血。
トロリとしたチョコレートより甘い血。
許さない。私の愛し子。もう誰にも吸われないように全てを吸い尽くして……。
「あっ……、シロ……?」
「アルク様、もっと吸って」
「あ……、ごめっ、シロ……、ごめん」
「いいよ。やっぱりアルク様に吸ってもらえるの嬉しいな。僕、いくら童顔でももう大人だから吸ってくれないと思ってた。まぁ、無理矢理吸わせようって思ってたけど」
「……なんで?」
「なんでってアルク様に……アルクに吸ってもらいたかったから」
「そう」
それは依存症ではないか。
一度吸血鬼に吸血された者はその快楽を忘れられずに吸血鬼に依存してしまう。
私は遅かったのだ。もう既に私は後戻りできないくらい彼らに深い傷を与えてしまっていた。
「僕の血、もっと吸ってよ」
「無理だ」
「なんで!」
「これ以上はシロの負担になるからだよ」
「……、やっぱりアルクはおかしいよ。僕らをいらないって言ったのに、どうして僕らを拒絶しないの。あの日みたいにどうして?」
私はシロの頭を撫でる。
可愛い可愛い私の子。
十年の寂しい時間。
この子達を不幸せにした私。
罪と知りながらも、私は拒絶できない。
だって、愛する子に囲まれた幸せを私は知ってしまったのだから。
だって、十年間とても寂しかったのだから。
だって、この子達の意思で戻ってきてくれて嬉しかったのだから。
「シロ……、ごめんね、ごめん」
「アルク……、アルク様……」
「おや、きっともうアルク様の処女は無くなっているかと思っていました。なんだ案外、意気地なしですね? シロ」
「むぅ、うるさいよ、キン。それより終わったの?」
「はい、問題なく。それより、時間です。変わって下さい。次は私の番です」
扉の前で金色の髪を靡かせたキンが言った。いつ見ても美しい金色の瞳だ。遠くからでもその眼を見ればキンと分かる。
「身長、伸びたね」
「ええ。シロと違って成長期は来ましたから」
「僕だって来てるよ!」
「君はもう伸びる気配がないですがね。それより、早く出て行って下さい」
「分かったよ! アルク、また来るね」
シロは残念そうに部屋から出ていく。
「目が悪くなったの? キン」
「目……? ああ、これですか」
昔はかけていなかった眼鏡をかけている。
レンズの反射で金色の瞳が濁って見えるのが少し残念だ。
「貴方は僕の目を気に入っていたでしょう? だからわざと掛けているのです。別に目は悪くありません」
「わざと……」
私の気にいるものを隠すくらい、彼も私を呪っているのだろうか。そのくらいのことをしたとは自負している。けれど、実際にそれを知ると泣きたい気持ちになるのはなぜだろう。
「逆ですよ、逆」
「逆って?」
「アルク様以外に僕の眼を誉めて欲しくなかったからです」
「なぜ?」
「アルク様は僕の神様なんです。だから、アルク様が好きなものを守る必要がある。他の三人の感情なんて僕には分かりませんよ。ただ、アルク様は僕に言った。みんなを守ってと言ったのです。私はそれを遂行したまでのこと」
「私を恨んでいないの?」
「恨むはずがありません。いらないと言われて多少は悲しかったですけど、私はアルク様からの頼まれごとがあったので。私はちゃんとみんなを守ってきましたよ。そして、最後の一人が独立して大人になるまできちんと見守りました。これで僕はアルク様の約束を守り切ったと言ってもいいでしょう。だから、アルク様、ご褒美をください。僕の好きなことは昔と今も変わりありません。さっき、シロの血を飲んでましたけど、お腹いっぱいじゃないですよね? だって、まだ物足りない顔をしている。ね?」
私はキンに腕を掴まれ、首を差し出される。ああ、血を欲している。何故こんなに喉が渇いているのか。昨日まで何ともなかったのに……。ほしい、ほしい、ほしい、ほしい……。
ガブっ
ふぅ、ふぅ、ふぅ……
キンの血は少しだけ苦い。けれど、決して不味い訳ではない。独特の風味はまるでコーヒーのようで、気付かぬうちに依存してしまいそうな香りを放つ。
腹が膨れるまで血を吸い、歯を抜いてからペロリと首を舐めた。
「美味しいですか?」
「美味しい……」
「キンは、変わらないね」
「……だって、僕が変わったらアルク様は悲しむでしょう? 僕だけはアルク様に永遠の変わらぬ愛を渡したかったのです」
「君はどうして私にそこまで執着するの?」
「それは……、アルク様が僕の身を一番に案じてくれるからですよ」
「外の世界で君を心配する人間なんて山ほどいたでしょ?」
「いましたよ、確かに。でも、心配してるのは僕じゃなくて僕の顔でしたよ。僕自身を見てくれるのはやっぱりアルク様だけでした。だから、僕を拒否しないで下さい。もしまた突き放すつもりなら、もう一度僕に使命をください。じゃないと、僕……、貴方を閉じ込めて永遠に僕のものにしたくなる」
キンは私のキバを指で撫でた。
ああ、美しい金色の瞳が私を見ている。
満たされた腹と満たされた欲求。
けれど、その奥に映る私は全く満たされていない化物の姿だった。
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