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第六章・レオノーラの目覚め6

「なんの用だ」  デルバートが私をじっと見つめて聞きました。  私は膝を折って丁寧にお辞儀します。 「まず、あとを追った無礼をお許しください」 「お前の無礼は今更だろ。俺たちの時代で充分思い知っている」 「どういう意味ですか」 「自分の胸に手を当てて考えてみろ」  いじわるな返答にムッとしてしまいます。  でも軽口を交わせてほっとしました。 「反論したいところですが、デルバート様がいつもの調子でいられるので安心しました」 「どういう意味だ」 「意味はありません。ただ、さっきの広間でずっと黙っていたので体調でも悪いのかと心配しました」  私は笑みを浮かべながらもデルバートをまっすぐ見つめて言いました。  そんな私にデルバートがスッと目を細めます。 「……。なにが言いたい」 「不思議に思っただけです。私はあなたが怒ると思ったので」  そう、私が違和感を覚えたのはそこでした。  広間でヨーゼフはレオノーラへの信仰を語りました。それは不気味な妄信で、禍々しい所業すらあったのです。多くの人間を怪物へと改造した実験はレオノーラが最も嫌う所業でしょう。  そんな男がレオノーラを語ったというのに、デルバートの反応は薄かったのです。怒りをあらわにすることはなく、それどころかずっと黙ったままでした。  私はそこに違和感を覚えたのです。  最愛のレオノーラがこのような男に語られているのに、どうして怒りすら見せないのかと。 「あなた、ずっと黙っていましたね」 「言いたいことはそれだけか」 「はい、そうです」  私はじっとデルバートを見つめました。  デルバートも私を見据えていましたが、ふっと冷笑されます。 「心外だ。俺があのヨーゼフとかいう老人に同調しているということか」 「いいえ、そうではありません。しかしあなたの最愛は十万年前から変わっていませんから」 「ああ、そうだ。俺の最愛はただ一人、レオノーラだけだ」  デルバートは迷いなく答えました。  そしてもう用はないとばかりに立ち去ります。  今度は私も追いかけませんでした。明確な答えはなかったけれど、デルバートはたった一つの真実だけは語りました。きっとこれ以上はなにも語らないでしょう。  私はデルバートを見送った後、北離宮の執務室に戻る前にもう一つ気になる場所へ。  その部屋の前には女官が控えていました。クロードの世話役の一人です。  お辞儀して迎えてくれた女官に声を掛けます。 「お疲れ様です。クロードはどうしていますか?」 「ずっとお部屋でおすごしです。おやつも手に着けず、部屋からも出てくる様子はありません。世話役の女官もすぐに部屋を出されてしまって、城に帰ってからずっとお一人ですごされています」 「そうですか、ありがとうございます。あとは私が」  私はそう言って女官を下がらせると、扉の前に立ちました。  なかはシンッとして物音ひとつ聞こえません。そのことに少しだけ切なくなります。  コンコン。扉をノックして声を掛けます。 「クロード、いますよね。ブレイラです」  すると、――――ガタガタガタ!  室内からガタガタと物音が……。クロードが慌てて動いたようです。 「クロード、どうしました? 入ってもいいですか?」 「は、はい。どうぞっ……。その、ブレイラだけなら……」  室内から返事が返ってきました。  私はほっと安心します。よかった。拒まれたらどうしようかと思っていましたから。 「では失礼しますね」  私はゆっくり扉を開けて中に入りました。  部屋は相変わらず片付いていて散らかっていることはありません。  本棚には辞書や辞典や魔法書などがずらりと並んでいて、とても五歳児の部屋の本棚ではありません。でも私は知っています。お気に入りの絵本は北離宮の私の執務室にあるんですよね。  クロードは勉強机に向かっていました。ノートにペンを走らせて、全身で私に『ただいまおべんきょうちゅうです!』と訴えているよう。 「お勉強中ですか?」 「はい、おべんきょうは、まいにちですからっ……」 「そうですか、えらいですよ」  そう言ってニコリと笑いかけると、クロードが少しほっとした顔になりました。  私はお勉強中のクロードに目を細めます。  あなた、気付いてますか? 開いている教本が逆さになっていますよ。  慌てていつもの自分を装ったから、教本が逆さになっていることも気づいていないのですね。  でもクロードは私に勉強中のふりを続けます。

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