10 / 15
化物
何日経ったか分からない。腹が減った。喉が渇いた。苦しい。ああ、餌が近い。餌の匂いがする。本能のままに、本能のままに!
「あ゛……、ぁぁあぁ……、あああぁ? あぁあぁあぁあ゛ぁぁぁああ」
鎖が邪魔で扉の向こうにいる餌にありつけない。これを切らないと、これを切って好きなだけ血を、血を……!
「アルクレート……」
「あ……あ゛ぁ?」
「やはり化物だ。お前は。他の吸血鬼と同じだ」
見えない。何も見えない。人間がいる。人間の匂い。ああ、食わせろ。食わせろ。食わせろ。血をよこせ。私によこせ。私は吸血鬼だ。人間の血をよこせ。私に捧げろ。私に血を捧げろ!
「あ゛あぁぁ!」
組み敷いた男。
ああ、人間の匂い。
私の好きなワインの香り。
とっても美味しそう。
美味しそうなのに……、食べたらダメだと思う。
だって、とても黒いんだ。この子はとても黒い。
黒い髪が綺麗なんだ。綺麗な黒い瞳なんだ。
ありふれた黒じゃない。とても美しいこの子だけの黒。私のクロ。だから、食べたらきっとこの子はまた傷つくから。食べたらきっとこの子を傷つけた化物と一緒だから。
「なんで、泣いてんだよ」
「……あぁあぁぁああ。ク……ロ……、クロ……クロ……、クロ、クロ、クロ、クロ。ごめん、ごめん、ごめんね」
化物で、君を傷つけて、ごめん。
「ふざけんなよ、こんな、こんなヤツれてるくせによ! 今俺を食おうとしただろ、苦しんでんだろ! なら早く化け物になれよ。そしたら殺してやる。殺してやれるんだ」
「飲まない」
「なんでだよ!」
「クロが嫌がることはしない……」
アカはね、私の息子なんだ。
けれど、クロ、君も私の愛しい子なんだよ。
背が伸びて大人になっても、君は私の愛しい子。
憎まれててもいいから、愛を返さなくていいから、私は君を愛していたい。
誰よりも仲間思いの君。
大切な家族を大事にしてくれる。
きっと君がいなかったら、私の愛しい子達はバラバラになってただろう。
だから、ずっとずっと見守ってて。
私が壊れて、化け物になったら、君を君達を襲う獣になったら君がきっと護ってくれるから。
だけど、少しの理性は残しておきたい。だって、君が愛おしいから。
「背……、伸びたね。一番、伸びた。私より高い。筋肉もたくさんついたね。とても、強そうだね。きっと、君なら吸血鬼をたくさん倒せるよ。でも、油断したらダメだよ。吸血鬼は長生きしているから狡猾な奴もいるんだ。君の血を狙う奴もいるだろう。もう、あげたらダメだよ。血をあげたら、ダメだよ。君は君を大切にして。クロは、私の子供達を本当の意味で大切にしてくれるって知っているから」
髪を撫でる。ああ、どうしよう。飲みたいな。齧り付きたい。でも、我慢しなきゃ。我慢したい。突き放したのは私だけど、君達がいる屋敷は嬉しいんだ。またベッドを水浸しにしたって構わないから、本だって沢山読んでいいから、今はそばに居て。
寂しかった。
子供達の声がなくなって。
淋しかった。
子供達を愛せなくなって。
ちゃんと食べているかな?
ちゃんと勉強しているかな?
痛いことはないかな?
楽しいことをしているかな?
愛しい人を見つけられたかな?
本は読んでいるかな?
遊んでいるかな?
空を見ているかな?
優しい人に囲まれているかな?
私を忘れたかな?
憎んでるかな?
たまに思い出すのかな?
私をもう愛してくれないのかな?
「アルクレート……、おいっ! なんで、そんな死にそうなんだよ! 襲えばいいだろ! 何してんだよ! 早く、吸えよ! 死にたいのかよ!」
クロ、クロの声がする。寂しいな。寂しいけど、クロの声がするんだ。クロ、クロ、私を見て。酷いことを言ったけど、君を愛しているんだ。恨まないで、痛いよ、痛いんだ。人間の世界で生きて欲しいのに、優しい世界で生きて欲しいのに、私の餌としてじゃなくて、自分の世界で生きて欲しいのに。私は、君に君達に私の世界で生きて欲しいと願ってしまう。
「クロ……、死んでも君の血は飲まないからね」
「ふざけるな、ふざけるなよ! そんな死にそうになってまでどうして……。お前は俺を俺達を嫌いになったんじゃないのかよ!」
「嫌いになれない。どうしてなれるの? こんなにも愛おしいのに」
クロは泣いていた。とても泣いていた。なんだか、初めてクロの血を吸ったあの日みたいだ。懐かしいな。懐かしい。
「……、アルクレートは嘘つきだ。俺は、ずっと一緒にいてくれるって信じてたのに。俺はずっと待ってたんだ。お前が迎えに来るのをずっと、ずっとだ。でも、お前は全然来なくて、一年経っても来なくて、会いに行ったら捨てたんだって言われて……。お前は俺を嫌ったんだって思った。俺はお前が好きだったのに。愛してたのに、俺のこの想いをお前は勝手に捨てて、捨て去られて、どうすればいいのか分からなくて。お前を憎んで、憎んだら、スッキリして、殺してやりたかったのに、化物だって罵りたかったのに、お前はなんで今更、愛してるんだって言うんだよ。愛してるんなら、捨てるなよ。一緒にいてくれよ。一緒に暮らしてくれよ。もうどこにも行かないで。追い出さないでくれよ。頼むから、もう……、いらないなんて言わないでくれ」
また、私は君を傷つけたのだろうか。
「アルクレート……、アルクレート……、もういいよ。俺の負けだ。俺はお前が死ぬのは嫌なんだ。怖いんだ。だから、アルクレート……、アルクレート……、ごめん、意地悪してごめん。だから、俺の血を吸ってくれ。頼む。このままじゃ死んじまうだろ。頼む、吸ってくれ」
「クロは昔から吸うなって言ったり、吸えって言ったり、よく分からないよ。私はどうすればいいんだろう」
クロは私を抱きしめる。
「細い。アルクレートはこんなに小さかったんだな。ごめん、アルクレート。ごめん、今更だって分かってる。けど、吸ってくれ」
「いいの……? 後悔しない?」
「しねぇよ。しねぇから、今吸ってくれない方が俺は辛い」
クロの血を吸ってから私は随分と眠ってしまっていたようだ。目を開けると、欠けていた月が満月へと変わっていた。空腹感はない。あの忌まわしき首輪はクロかもしくは他の子が外してくれたようだ。私はベッドから這い出て、立ち上がる。屋敷の中の気配を探るとアカだけがいた。私は鍵のかかった扉を押し外に出た。
私の靴音だけが廊下に響く。クロの血を吸った時、少しだけ彼と話をした。クロは言った。
「アルクレートは大事なことを何一つ言わない。お前が良くても、周りはそれを見て勘違いする。俺も、俺達もそうだ。だから、アルクレート。親心とかダサいだとか関係なく、アカと話せよ」
私は階段を下がりアカのいる部屋に向かった。扉を開けると机とベッドがあるだけの無機質な部屋がある。モノを溜め込む私とは違い、必要最低限の中で生きているようだ。
「何もない部屋だ。君は昔からあまりモノに執着を見せなかったし、綺麗好きだったね」
何も語らないアカ。私の首を見ても何も言わないということは、首輪の件はアカも承知の上なのだろう。
「シロとクロがモノを散らかすと片付けるのはいつもアカだった。けれど、君が小さい時君が投げた玩具を拾ったのは私だった。私は片付けが苦手だから、段々とアカが自分で片付けをするようになった。少しホッとした。私に似なくてよかったと。だけど大人になる君に寂しくもあった」
机の上をなぞるように触った。月光が差し込む。夜の世界だ。吸血鬼が一番力を持つ時間帯。
「私は時を奪われた。吸血鬼の始祖に。ファルク・ジエルに。私を吸血鬼にしたファルク・ジエルを、私は殺したくて殺したくて殺したくて仕方がなかった。同時に、自殺も出来ず生きる屍となった私を殺めてくれる吸血鬼でもある彼に殺されたかった。けれど、彼は死んだ。ならば彼を殺したハンターに、と考えたがそのハンターも死んでいた。私は一人残された。ファルク・ジエルを殺すために生きてきた私は、ついには目標も失ってしまった。どうしようもない日々を過ごしていた頃、幼い君を見つけた。当時の私は自分の行動が理解できなかった。なぜ育てようとしたのか分からなかった。けれど今なら分かる。私は寂しかったんだ。目標も失い、死を待つことさえできなかった。友人も家族も死に、何もない時の流れが恐ろしかった。だから君と出会い、君を通して多くの子と出会い、そしてこの屋敷で過ごした日々が、あまりにも眩しくあまりにも幸せだった」
「……」
「あの日、吸血鬼ハンターが現れた日。私はこの幸せが終わることを恐れた。だから君たちを突き放した。だけど遅すぎた。あまりにも遅すぎた。私は、君たちの声が姿が気配がなくなって心が締め付けられるほど苦しかった。寂しかった。辛かった」
「今更何を言う」
「私は何も話さなかった。話さなくとも分かるなんて傲慢だと知った。だから今話している。アカは何かある?」
「何か、ある、だと? ふざけているのか」
「アカ……。私は君が分からない。君もあまり語る方ではないから、分からないんだ」
「あぁ、そうか。そんなにも分からないなら無理矢理にでも分からせてやる」
アカは私の腕を引き、ベッドに投げ捨てた。その行為に何があるのか分からず、私は全身の力を抜いたまま抗うことなく従った。アカの髪が私に触れる。美しい私の子は随分と髪が伸びたようだ。
「髪が伸びたね」
「余裕だな、化け物」
「私は君になら殺されてもいいと思っている」
アカは私を睨みながら、口吸いをした。その行為に何の意味があるのか分からず呆然とアカを見つめた。毒でも飲ませようとしたのか。アカをぼんやりと見つめるが、何も答えない。心臓の位置に掌を乗せると鼻で笑う。
「お前は何も分かっていない」
「私は人の心を読み解くことを苦手としているから」
「ならば、言ってやろう。私はお前を父だと思っていない。お前はただの化物で、私の父親でもなんでもない」
「……そう。そうなんだ。私はもう君に父とすら思ってはもらえないんだね」
あの日、彼らを、アカを手放した時、こうなることはどこかで分かっていた。彼らの人生を壊してしまった私はいずれ彼らに恨まれるのだろうとそう思っていた。だけどいざそれを突きつけられると胸がこんなにも痛むのか。
「なぜ今更そんな顔をする。あの日、無表情で私を見下ろしたというのに」
「無表情……、そう見えたのなら良かったよ」
「何を……」
「あの日のことはよく覚えているよ。とても辛かった。寂しかった。だけど願った。君たちが幸せであることを私は本気で願っていた。私の方こそ聞こうか。どうして君は、君たちはそんな不幸な顔をして私の前に現れたんだ? どうして幸せになってくれなかったんだ? どうしてまた私の前に現れてしまったんだ?」
「それはお前が!」
「君たちがそんな顔で私の前に現れてしまったら、今度こそ、私は君たちを手放せなくなってしまうだろう」
一度目は我慢した。二度目も我慢した。彼らが人間と暮らすことで幸せを見出すと考えていたから。でも、三度目はもう無理だ。たった10年だというのに、彼らと出会う前の100年の月日よりも長く感じた。
「私は君が思っているよりよっぽど君たちを愛しているんだ。それがどんな感情なのか私には分からない。けど、君たちになら何をされてもいいと思っている。私は、私はもう君たちを拒否できるほど理性は残っていないんだ。君は言ったね。私を捕えると。でもね、違うんだよ。私はもう、君たちを逃さない。離すことはできない。後悔したってもう……手遅れだ」
私の心は狂気だ。吸血鬼になってからそうなったのか、それともそれ以前からなのな分からない。だけどもう離せない。離せないから困惑するアカの髪を撫でた。
ともだちにシェアしよう!

