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帰郷 - 2

 その日だって、なんの変哲もない一日になるはずだった。  朝早くから枯れかけの湧水を汲んで、腹の減った体で鍬を振るい、疲労感に見合わないわずかなクズ芋を受け取る。昨日や明日と同じ、とすら思わなくなっていたが、畑の持ち主である無口な年寄りが珍しく口を開いたことで少なくとも昨日とは違う一日になった。 「ハイゼンの家がご落胤を探しとるんだと」 「……なんでまた」 「さてね、お貴族さまの考えることだ」  それだけ言って、年寄りが口を開くことはもうなかった。  どっかりと古びた椅子に腰を下ろして、どこで手に入れたのかやけに上等な葉巻を薫らせている。  しつこく聞いて機嫌を損ねたら明日の食いぶちが危うくなる。適当に頭を下げてさっさと退散するのが一番だ。  家へ帰る道すがら考えることはやはりついさっき聞いた貴族家の落胤のことだった。  ハイゼン家と言えばこのドイド地区と王都のちょうど中間地点にある貴族の家だ。今は当主が王国軍の将軍を務めているとかで、ハイゼン将軍家を名乗っている。  つる草に鷲の紋章はこの辺りでも何度か目にしたことがあるだけに、ハイゼン家の人間がいつだかの落胤を探しに来るということ自体には合点がいった。  恐らく、ハイゼンのお手付きになった女がここに子供を捨てたんだろう。そして正妻との間には後継ぎが生まれず、捨てた子というのを探し出して家に入れようとしている。下世話だが話の流れは想像しやすい。  他国では後継ぎに恵まれないと親戚筋から養子を貰うこともあるらしいが、ロンドマールでは”当主の血”が優先される。  ご落胤の存在がわかってしまった以上、探さないというわけにもいかないのか。想像するだけで頭の痛くなる激務だ。同情のため息がルカの唇の端から思わず漏れた。  クズ芋の入った麻袋を背負いなおして、舗装もされていない砂利道をひとりで歩く。  肩に食い込む重さすらないおかげで苦労はなかったが、仲間たちに腹一杯食わせてやれないという申し訳なさは両肩にずっしりと乗りかかってきて仕方ない。自然と背が丸まり、視線が足元に落ちた。  家と呼ぶにはお粗末なボロ小屋までは畑からそう遠くない。  たとえ足が重くても、頭を空っぽにして二本の足を交互に前に出せばいつかは家に着く。   「ルカ兄ちゃん!」  突然、視界にニコが飛び込んできた。いつの間にか家のすぐ近くまで辿り着いていたらしい。走った勢いをそのままに腹に抱きついたニコはいつもと様子が違っていて、思わず麻袋を落としたが袋から飛び出る荷物に構っている余裕もない。  小さく震える体で力一杯抱きつくニコの丸い頭を撫で、屈んで痩せた背中に両腕を回した。 「ニコ、どうした? またトカゲでも出たか?」 「ちがう! 兄ちゃん、おねがい、ずっとここに居て!」  何度も背中を撫でてやって、ようやく顔を上げたニコは両目いっぱいに涙を溜めていた。  ニコは確かに歳の割に甘えん坊で泣き虫なところがあるし、ルカもよく気にかけている。それにしたってこの取り乱し方は普通ではない。  何度も声を裏返してわんわんと泣くニコをようやくなだめ、要領を得ない話を解読するより先にその原因は姿を現した。  かろうじて雨風を凌げる程度のボロ小屋──愛しの我が家から背を屈めて現れたのは、つる草に鷹の紋章を掲げた鎧を見に纏う男だった。  ハイゼン家、とすぐに合点がいく。ご落胤探しの手はこんな所にまで伸びていたらしい。  抱きついて離れないニコを背中に隠し、屈んだままで目の前の男をまっすぐに見据えた。  濃金色の髪と茶色のたれ目が柔和そうに整った顔立ちだが、それよりも感情の全てを削ぎ落としたかのような無表情が強烈だった。薄暗い瞳で見下されるのは背筋に霜が降りるような心地がする。   「ハイゼン将軍家の方かと存じます。どのようなご用ですか」  貴族相手の礼儀作法など、ルカが知るはずもなかった。  精一杯、自分なりに下手にでたつもりだ。これで不敬だと首を刎ねられるならそれでも構わない。ただ、ニコだけは……。 「ルカ……とは、貴方の事か」 「……はい、自分です」  ハイゼン家の鎧に身を包んだ男は地を這うような低音で短く尋ねた。  なんで俺の名前を知っているんだ、と思わず片眉が持ち上がる。  ……訝しんだのを見られただろうか。いや、それよりも。この男は……いま俺のことを「貴方」と呼んだのか?  貴族の紋章をつける人間がルカのような孤児にとる態度とは到底思えない。目の前の男の意図がルカには一切読めなかった。  表情は相変わらずの貼り付けたような無表情で、もはや不気味にすら感じる。ニコを隠す腕に自然と力がこもった。 「そうか。では来い」 「……ご用件を伺うことくらいはお許し頂けますか」 「ああ……ハイゼン家の命だ。背けばその子供を殺す」  しばらく目が合っていただろうか。全てを見すかすような薄暗い瞳に覗き込まれると、鋭い痛みが一瞬こめかみに刺さった。  思わず眉をしかめた後で、男が静かに投げた視線を追って道の先を見ると貧民街には大袈裟すぎる馬車が主人の帰りを待っているのが見えた。  聞けば返事はある。が、ルカの求めた答えは返ってこない。そのかわりに告げられたのはこれ以上ない脅し文句だった。

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